──F・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中訳
わたしは諸君に、精神の三つの変化について語ろう。
いかにして精神は駱駝となるか、
いかにして駱駝は獅子となるか、
そして最後にいかにして獅子は幼子となるかを。
わが兄弟よ。何のために精神に獅子が必要なのか。
重荷を背負い、断念し、畏敬の念を知る動物(駱駝)では、十分ではないのか。
新たな価値を創造すること──それは獅子にすらできない。
だが、新しい価値のために自由を手にいれることは、獅子の力にしかできない。
自由を手にいれ、義務に対してすら聖なる「否(ナイン)」を言うこと。
わが兄弟たちよ。このためには獅子が必要なのだ。
しかし言うがいい、わが兄弟たちよ。
獅子ですらできなかったことが、なぜ幼子にできようかと。
なぜ強奪する獅子が、さらに幼子にならねばならないのかと。
幼子は無垢だ。忘れる。新な始まりだ。遊ぶ。みずから回る輪だ。
最初の運動だ。聖なる「然り(ヤー)を言うこと」だ。
そうだ、わが兄弟たちよ。
創造という遊びのためには、聖なる「然りを言うこと」が必要だ。
ここで精神は自分の意志を意志する。
世界から見捨てられていた者が、自分の世界を獲得する。
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