関係項(あるいは関係子)──
主観の内側に生成するものでありながら、
本質的に主観内にとどまる以外にないものでありながら、
いつしか主観を超え出たもの、
すなわち「客観」という、どの主観にも属さない地位が与えられる。
このことの共同主観化(間主観化)から、
関係項の〝聖化〟、〝超越項化〟へ到る道、
主観から切り離された〝脱人間化〟という位相が開かれる。
脱人間化された威力による各主観に対する威圧、支配、専制、
客観による主観の逆規定という用法が構造化されていく。
この構造の解除は人間社会にとって最大の課題の一つかもしれない。
こうした客観を主観の上位に置く〝自然的態度〟のいったん解除(エポケー)──
〝自然的態度〟が形成される理由、根拠を明らかにするために、
ぼくたちは「実存」の側に立って「客観」生成の意味を徹底的に理解しておく必要がある。
関係世界を生きるかぎり、客観と言う観念を捨て去ることはできない。
けれど、客観という関係項の本質に即した適切な用法は存在する。
そのために、主観の上位に客観が存在するという自明性(自然的態度)、
すなわち客観という観念が超越化し、聖化して、支配の道具として用いられる回路は、
あらかじめ完全に断ち切っておく必要がある。
最終的に、主観の自殺、他殺を許す道を開くことになるこの回路を。
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