ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

現象学の視線(参)

2020-04-29 | Weblog

 

──竹田青嗣「本質学研究Ⅰ」

「ひとつの欲望存在にとって、世界と対象は、
衝動-欲望の到来によって価値と意味の連接的秩序として分節される。
欲望論的な〈世界〉は、そのつど始発点、生成の起点をもち、
そのつど新しい〈世界〉の生成においておいて消滅する。
この生の欲望論的体験の連続のうちで、
「世界」は一つの客体としての、同一で唯一の存在者としての信憑を形成する。
客体的な存在者としての対象、あるいは客観的存在者の総体としての世界は、
欲望論的な生の体験のうちで構成される、第二次的形成体なのである。」


世界経験という意識内の現象にわけ入ると、一切は、
「わたし」(主観)と「世界」(対象)という二極構造において展開している。

世界は意識において現象する。意識に訪れるものとして世界。
いいかえると、意識は世界によって〝襲われる〟。
意識(私)はこの訪れによってはじめて企投の動機を与えられる。

この連続的展開のなかで、「世界の姿」は動かせない外部(客観世界)として定立される。
この定立の主体は、いうまでもなく「わたし」という存在が担っている。
そして、この経験の一切は「わたし」という存在のうちがわで現象している。

 

 

 

 

 

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