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鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

五月晦日(2025)/メイストーム/蜻蛉玉

2025-05-31 22:53:38 | Weblog

強風吹きすさび、時折、激しい雷雨。最高気温20度に届かず。

こんな悪天候なのに、前のお宅の裏側のお宅の解体工事の騒音振動続く。

ゆっくり雨音など楽しみたいと思っていたのに・・・。

工事現場の音と時折、轟音を上げて吹き付ける強風に、まだ5月は終わっていないし、コレもメイストームという括りでよいのか・・・違うのか・・・。

 

月初めのゴールデン・ウィークが何故だか、かなり遠い過去のような時間経過感覚。

年齢を重ねると、時間間隔が短く感じられるけれど、今月は、なんだか・・・随分と長かったような気がする。

トモダチと会うのを楽しみにしていたから、月日が過ぎるのが遅く感じたのかもしれないし、或いは、時間認識をする脳が、ヘンになったのか・・・そのあたりも不明なんだけれど。

爽やかな季節も、もうおしまいで、明日から、水無月。

週間天気予報でも、30度を超える日が予想されているのに、今日は、3月下旬並みの気温ってコトで、こりゃ、自律神経もイカれるよな・・・とか。

 

家の鍵に付けていた蜻蛉玉のストラップを落下させてしまい、上部が欠けてしまった。

コレは、今を去ること13年前に購入して、ずっとお蔵入りのまま、転居先にもってきて、去年から家の鍵に取り付けていた。

お蔵入りをしていたものの、気に入っていたので、使い始めてあまり日数が立たないうちに、欠けてしまったのは残念。

ピンク色の桜の蜻蛉玉と緑色と白色の小さな翡翠(ひすい)のビーズがついた意匠。値段が値段だけに、たぶん?練り物の翡翠だろうとは思うのだけれど(宝石質の翡翠だった、5mmくらいのビーズでもかなり高額)。

同じものはもう販売していないし、残念だ。

車のキーには、今年の初詣で、買ったお守りに小さな蜻蛉玉がついたストラップを使っている。

旧居住地に居た頃(母が生きていた頃)は、家の鍵なんぞ、掛けて外出したことがなかったから、母が亡くなって、施錠の必要性が出てきて、施錠して家を出る・・・というのが、ものすごく面倒なコトだと知った。

母がなくなって、もう4年も経つのに、なんだか、未だに、鍵をかけて外出のするのに、馴れないでいる。

 


朋有り遠方より来る 亦楽しからずや②

2025-05-30 22:41:05 | Weblog

雨降ったり止んだり。3月下旬並みの寒い気温。昨日は、夏日だったのに・・・。

 

その夏日だった昨日。

小学校からの付き合いの友と半年ぶりのランチ。

昨日にするか、今日にするかの二択だったのだけれど、雨が降らない昨日でよかった。

去年末に新型コロナに感染したとかで、未だに、ちょっと治癒迄、至らぬようであるけれど、雷都住いの娘さんところに来ているとかで・・・。

大屋石造りの雷都でも有名な店舗で、雰囲気もよいお店で、ランチのあと、拙宅に寄ってもらい、よもやま話に花が咲く。

タイトルの遠方より・・・はかなり大袈裟かな。車で、1時間かからぬくらいだから、通勤の範囲でもあるのだけれど。

老齢の父上も介護施設に入所できたようで、少しラクになったかと思えば、それでもいろいろと忙しいらしい。

父上は、膝から下を病のため切断して、車椅子生活だったようだけれど、認知症の症状はなく、頭はしっかりしているということで、なかなか要介護度が上がらなかったらしい。四捨五入すれば、100歳になる御年で、ボケないあたり、凄い・・・。

私の叔父も、90歳過ぎだけれど、スマートフォンを扱えるし、あの年代で、ほぼ普通のひとの生活が出来ているのは、ほんとうに、凄いな・・・と改めて、思ったりする。

 

殆ど、友達と言える友達がいない私と違って、子供の頃から、たくさん友達がいたから、私もその大勢のうちのひとりなのだけれど、なんとなく、彼女と話していると居心地がよい・・・というか。

人格否定を全くしないひとで、本当は、自分とは全然違うのに、『私も。』と同意してくれる・・・たぶん、そんなハズはないんだけれどね。

そういうところが、好かれるし、本人曰く、八方美人だとよく言われると言っていた。

全くにていないけれど、両親の年齢、家族構成が、割と似通っていて、お互い中間子だから、結構、恵まれていないよね・・・親は、昭和初期生まれの古い人間だしさ、男尊女卑だし、やってらんね~~~みたいな。

介護についても、同じ感じだったし、なにか、似た感があると思っているのは、たぶん私だけだろうな・・・。

一時期、賀状のみの付き合いとなって、このまま自然消滅かもな・・・と思ったコトもあったのだけれど。

なんだか、『縁』があるみたいだ。

彼女とは、同じ市内で育ち、私は、2年前迄、ずっと地元に居たけれど、彼女は、結婚を機に、私の現在の居住地の雷都に住んで四半世紀、それからまた実家のある地元に戻ったけれど、一度、離れると、昔の友達は、市内に居ないので、また雷都に戻りたいと言っていた。

私は、長年住んでいた旧居住地が、懐かしく思うけれど。

でも、旧居住地は、おすすめできるお店もないし、コンサートやイベントもあまりなくて、街中の発展も時が止まったような場所だし・・・なんて、ハナシになった。

・・・そう、何も特色のない工業地帯。

そんななかで、同じ高校迄、一緒だった友達。

 

朋有り遠方より来る 亦楽しからずや

 

 


水くぐる衣⑧

2025-05-08 21:18:00 | Weblog

気持ちのよい乾いた晴天。

 

冬の間お世話になったダウンジャケットや防風フリースジャンパーなどを洗う。

ダウンは嵩張るし、クリーニング屋さんに持って行った方が面倒がなくてよいのだけれども、雷都に引っ越しして、よいクリーニング屋さんを見つけることができないでいる。

地元に居た時は、丁寧な仕事をしてくれるクリーニング屋さんもあったのだけれど。

ダウンジャケット類は、家庭で洗濯できるものも多くなっているこの頃。

接合部分が接着剤なので、高温のスチームで仕上げをすると溶けてしまう素材のものは、クリーニング屋さんで断られる場合もあるそうな・・・。

洗面台に水を張って、デリケート素材専用洗剤で、洗濯液を作り、ダウンと防風フリースの2着をつけ置き。

初夏なのに、まだ水が冷たい・・・そういえば、朝は寒かったな。夜間はちょっと暑いくらいだったので、無意識に、掛け布団を蹴飛ばしていて、寒くて目がさめる早朝。

暫く浸けて、押し洗いして、洗濯機で、すすぎと脱水。ハンガーにかけてベランダに干す。

もうダウンが必要なこともないような週間天気予報の気温予想。来週は、殆ど夏日の予想。まだ5月だってのに・・・もう夏日なのか・・・。

数週間前は、ダウンが欲しいくらいの気温だったのに・・・冬と春と夏が・・・混在する先月。

近隣のお宅から飛んできたマーガレットのタネが、芽吹いて、数日外にでないうちに、花を咲かせているのは、驚異である・・・。

マーガレットは清楚な佇まいで、英国の王女の名前にもなっているけれど、あの匂いが・・・どうしてもダメで・・・(夏場に使った雑巾を洗わずにそのまま水の中に放置し、数日置いたような?状態の匂い)。

悪臭なので、切り花にも向かない・・・。

 


五十一回目の月命日

2025-05-07 21:44:22 | Weblog

昨日、夜になって一度止んだ雨が日付が変わってから、また本降りの雨となって、明け方近く迄、降り続く。

夜が明けて、朝になるのを待っていたかのように、晴れてきて、午後になって強い風の吹く連休明け。

 

母の五十一回目の月命日。4年と2カ月目。

昨日、炊いた小豆で、小倉餡を拵え、粉寒天と合わせて作った羊羹をお仏壇に供える。

母が大好きだった小倉餡の羊羹。

食材が足りなくなったときだけ使う近所のスーパーで買ったさとうきび粗糖をグラニュー糖状にした喜界島黍糖なる砂糖を使ってみる。塊の黒糖程、アクが強くなくて、軽い感じがする。

黒糖黒糖している羊羹もおいしいけれど、漉し餡を使う水羊羹などには、グラニュー糖状のものが向いているのかも・・・と思った次第で。

まあ、好みはそれぞれだけれど、甘いものが好きだった母だから、食べてくれたことだろう???

拙宅の2件先は、袋小路で、ドン詰まりで、抜け道がなく、田んぼ(畑?)のようで、田植えのシーズンだから、蛙の鳴き声が聞こえてくる。

旧居宅に居た頃は、お隣は、田んぼだったので、蛙の大合唱が聞こえてくるのが今頃のシーズン。

ゴールデンウィークも終わって、憂鬱な会社員生活が始まる・・・正月明けと同じくらいイヤな日だったけれど、正月明けは、初荷式なるイベントがあって、零下近い温度の中、工場の外に立ちっぱなし・・・だったから、ソレよりは、まだゴールデンウィークの方が、マシだった・・・(ように思う)。

蝉時雨ならぬ・・・蛙時雨・・・といった初夏の風物詩を聞かなくなって2回目の初夏。

夕刻近くに鳴き出して、夜間中聞こえてくる。

馴れてしまえば、自然のBGM?だった。

母は亡くなる数年前から、殆ど聴力がなくなっていたから、蛙の声も聞こえなくなっていただろう。自身の身体の不調で、蛙だの鳥だのの鳴き声には、気づく余裕なんて全くなかったのかもしれない。

亡くなって4年も経つというのに、私の脳は、母の死を理解していない。

そのうち、転居先の玄関がガラリとあいて、母が帰ってくるかもしれない・・・なんていう妄想をしたりしている。

 


ゴールデンウィーク1日前/桐生市・重要文化財・彦部家住宅へ・・・。

2025-04-27 22:06:52 | Weblog

ここ数日、肌寒い日が続いたけれど、ゴールデンウィーク2日目の日曜日、朝からよく晴れて、乾いた風が、強めに吹いた。

薫風の季節の始まり・・・。

 

一昨日(25日)。ゴールデンウィーク1日前。

桐生市にある重要文化財・彦部住宅を訪れた。

居住地である雷都を出るときには、雨もパラついて、なんだかとても寒い朝。その前日も、朝方は、カセットガスボンベのソロ・ストーブなど点けていて、間もなく5月だというのに・・・。

時間が進むにつれて、西の空が明るくなってくる。

国道をただ、ただ西進する・・・。

国道から少しそれたところに、敷地6千坪の農家風茅葺の邸宅へ。

平日は電話予約が必要だったので、前日に予約を入れた。

御用の方は、インターフォンでお知らせくださいの貼り紙のとおり、インターフォンを押したけれど、反応なし・・・なので、長屋門をくぐり、邸宅へ。

現17代ご当主の奥様が対応してくださった。

明後日(28日)に、春の市民茶会の催しがあって、市長はじめ、来客450名?を予定していて、準備中とのことで、邸宅、庭園には、野点やお食事処、謡の舞台設置で、業者さんが来ていた。

見学者は、相方と私の二人だった。

邸内、庭園の説明をしていただき、由緒あるお家柄で、公家から武家、そして平民となったものの、山城を控えた由緒正しい家柄に相応しい邸宅として、江戸前期に建てられた入母屋造り・・・とのことだった。

庭園には、竹林を構え、明治期には、機織工場も併設され、隆盛を極めた名残の残る蔵は、江戸末期の切妻作り。

冬住みの隠居所は、寄棟作りで、小さいけれど贅沢な住居。

母屋に向かう庭には、絶滅危惧種の山野草・翁草が、自生していた。

 

温和な御当主様とお茶会を控え、来客の対応に追われる奥様、(たぶん市議会の)議員さん(だと思う??)などもいらしていた。

重要文化財でも、一部住居として使っていて、金土日は、来館客も多数を訪れるようだ。

長屋門に向かう道は、畦道で、たんぽぽ、クローバーなども自生していて、穏やかな昔の風景がそこにあった。

 


10日ぶりの外出、日曜の春の宵。

2025-04-06 23:05:31 | Weblog

曇りがち。午後にわか雨・・・。

なんだか、雨ばかり降っている最近・・・。

・・・なので、この10日間は、ずっと自宅に引きこもっていて、葉物野菜が底をついたので、宵になって、買い出しに出かけた。

 

10日ぶりの世間。

ソメイヨシノも満開・・・なのだろうけれど、もう暗くなっていたし、生協のスーパー迄の道のりに、生憎、桜は、見当たらなかった。

食糧がつき始めても、なかなか外出する気になれず、冷蔵庫、冷凍庫の残りモノで、凌いできて、まだ缶詰類は、幾らかあるし、米類、オートミールなどの穀類のストックもあるので、まだ数日は、外出しなくても・・・と考えていたのだけれど、今日は、生協のスーパーのポイント10倍日なので、昼間は、ものすごく混雑するので、日の暮れた宵になって、人が少なくなってから、出向く。

お惣菜類や一部野菜などは、品切れも。あのスーパーは開店と同時に行くと品出しが済んでいないから、揃っていないし、日中は、ポイントデーだから混雑しているなか、店員さんが品出ししていて、邪魔だし。

そんなこんなで、1時間くらいで、食糧調達完了。

沖天には、太りかけた半月。

久しぶりに暖かい春の宵。

日中もコレくらい駐車場が空いてるといいのになぁ・・・ってなくらい駐車車両がなかった時刻は、20時少し前。

ソメイヨシノも昨日今日の強風で、散り始めたのかも・・・。

 

 


風雪の卯月朔日(2025)

2025-04-01 21:07:45 | Weblog

霙混じりの氷雨降る卯月朔日、年度初め。

寒い・・・真冬に逆戻り。

終日、うとうと、冬眠中の熊のような。

2000年以前は、4月に雪(霙)は、降らなかった。

2010~20年代になって、4月に雪の日の出現があった。

一番遅い4月の降雪は、2010年4月17日。晩春の雪。41年ぶり・・・との記録。

関東北部の在住だけれども、最近では、12月にも雪が降るようになった。それまでは、12月に雪だった記憶がない・・・(しいて言えば、私の誕生日は、雪だったらしいので、12月の降雪はあったようだ。最も、これは、旧居住地にての話なので、現居住地からは、30km南下した場所。現居住地は、県北の山に近くなっているので、12月でも風花くらいは舞っている)。

気候も変化してきているんだろうな。

なんだか、令和の気候は、雑すぎるというか・・・情緒が無いというか・・・いきなり夏になったり、冬になったり・・・で。

そんなこんなの雪で始まった4月・・・。

 


旧居住地

2025-03-21 21:44:41 | Weblog

最高気温24度。良く晴れて、初夏のような陽気。午後から強風。

 

今月は、毎週のように旧居住地に行くことになった。

母の命日で、墓所は、旧居住地にあるし、映画館にも行ったりで。

久しぶりに、評価の高い新しくできたイタリアン・レストランに行った。

最近は、前菜で勝負なのか・・・なかなかな出来で、コレは期待が出来そうかも・・・???と思ったのだけれど、スープとパスタ二種類の味付けが、かなり塩っぽい。

ああ・・・でも、これが、旧居住地の飲食店の味なんだよなぁ・・・。旧居住地は、所謂、工業地帯で、工場勤務の労働者で、発展した地域でもあって、前職のときの工場の食事は、お昼に食べて、退社の5時を過ぎても、水が飲みたかった・・・くらいの塩分濃度。

そう・・・たぶん、コレくらい濃くないとお客さんが来ない・・・この評価は塩分なのかも・・・???

今時、前菜、スープ、サラダ、パスタ二種、珈琲、デザートで、税込1630円は格安だと思うし、リーズナブルでもあった(来月から、値上げのお知らせがレジにあって、税込2000円くらいになるようだ?)。

それにつけても・・・。

『何故、あそこまで、濃くする???』

相方も同じ意見だった。

それに比べて、現居住地の雷都は、商業地帯、工業地帯と色分けされているので、塩分は(たぶん)控えめな感じがするし、やはり人口50万人都市と16万人都市では、味付けも違ってくるのだろう・・・。

そして、旧居住地のJR駅(西口)は、昼間でも人通りがあまり多くなくて、市役所前などは、外国人ばかりで、治安も良くなさげ・・・。

時の流れが遅いような気がするメイン通りは、店舗の入れ替わりはあるけれど、昔とあまり変わっていない。

寂れていく一方だな・・・と思ったりで。

それでも、全く知らない街になっていた・・・なんてことは、ないあたり、どうなんだろう。

昔(20年くらい前以前)は、災害もなく、犯罪も少なく・・・なのだけれど、最近は、全国的に報道される犯罪にちょいちょい?出るようになって、やはり、おかしくなってきているのだろう・・・。

まあ、ひと月に一度くらいは、来ているけれど、実家には一度も行ったことないし、行けないけれど、実家周辺は、殆ど、変わっていない(遠目から見た感じ)。あのへんも時が止まった感じがする。

過去の遺物になっていくのかな?

私の記憶の中でも、時間が堆積して、どんどん薄くなっていく感じはするものの・・・。

そう・・・あの街には、もう母も猫も・・・いない・・・。

 


三月はいろいろ・・・。

2025-03-16 21:52:55 | Weblog

昨夜から、冷たい冬の雨降り続く日曜日。

昨日同様、午前中迄、うとうと眠って過ごす。

 

昨日は、亡母の誕生日で、生存していれば、93歳。

一昨日は、三毛猫の二十一回忌。

同じく、子供の頃、大好きだったお琴のおねえさんのお誕生日。

なんだか、三月は、いろいろと思うことが多い月になったな・・・。

 

このところ、初夏の陽気かと思ったら、一転、真冬の寒さに戻ったりして、少し外出したりすると、翌日は、起きていられなかったり、雷都に来てからは、なんだか、花粉症っぽくて、目はかすむし(トシのせいかも?)、鼻はグシュグシュだし。

今日は、冬でも、あと数日で、桜の開花日が来そうで、また春をスキップして、夏になったりで、少なくとも、10年か20年前は、三月と言えば、もう少し冬を引きづっていて、穏やかな暖かさが少しづつ、訪れる・・・といった風情があったのだけれども、やはり春と秋は短くなってきていて、あと10年後には、季節は四季でなく、二季になるのかも・・・???

そんなことを思いながら、毛布に包まって、うとうとしている・・・。

 


東日本大震災から14年目の春。

2025-03-11 21:22:54 | Weblog

小雨降る・・・東日本大震災より14年目の春。

14年前のこの日は、寒かった・・・。

震災後から、翌日12日午前3時迄、停電。

電気のつかない暗い部屋で、通電していない炬燵に足を突っ込み、時々、揺れる地震に脅えながら・・・。

残り少なくなった石油ストーブで、お湯を沸かし、母と二人で、カップラーメンの夕飯。

旧居宅は、井戸水だったんで、電気が止まると、水をくみ上げるポンプのモーターも動かないので、灯油ストーブの天板に置いた薬缶の水を沸かした。

あの日・・・。電気の止まった街は真っ暗、街灯もつかず、ただ星明りだけが、綺麗だった・・・。

翌日午前3時に、電気が復旧。

お風呂にお湯を張って、暖かいお湯のありがたさをしみじみ感じた。

電灯に照らされた明るい部屋で、夜明けを待った。

そんな震災の日の思い出がよみがえってきた。

あのとき、一緒に不安な夜を過ごした母は、もういない。

今度、震災などがきたら、ひとりで、しのげるのかな・・・とそんなことを考える。

・・・もう灯油の残量も少ない。今週中に買ってこようと思うのだけれど、この先、まだ寒い日の出現は、あるのだろうか・・・。

あの震災の日は、凄く寒かった。

そして、間もなく、猫命日。

猫が居なくなった日の朝は、氷点下6度だった・・・。

梅の花が咲いていて、永遠の猫不在を迎えるあの日の朝は、ものすごく冷え込んだ。