未熟なカメラマン さてものひとりごと

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寺田屋の真実とは?

2013-06-06 23:04:34 | 歴史

宇治・萬福寺の布袋さん

(前回のつづき)
 宇治市内から15分、バスは本日の昼食場所・萬福寺に到着しました。それにしても駐車場から何と遠いことか。一周ぐるりという感じで、やっと総門に到着です。資料によりますと、この萬福寺は、黄檗山萬福寺といい、日本からの度重なる招請に応じて来朝した、中国の憎・隠元隆琦禅師(いんげんりゅうきぜんし)が1661年に開創したものです。萬福寺の伽藍建築・文化などは、中国の明朝様式となっています。私たちが身近な、隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹(タケノコ)、木魚なども隠元禅師が来日してからもたらされたものであり、江戸時代の文化全般に大きな影響を与えたと言われています。馴染のあるインゲン豆の語源が、ずばり隠元禅師からきていたとは知りませんでした。

 総門から三門を抜け、天王殿、雄賽殿を拝観しました。宇治方面には、ほとんど来たことが無かったので、この萬福寺ももちろん初めてですが、このような大きな寺院とは知りませんでした。特に印象的だったのは、天王殿正面の布袋さん像。中国で弥勒菩薩の化身だと云われているようですが、まさに中年体型のお腹丸出しのお姿は、不謹慎のようでもあり、微笑ましくもあります。
昼食場所は、一番奥に近い社務所の隣の建物です。本日、広間でお庭を眺めながらいただくのは、普茶弁当です。普茶ということばを初めてききましたが、普茶料理というのは、隠元禅師が伝えた精進料理のことです。案内によりますと、普茶弁当は、普茶料理の代表的な料理を松花堂弁当に詰めたとありました。これに、お吸い物とお菓子が付いています。精進料理ですから、お肉や、お魚はありませんが、見た目以上に味もしっかりとしている感じがしました。量的にもちょうどいいくらいで、皆さん完食されたようです。普茶料理を堪能したあと、駐車場に帰りましたが、何と出口のすぐそばで驚きました。

 次に向かったのが、伏見酒造の町並みです。こちらでの滞在予定時間は、1時間でしたのであまりゆっくりできません。本日のガイドも兼ねる運転手さんから、「そこの角を左に曲がると町並みです。寺田屋は左側にすぐあります。バスは月桂冠の駐車場で待機していますとのことでした。」寺田屋はすぐにありました。しかしこのころから雨がぽつぽつと降りだしたではありませんか。建物の隣に、史跡らしい看板がありました。せっかくここまで来たのだからと、寺田屋を見学することにしました。玄関を入るとすぐ左に受付がありました。入館料は400円でした。ナイロン袋に靴を入れ、見学スタートです。建物の間口に比べて奥行きのある間取りでした。写真はOKとのことだったので、まず写真に撮っておこうと思いました。
おりょうさんが、竜馬に知らせるため裸で駆け上がったという階段、鉄砲の弾痕や柱の刀傷のあと。臨場感が伝わってきます。今回のメンバーのうち、寺田屋を中に入って見学したのは、たったの4名でした。町並みや酒蔵も見たいのであまりゆっくりもできません。係の方の説明があるとのことでしたが、止むを得ず寺田屋をあとにしました。
 しかし、ここである疑問が湧いてきました。以前、聞いた話で寺田屋は当時のものではなく、あとで再建されたもの。場所も当時とは違う、というものでした。1868年(明治元年)鳥羽・伏見の戦いで、このあたり一帯は戦火に見舞われたはず。
そこで、調べてみると、次のようなことが判明しました。
2008年、旅館・寺田屋の建物が再建されたものだったとの可能性が指摘された問題で、京都市は、「当時の建物は焼失したと考えるのが妥当」との見解を発表し、また同施設に対して、観光客に対して誤解を与えることがないよう対策を取ることを要請しています。そこで、寺田屋はこの要請に対してどのように答えているのか、ということですが、改めて受付でもらったパンフレットをじっくりと見ても再建されたもの、とはひとことも書いてありませんでした。逆に「現在の台所にある太い大黒柱は、維新当時ここを定宿としていた薩摩藩主・島津家よりの拝領品である」という記述も見られました。

 例えば、善意に解釈して、建物は鳥羽・伏見の戦いで焼けたが、一部、使用できる建材も残っていて、跡地の横に、当時のまま再建された、ということは考えられないのでしょうか。一点気になるのが、「寺田屋の女将お登勢は、明治10年、48歳でこの世を去るまで約30年間に渡って女将をつとめ・・・」という記録です。この記録が正しければ、再建された寺田屋で女将を続けたということになります。そういうことになれば、あながち否定もできない気もします。いずれにしても気になるところです。(つづく)



寺田屋2階に弾痕。寺田屋事件で坂本龍馬が発砲したものでしょうか?
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