未熟なカメラマン さてものひとりごと

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かつて西国無双の港といわれた御手洗の町並みを歩く 広島県呉市豊町(大崎下島)

2021-05-20 08:03:51 | 古い町並み
前々回の紹介のページ 「遊女たちの悲しい物語があった」
前回の紹介ページ 「北前船で栄えた日本遺産・御手洗は遊女が支えた港町だった」


おいらん公園から俯瞰する御手洗の町並み

おいらん公園で、遊女の墓地を訪ねたあと、海沿いの駐車場に車を駐め、町並みを散策することにしました。この町並みを歩くのは実に12年ぶりのことです。
駐車場からすぐのところにある豊町観光協会(御手洗休憩所)は、以前テレビ番組で紹介されていました。ミカンジュース(大長みかん100%)も販売されていて、結構な人気とか?とりあえず観光パンフレットを入手しいざ出発です。

この御手洗を最初に訪ねたとき、おちょろ舟を製作中の宮本さんはまだ若かった記憶があります。この町並みは、平成6(1994)年7月に重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建)に指定されました。
そして、平成30(2018)年5月、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として日本遺産に追加認定されています。



日本遺産認定の記念碑

(旧柴屋住宅)

最初に訪ねたのが、呉市重要文化財にもなっている旧柴屋住宅です。入り口のガラス戸を開けると、ひな人形が飾られていました。あの日本地図作成で有名な伊能忠敬は大崎下島を測量したとき宿舎として利用しており、珍しい資料が紹介されていました。


常盤町通りの入り口付近にある旧柴屋住宅(左側の建物)


入り口には、御手洗町並み保存センターの文字も かつて庄屋や町年寄りを代々務めた高橋家(屋号・柴屋)の別宅


季節柄、雛段が飾られていた (訪問日:令和3年2月21日)


郵便局の向かいにある洋館 御手洗にはこのような洋館がいくつかある。郵便局の宅配の車が細い路地を出るとき何度もハンドルを切り返ししていた。狭い町並みの中にあるが故の苦労がある。

(若胡子屋跡)

次に向かったのが、お茶屋で有名な若胡屋趾(わかえびすやあと)です。江戸時代、もっとも賑わったころ50人もの遊女を抱えていたとか。
暖簾をくぐって建物の中に入ると、玄関口の左に広い空間があり、正面の向こうにはお庭が見えます。耐震工事でしょうか、不釣り合いな鉄骨が柱を支えていました。一段高い檀上の奥には、奥座敷があり、豪華な造りが目を引きます。
庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれていて独特なつくり。2階に上がってみると屋根裏は大きな梁で支えられていました。



通りから見る若胡屋跡の外観


かつては賑わったであろう、前の通り


玄関、左側にある広間 若胡屋跡は江戸時代、広島藩から公認された四軒のお茶屋のうち唯一現存する建物。50人もの遊女を抱えていた。


建物内は、耐震補強の鉄骨が目立つ。明治期寺院に転用された際、柱や天井が取り払われた


庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれている


別棟の奥座敷 天井や雨戸に屋久杉が使用されるなど豪華な造り


欄間も見事


主屋2階天井の見事な梁


入り口の暖簾が風に揺れる

(旧金子住宅)

次に向かったのが、目と鼻の先にある呉市重要文化財の旧金子家住宅です。玄関を入るとすぐに茶室がありました。三畳台目、躙口のほかに連子窓、下地窓を三方向に配した特徴的な造り、露地の立蹲とともに広島藩主のお成りを考えて上田宗箇流好みの設えとなっています。



若胡屋跡を出て振り返ってみる通りの景観


数寄屋風書院造の主屋の中央にある茶室 全国で唯一現存する江戸期の上田宗箇流の茶室といわれている


露地 右側に特徴的な立ち蹲踞が見える

(村尾昌文堂)


看板建築の村尾昌文堂 ケヤキで作られた戦前の看板「國定教科書取次販賣所」がある

(乙女座跡)


昭和12年、当時の御手洗町長が私財を投じて建てた劇場 近年空き家になっていたが平成14年に当時そのままに復元された


乙女座横の小路 向こうに御手洗港が見える

(越智医院)


大正時代に建てられた築100年の建物。長い間空き家になっていたが平成29年ゲストハウス(旅籠屋 醫 KUSUSHI)としてオープン

(脇屋住宅)


薩摩藩の船宿跡 一輪挿しが建物にマッチしている

(重伝建の町並み 常盤通り)


美しい町並み 御手洗を代表する景観


御手洗には江戸時代から昭和初期に建てられた伝統的な形式をとどめる民家が数多く残っており、平成6年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている

(御手洗天満宮)


天満宮横の路地 落ち着いた佇まいを見せる


鮮やかな紅梅は見ごろ 境内は天神桜の名称で親しまれた桜の名所でもあった

(松浦時計店)


日本で最も古い時計店ともいわれる 現在の建物は大正8年に建て替えられたもの。NHK日本風土記でも紹介された。店名は昭和初期に「新光時計店」改称されている。店の顔は、100年以上時を刻んでいるアメリカ製の大きな古時計

(御手洗昭和館)


駄菓子屋玩具ミュージアム 御手洗昭和館 昭和30~40年代を中心としたレトロな駄菓子やお菓子、玩具、文房具、おもちゃなど5000点が展示されている

(御手洗七卿落遺跡)


町年寄や町割庄屋を務めた多田家の屋敷跡 蛤御門の変の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ落ち延びる途中、御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜過ごしている

~そして海岸通りにでた~


道路の前に建つ存在感のある建物


青い空、青い海、土蔵の漆喰の白は見事なコントラスト


海に向かって立つ鳥居 記念写真の撮影スポット。鳥居の下に座って海を眺める後ろ姿の女性でもいれば実に絵になる。実は、恵美須神社の鳥居だが、参道が道路にとられてしまった。


警察署も町並みに配慮した和風の外観


玄関先に繋がれていた。近寄るとうれしそうに寄ってくる。ハンサム犬ではないがその表情に癒される


千砂子波止 1829年に完成した大防波堤。以来二度にわたって先端部が決壊したが修理されて現在に至っている。当時の技術水準の高さが伺える。
画像は、波止を散策する男女


船宿(三軒長屋)江戸時代の船宿は旅館というより仲買問屋 現在はカフェになっている。2階からの眺めは最高。新日本風土記にも登場した。手前は宮本さんのミニチュア舟の工房だが、午後には店じまいしていた。


高燈籠 住吉神社参道前の燈籠、当初は千砂子波止の突端にあり木製だったが、破損したため1832年に石造りに建て替えられた


海岸通りにある粋なレストラン


町を彩る一輪挿し 

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、呉の観光スポットを予定しています。



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