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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



中之島にある大阪市役所の東側には住友家の寄付した中之島図書館、その東には岩本氏の寄付した中央公会堂があり、さらに東側には東洋陶磁器美術館がある。

中之島図書館



東洋陶磁器美術館に因縁のある安宅産業株式会社は1904年に創業され、1977年に伊藤忠商事に吸収合併されて消滅した総合商社である。

中央公会堂



安宅産業は、戦前から戦後にかけて10大総合商社の一角として最大年間売上高2兆6千億円を誇る大企業であった。

東洋陶磁器美術館の南側



1942年、陸軍とのいざこざに嫌気がさした創業者の安宅弥吉は、社長を退任、後任に次男の安宅重雄氏を指名している。

長男の英一氏ではなく、10歳年下である次男の重雄氏を社長としたのは、英一氏が当時の金額で毎月1万円以上も趣味に浪費していたのが原因だったらしい。

美術館のエントランス



戦後になって安宅産業内に権力争いがあり、英一氏を担ごうとするグループの圧力で重雄氏は退任、後任として神田正吉氏が社長に就任している。

実は、戦後公職追放をおそれた安宅家は、85%以上を保有していた株式をこの時までに殆ど手放しているので、法的には安宅産業の支配権を手放していたのである。

エントランス前にある関 一 大阪市長像(今の大阪市長の祖父に当たる)



1955年、社内の権力争いのせいで創業家の長男英一氏は、株式を手放していたのにかかわらず突然安宅産業の会長に就任している。

その際、社業は社長が行うが、人事権は英一会長が持つとされ、会社の金を使って会長が趣味としている美術品のコレクションを続けても、社長以下から文句が出ない会長の権力体制が確立している。

美術館の北東にある遊歩道



それ以降、英一会長は会社の金を湯水のように使って、当時世界最大と言われた東洋陶磁器のコレクションを完成したのであるが、トップの姿勢を見ていた安宅産業社員のモラルは地に落ちていたようである。

1975年、一部の社員が担当していたカナダの精油所プロジェクトが破綻し、安宅産業は倒産、1977年に伊藤忠商事に吸収合併されている。

美術館の西南角



今考えると、創業家の長男というだけで人事権を持つ会長に据え、会社の金を自由に使って趣味のコレクションを続けさせていた安宅産業は、いずれ破綻することになったのであろう。

安宅産業の倒産後、当時の大島靖大阪市長が「コレクションの美術品は住友銀行が担保に取っているのだから、散逸させないで大阪に寄付してくれないか」と呼びかけたらしい。



その際、住友銀行は住友グループ21社と協力して安宅コレクション購入資金152億円をかき集め、コレクション全てと美術館を建てて大阪市に寄付している。

それが、この大阪市立東洋陶磁器美術館なので、安宅英一氏は父親の創業した会社を潰して代わりに美術館を残したことになる。

倒産した安宅産業の社員にはお気の毒であるが、大阪市民にとっては、世界的な陶磁器コレクションをいつでも見ることのできる美術館を残してくれた英一氏に感謝すべきであろう。



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