1691年(元禄4年)の大坂地図を見ると、安治川と木津川の分かれる(川口居留地のあった)場所には船番所と書かれ、安治川中洲の豊島はまだ小さい。
それから約150年を経た1842年(天保13年)の地図には、同じ場所に北から番所、船蔵、船手屋敷が建ち、安治川から大仏島(トミシマ1丁目)まで安治川橋が架かっている。
この橋は、現存していないが、そこから800m下流の安治川トンネルの真上には西九条から近鉄難波までの阪神なんば線の鉄道橋が架かり、2009年の春には開通するという。
豊島にある大阪税関富島出張所の敷地の中、豊島1号上屋の北側は1876年(慶応3年)に設置された「運上所」があった場所で、税関長五代友厚、税関次長陸奥宗光がここで事務を取っていたので有名である。
1872年(明治5年)に「運上所」が税関と統一されたためにこの場所は「大阪税関」となったが、「大阪税関」は1920年(大正9年)に港区築港に移転、その際に税関富島出張所として残されている。
富島には波止場があったため、1884年(明治17年)には29軒もの回漕業者が軒を並べ、さらに舶来物品商や汽船会社、特に大阪商船(今の商船三井)の本社がここにあった。
当時、大阪商船の前から安治川の対岸へ「とみしまの渡し」があったが、その場所を示す小さな石碑が今も残されている。
その前には、三井倉庫、豊島倉庫と書かれたレンガ造りの古い倉庫があり、当時の面影を伝えているが、保存状態はあまり良くないようである。
一方、川口1丁目の南側、川口居留地から木津川沿いに少し南に下った場所が、外国人と日本人が雑居していた梅本町である。
川口居留地に良く似た沙面租界
1868~70年まで大阪府知事であった後藤象二郎が、草野丈吉に事業をまかせた大阪初の外国人止宿所、自由亭ホテルが1869年(明治2年)梅本町で開業している。
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