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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



日本軍はルソン島を決戦場と定め、1944年9月に着任した山下奉文大将指の揮下に戦備を充実しつつありましたが、レイテ島に米軍が上陸するや南方軍総司令部(在シンガポール、寺内寿一元帥)は、決戦場をレイテに突如変更、ルソンに配備している1個師団をレイテ島に投入するように命令しています。・・・ひげそり用のブラシに似たシュードボンバックスの花(アオイ科・メキシコ~グアテマラ原産)

山下大将は、ルソン島は現有勢力でないと守れないと強硬に意見具申しますが総司令部には受け入れられず、精鋭の第一師団をマニラからレイテ島オルモックに緊急輸送することになります。・・・クマガイソウ

最初の輸送作戦は概ね成功しますが、次第に米軍の航空爆撃が激しくなり、輸送船団に搭載した精鋭兵器、弾薬、食料輸送が殆ど沈められ、助かった兵士だけ着の身着のままレイテに上陸するとういう状態でした。・・・サボテンの花

制空権を奪われた戦域での海上輸送は成功しないことを、日本軍はガダルカナル島で一度経験していたはずですが、遠方で作戦計画している総司令部は、レイテでもまた同じ過ちを繰り返したのです。・・・クリナムアメリカヌム(ヒガンバナ科・アメリカ原産)

米軍は、現地の事情を最も良く知る現地指揮官に作戦を一任する(上級司令部は作戦に口出ししない)方針を取って成功、日本軍は現地指揮官に任せず、安全な司令部から細かなことまで命令し続けて失敗、山下大将のルソン島決戦案は画餅に帰したのでした。・・・熱帯スイレン

1944年12月11日、日本軍の輸送基地だったレイテ島のオルモックが占領されると、レイテ島の日本軍(まだ5万7千名もいました)は、軽武装のままレイテ山中に四散、早期に脱出した3000名以外は圧倒的な米軍の攻撃で全滅しています。・・・熱帯スイレン

大本営は、作戦部長宮崎周一中将を東京からマニラに派遣、山下大将に正々堂々の決戦を促しますが、山下大将は制空権が無く補給も途絶えた日本軍に決戦をする力は無く、戦略持久戦に持ち込むしか無いと回答しています。・・・カラテア・コロカータ(クズウコン科・ブラジル原産)

1945年1月9日、米軍はルソン島リンガエンに上陸、空から襲い掛かってくる敵機を避けて山中に潜んだ日本軍28万名のうち何と21万6千名が戦死しています。・・・ラシュナリア・ギエッシー(ユリ科・ナミビア原産)

フィリピンでの戦いの結果、南シナ海の制空権制海権が完全に米軍のものとなり、日本への南方資源(主に石油)の輸送ルートが遮断されてしまうのです。・・・スピロクセナ・カナリクラタ(コキンバイザサ科・南アフリカ原産)

太平洋戦争の開戦時、石油を南方から日本に輸送すれば米軍と互角に戦えるという日本政府の計画は、このとき破綻、一億玉砕という日本全滅の道か敗戦を認める道しか残っていなかったのです。

参考文献:25歳の艦長海戦記 森田 友幸著

 



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