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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



今回の東北旅行で訪問した角館ですが、その歴史を昨日に続いて紅葉と一緒に紹介しましょう。・・・角館のメインストリート

戦国時代の角館は、平衡盛(ひらもり)より始まる戸沢氏の本拠地でした。家祖とされる平衡盛の「衡・ひら」は、奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)が名乗っているので、戸沢氏は奥州藤原氏の一族だったと言う説が有力です。

平衡盛は、京に攻め込んだ木曾義仲に属していましたが、途中から義仲と別れて奥州滴石(岩手県雫石町)に転居。1185年には源頼朝に臣従して鎌倉幕府の御家人となり、その頃に滴石の戸沢村に居を構えたことから「戸沢氏」を称するようになっています。

鎌倉幕府が滅び建武の新政(1333年)が始まると、北畠顕家(13181338)が陸奥守として多賀城(宮城県多賀城市)に下向。そのため戸沢氏は一時顕家の南朝に属しますが、顕家が戦死すると足利方(北朝)に転向しています。・・・青柳家の庭

戸沢家家譜に拠れば1423年、戸沢家盛の代に戸沢から約30km西寄りの角館に本拠地を移したとあるので、角館は600年近い歴史があることになります。その後、戦国時代に名将戸沢盛安(15661590)が登場します

角館を本拠地とする戸沢盛安は東北地方で勢力を拡大、豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)には東北地方の戦国大名の中ではいち早く参陣して秀吉の賞賛を受けますが、盛安は小田原参陣中に急病死しています。

戸沢盛安の嫡男政盛は、関ヶ原の戦い(1600年)で徳川方に属していましたが、戦いに消極的だったため角館から常陸国松岡(茨城県高萩市)へ減転封されています。

戸沢氏転封後の角館には1603年、秋田に転封された佐竹義宣(15701633)の実弟、蘆名義勝(義広・15751631)が入り、1620年に現在の古城山南麓へ町を移転させています。

一方の戸沢氏ですが、1622年に最上氏が改易されたために新庄(山形県新庄市・旧領地の角館に比較的近い)へ加増転封となり、以後新庄藩6万石の大名として明治維新まで無事に続いています。・・・角館出身の小野田直武像

つづく



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