1990年に開催された国際花と緑の博覧会のパビリオンだった「咲くやこの花館」の名称は、西暦905年に成立した古今和歌集の「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花」に由来しています。
咲くやこの花館のラン
「大阪に(梅の)花が咲きました。この花は冬の間ひっそりと籠っていましたが、(暖かくなってきた)今、もう春になりましたよと告げているかのようです」という意味でしょうか。
咲くやこの花館のデイゴ
「この花」の種類については、梅と桜の2説があるようですが、冬ごもりという言葉の次に出てくるのであれば、梅と解釈するのが妥当ではないかと思います。
咲くやこの花館のジャボチカバ(幹に成るブドウに似た果実)
梅の花は、菅原道真(845~903年)の「東風吹かば・・・」に出てくるので、当時からポユラーな植物だったようです。
咲くやこの花館のゴクラクチョウカ
「難波津に咲くやこの花・・」という和歌は、平安時代から非常に有名で、後鳥羽上皇(1180~1239年)が、「難波津にさくやこの花朝霞 春たつ波にかをる春風」と詠み、藤原定家(1162~1241年)にも「難波津にさくやこの花白妙の 秋なき浪をてらす月かげ」という歌があります。
咲くやこの花館のムセーラ・ラシオカルパ(中国雲南省原産)
つまり平安時代の教養人には、難波津と言えば「咲くやこの花」とすぐに連想することができた非常に有名な言葉(フレーズ)だったようです。
咲くやこの花館のエーデルワイス
もうひとつ、奈良を詠んだ和歌に「あおによし」という枕言葉を入れるルールがありますが、古代の大阪を表す際に「押し照る」という枕言葉があるようです。
咲くやこの花館のケシ科の花
都のあった奈良盆地から生駒山系を越え、太陽が人間を押すように厳しく照りつける状況を見た当時の人が、難波の枕言葉を「押し照る」とするルールを決めたようなのです。
咲くやこの花館のラン
確かに大阪の夏の夕日は、厳しいものがありますが、冷房の無い当時の人々には、日光が暑さを押しつけてくる強烈なイメージがあったのでしょう。
咲くやこの花館の花
荒々しいせいか「押し照る難波」という言葉は、あまり聞くことはありませんが、古い言葉は大切にしたいものです。
咲くやこの花館の花
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