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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



近くの府営公園を散歩しているとアトリを見つけました。じっと待っていると飛び出したので、その姿と一緒にアトリが出てくる古い記録を紹介しましょう。

鳥名の由来辞典・柏書房によれば、日本書記の欽明天皇(第29代天皇・539?~571?年)の項に天皇の子として臘嘴鳥(アトリと読みます)の皇子(古事記では足取王)が出てきます。

母は蘇我稲目の娘で、アトリの皇子の次ぎが推古天皇(554~628年)と記録されています。それなら臘嘴鳥皇子は欽明天皇が15歳?より若いときの子供となります。・・・アトリの翼前縁と下小雨覆は黄色ですね。

さらに日本書紀には<天武天皇7年(678年)、12月にアトリが天を覆いて西南より東北に飛ぶ>とあり、空を覆い尽くすほどの大群が奈良県に飛来していたのでしょう。

当時、空を覆い尽くす大群となるアトリのパワーにあやかって臘嘴鳥皇子と命名した可能性がありますね。

万葉集には<国巡る アトリかま(カモ)けり(ケリ) 行き巡り 帰り来までに 斉(いは)いて待たね>と、刑部虫麻呂が詠んだ和歌があります。

飛んで国を巡るアトリやカモやケリのように、遠い国までの移動となるが、(妻よ)無事に帰るまで身を慎んで(斉は斎戒沐浴の斉と同じ意味)待っていてくれという意味でしょう。

刑部虫麻呂が防人として出征する際に詠んだとされていますが、地方(多くは東国)から任地(北九州)までの往復と現地での勤務は辛いものだったでしょう。

和歌の中に出てくるアトリ、カモ、ケリのような翼があればなあと、野鳥を羨んだ歌とも解釈できませんか。



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