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公式HPによると、岡寺(龍蓋寺)は天智天皇626672年)の勅願によって義淵(643?〜728年)が創建しています。その時期を天智天皇の最晩年とすると西暦672年前後となるのでしょうか。雪の仁王門(1612年の建立の重要文化財)

興福寺を総本山とする法相宗の祖、義淵は観音様の申し子として天智天皇に引き取られ、天智天皇の皇子、草壁皇子(662689年、文武天皇の父で岡宮御宇天皇とも呼ばれる)とともに岡宮で育てられたという伝説があります。仁王門の内側

その後の義淵は、蘇我馬子が建立した法興寺(現在の飛鳥寺で596年頃に創建)で法相宗を修め、草壁皇子の岡宮の地に創建した岡寺に入っています。(草壁皇子の没後とするなら689年頃でしょうか、義淵47歳)

岡寺の創建時の伽藍の場所はよくわかっていませんが、西に隣接する治田神社に古い礎石があり、白鳳時代の瓦が出土しているので同地にあった可能性が大きいようです。治田神社

義淵は、703年に僧正となり、玄(?~746)の他に奈良時代を代表する行基668749)・良弁(689774)・道鏡(700772)・隆尊(706760)などが弟子だったので、義淵の岡寺は当時日本仏教の総本山という位置にあったのではないでしょうか。本堂は1805年の建立

岡寺の正確な創建年は不明ですが、740年の正倉院書の中に龍蓋寺(岡寺)所蔵と書かれた仏典があるので当時既に岡寺が存在していたことは確実です。下の写真は義淵僧正の廟所(義淵の没後632年を経た1360年の建立、建立からすでに652年が経過しています)

平安時代初期(868年)の太政官符には、新薬師寺、法華寺、唐招提寺、興福寺、本元興寺、崇徳寺、西寺、海龍王寺、龍蓋寺(岡寺)の9寺から最勝会の僧を指定しているので、当時はまだ大和を代表する寺院だったようです。本堂

その後の岡寺は次第に衰退し、後に法相宗総本山興福寺の末寺となり、室町時代には興福寺別当が岡寺別当を兼務、江戸時代以降は真言宗豊山派総本山長谷寺の末寺となって今日に至っています。中央は楼門-慶長年間(15961615)頃建立 

その岡寺には、かつて三重塔がありましたが、1472年の大風で倒壊、それから514年後となる1986年にやっと再建されています

岡寺は、平安末期(900年前頃)から始まった西国33所観音霊場の7番札所となり、以来1100年以上の永きに渡り民衆の信仰を集めています。高台にある岡寺から見た明日香村 

岡寺は、京都にある有名寺院などより遥かに古い歴史を持った寺院でした。

参考文献:寺院神社大事典(大和紀伊)平凡社編



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