大阪からJR東海道線新快速に乗って山科駅で下り、京都市営地下鉄の次の駅、東野駅の西側一帯は、今から500年前に山科本願寺のあった歴史の古里です。
山科の西宗寺にある蓮如像
その範囲を大雑把に言えば、東野駅から西100mくらいが寺内町の東端で、そこから西に400mが西の境界、東野駅の南にある国道1号線を挟んで、南北それぞれ400m(合計800m)が南北の境界だったようです。
山科本願寺の御堂のあったと思われる場所は、正面のマンションの左奥辺り
1532年(織田信長の生まれる2年前)、土塁と堀で三重に囲まれていた山科本願寺は、細川晴元の命で殺到した近江守護の六角氏と法華宗徒によって破壊されています。
本願寺山科別院本堂背面
その後、再建されることなく500年近く放置されていた関係で、山科本願寺とその寺内町の正確な様子は良く判っていないようです。
本願寺山科別院本堂の塀
それでも一部の史跡が現存していると聞いたので、東野駅から山科を歩いてみました。
本願寺山科別院正門の外、正面路地の左が蓮如廟
まず、最初に訪ねたのは、東野駅の北西150mにある西本願寺系統の本願寺山科別院です。
正門
この寺院は、西本願寺第15代、住如が北山別院の旧堂を1732年に移築したときから始まり、1772年には現在の本堂が完成、1782年に鐘楼、太鼓堂、接待所等が増築されています。
本願寺山科別院本堂正面
この山科別院の正門から外に出て、約70m直進すると、本願寺8世蓮如(1415~1499年)廟の前に出ます。
蓮如廟前から見た本願寺山科別院正門
蓮如廟の前からは、別に北に延びる道もあり、その先に見える山門は、1732年に東本願寺から移築された山科別院長福寺の門です。
東西両本願寺の別院は、蓮如廟の参道を挟んで南北に配置されていました。