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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



蓮如の往生ののち、堺御坊は9男の実賢(1490〜1523年)が継ぎますが、細川、三好、織田、豊臣と続く戦乱によって一時衰退しています。

御成門



堺の市街地は、大阪夏の陣(1615年)で大坂方によって放火され、ほとんど焼失していますので、本願寺堺別院の衰退に追い打ちをかけたようです。

太鼓楼



江戸時代に入り、本願寺第12代准如(1577〜1631年)の時に堺別院の本堂が再興され、旧本尊が江戸別院、浅草御堂に移されていたために本尊を新造し安置しています。

1617年の銘のある鐘楼の鐘



1728年には、第15代住如が本堂を重修し、1778年には第17代法如が蓮如上人廟所と拝堂を造営しています。

蓮如上人廟所と拝堂



しかし1798年の火災で山門と鐘楼を残して本堂・広間・台所が焼失、現在の本堂は第19代本如によって1825年に再興されたものです。

山門の彫刻



明治維新後、1871〜1881年までの間、ここは堺県(河内国、和泉国、大和国)の県庁として使われていましたが、堺県の消滅とともに本願寺に返却されたようです。



昭和に入り、堺大空襲(1945年)での焼失を免れた本堂は、堺市最大の木造建造物として、江戸末期(1825年)以来の姿を今に留めています。

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