野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



お馴染の俳優が次々と出てきて、劇場で芝居を見ているようなシーンが展開する三谷幸喜監督の作品、「素敵な金縛り」を見ました。

脚本監督三谷幸喜は今年50歳、映画作品の観客動員数では抜群の力量を発揮しています。

主演の深津絵里と西田敏行の自然な演技は、他の俳優を圧倒していましたね。特に深津絵里は、全回のザ・マジックアワーの時よりも格段に良かったと思いました。

 

大分県出身の深津 絵里(本名)は、今年38歳、彼女は、過去に7人(桃井かおり・大竹しのぶ・小柳ルミ子・倍賞美津子・原田美枝子・和久井映見樹木希林しかいない日本アカデミー賞最優秀主演と助演女優賞のダブル受賞者です。

一方、福島県出身の西田敏行は、今年64歳、西田は日本アカデミー賞最優秀主演賞を過去2回と、さらに会長功労賞を受賞していますが、最優秀助演賞だけは未だ受賞していないようです。

次に良かったのは、検事役の中井貴一と深津絵里の上司役の阿部寛、ベテランの域に達した二人の演技は堂々として素晴らしいものでした。 

この重要な4人以外のキャストとして参加した、三谷組お馴染俳優と市村正親の出番シーンは、かなり強引に挿入されたように見えました。

普通は、大物順から並ぶエンドクレジットの名前が登場順となっていたり、監督の名前が、他のスタッフと同じサイズで途中に表示されているのは三谷監督のこだわりでしょう。

三谷作品は、ユーモアとほのぼのとした人間賛歌があり、グロテスクな描写やきわどいセリフなどが少ない(ウイキペディア)ので安心して楽しめます。

またエンドクレジットの途中に流れる主題歌『ONCE IN A BLUE MOON』を深津絵里と西田敏行が歌っていますが、深津絵里の歌唱力には驚かされました。



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今回のテニス合宿は、兵庫県多可郡多可町八千代区にある「森のホテル・エーデルささゆり」に宿泊し、ガルテン八千代のテニスコートを使うことにしました。 翌日晴天時のエーデルささゆりの正面



エーデルささゆりとガルテン八千代はどちらも「北はりま(播磨)ハイランド構想」に基づき設置された施設です。雨の中到着したエーデルささゆり玄関へのアプローチ



北はりまハイランド構想とは、兵庫県西脇市、多可町の住民、民間団体、行政が連携し、地域資源を活かした交流の舞台をつくり、豊かな暮らしと心の豊かさを目指そうというものだそうです。ロビー



このため、北播磨にある既存の文化・スポーツ・レクリエーション施設などを再整備し、施設間のネットワークを強化、地域資源の有効活用を図る計画とか。関係者には頑張ってほしいものです。夜のロビー



さて、エーデルささゆりは、食事がおいしいと女性に評判のホテルで、我がテニスクラブでは今回が3回目の利用となりました。レストラン「リンデン」の内部



この日は雨だったので、早めにチェックインし、メンバー全員が和室に集まって久しぶりのトランプゲームで盛り上がりました。 和室の宿泊室



夕食は、1階のレストラン「リンデン」で和食コース(先付 / 前菜 / 吸物 / 炊き合せ / お造り / 蒸し物 / 鍋物 / 天婦羅 / 焼物(魚) / 焼物(肉) / フルーツ)を頂きました。 先付 の写真、この後は酔って撮るのを忘れました。



翌朝、豪華な沖ブリの焼き物がついた朝食を食べ、いよいよ快晴のテニスコートに出陣です。



歩いて5分の場所にあるガルテン八千代には、ナイターもできる人工芝テニスコートが6面、そのうち2面を借りてテニスの試合を昼まで楽しみました。



テニスの後には、エーデルささゆりに戻って昼食を取り、レストラン「リンデン」の料理には外れがないとメンバーの意見が一致したのでした。早朝散歩したエーデルささゆりの裏山には秋の足音が・・・

14時にエーデルささゆりを出て、16時過ぎには大阪に到着。今回の合宿は、移動が楽で食事が美味しかったと、参加した皆さんの評判は良かったようです。

 



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靱公園で世界スーパージュニアテニス大会が開催されていましたので、選手とテニスボールの同時撮影にチャレンジしてみました。

センターコートでは、 沢柳璃子(1994年10月25日生まれ)対 尾崎里紗(1994年4月10日生まれ)の試合をやっていました。沢柳のサーブ

この大会女子シングルスの第5シード選手となっている尾崎のバックハンド

沢柳は、9月にあったGSユアサ女子オープン(室内/カーペット)の女子ダブルスで10歳以上年長の去年の優勝ペアを破り初優勝しています。沢柳のフォア

一方の尾崎は、6月にイギリスであったウィンブルドン選手権ジュニア部門で、ジュニア世界4位のチュニジアの選手をフルセットの末に破る金星を挙げている楽しみな選手です。尾崎のサーブ

選手とテニスボール、高速で移動する両者を同時に写真に撮るのは大変ですが、カメラの癖に馴れれば意外と簡単でした。沢柳のバックハンドのフォロースルー

試合はフルセットまでもつれ、どちらが勝利してもおかしくない互角の戦いでした。尾崎のフォアハンド

結局5-7、7-5、7-5でノーシードの沢柳が勝利しています。ジュニアの大会では、シード選手が有利とは限らないようですね。沢柳のバックハンドスライス

最後に、NO1コートの試合に登場していた昨年の女子シングルス準優勝者、小和瀬望帆(第3シード)のサーブ

 



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先週、靱公園であったHP女子オープンテニスでは、ダブルスで伊達が優勝しましたが、今週の靱公園は大阪市長杯世界スーパージュニアテニスです。第1シード、スイスのALLGURIN(ジュニアランク世界27位)のサーブ

ALLGURINの対戦相手、野井夕夏子のフォアハンド。野井は最初のセットを3-6で落とし、野井には強すぎる相手と思われました。

ところが、第2セットから野井が健闘して6-3と取り返し、最終セットでも7-5と第1シードのALLGURINに競り勝っています。ALLGURINのフォアハンド

ナンバー1コートでは、第6シード、リヒテンシュタインのVON DEICHMANN対足立真美の試合が始まっていました。VON DEICHMANNのサーブ

VON DEICHMANNは、立ち上がりにダブルフォールトを連発、足立が一時2-0と優位でしたが、次第にシード選手としての本領を発揮し6-3、6-2と圧勝しています。足立真美のサーブ

イギリスのDUNNE。これでもジュニアです。

ダンの対戦相手、江見優生乃のフォアハンド。最後までしっかりとボールを見ていることが判ります。

太い腕から繰り出すダンの強烈なサーブ

江見は、第2セットを取るチャンスもあったのですが、ダンに6-1,7-6で破れています。ダンに比べると腕が細い江見優生乃のサーブ

体格で外国人選手に引けを取っている日本のジュニア選手達ですが、テニスでは精いっぱい戦っていましたね。



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靱テニスセンターで開催される女子テニス大会は、昨日書いたような賞金総額の小さな大会ですが、何と今年の全米オープン優勝選手サマンサ・ストーサー(27歳、WTAランキング6位)がエントリーしています。

サマンサ・ストーサーは、2010年6の全仏オープン女子シングルスの準優勝選手です。今年2011年の全米オープン女子シングルスには決勝でセレナ・ウイリアムスを破って優勝、賞金180万ドル(約1億4千万円)を獲得しています。サマンサのサーブ

サマンサ・ストーサーは、WTA女子ツアーのシングルス決勝で5度も準優勝に甘んじていましたが、去年この「HPオープン」で優勝したことで自信を付けたのかも知れません。サマンサ(シングルス第1シード)のパワー溢れるバックハンド。

彼女は、ダブルスにも強く、2005年の全米オープンで優勝、2006年の全仏オープンでも杉山組を破って優勝、WTAツアーのダブルスで現在まで23勝を挙げ、WTAダブルスランキング1位にもなっています。この日のサマンサ・ストーサーの対戦相手は、ノパワン・ラートチワカーン(タイ)。この日1セットを奪うなど、かなり善戦していました。

今年の靱公園テニスコートでは、その全米オープン優勝者のプレーを格安(平日なら2600円)で見ることができるので、大阪のテニスファンは幸福です。

シングルス1回戦の青山修子(24歳)

青山の相手は、カザフスタンのSHVEDOVA(ダブルス第1シード、下の写真)

ダブルスの奈良くるみ(左)と土居美咲(右、WTA113位) 

ダブルスの奈良くるみと土居美咲の相手は、アメリカのラケル・コップスジョーンズとアビゲイル・スピアーズ組(ダブルス第3シード)非常にパワフルなテニスで、土居奈良組に圧勝(6-2、6-2)しました。

インパクト直前までボールをしっかり見ている奈良くるみ。

今年のウインブルトンで活躍した土居美咲のサーブ。

来週にはスーパージュニアの試合が始まるので、機会があれば紹介してみたいと思います。 



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靱テニスセンターで開催されているHPジャパン女子オープンテニスを見てきました。この日センターコートでは、日本人最高ランク(WTAランキング55位)の森田あゆみ対張帥(中国)の試合をやっていました。森田のサーブ

張帥(22歳)は、今年のウインブルトンに伊達公子(40歳)とダブルスに出場、今回も伊達とダブルスにエントリーしています。長身細身の張のフォアハンド

センターコートの外ではその伊達が練習中でした。この後、センターコートでシングルスの試合に出場しましたが、残念ながらチェコのペトラ・チェトコフスカ選手(第4シード、WTAランクング32位)に敗退しています。

試合は、森田が実力を発揮して張を7-6、6-2で破っています。張のフォアハンドがボールに当たる瞬間。

次にナンバー1コートに移動してみると、瀬間詠里花(WTA114位)対マンディ・ミネラ(ルクセンブルグ)の試合が始まっていました。瀬間のサーブ

この大会の賞金総額は、22万ドル(1ドル77円なら約1700万円)と公式HPにありましたので、先週東京であった東レパンパシフィックオープンの十分の一です。 瀬間のフォアハンド

公式HPによれば、シングルスの優勝賞金は、3万7千ドル(約280万円)、準優勝は1万9千ドル(約146万円)、準決勝敗退者1万ドル(約77万円) なので、優勝賞金が1億円を超える4大大会と比べると、かなり下のランクという印象は否めません。瀬間のフォアハンドのフォロースルー

またダブルスの優勝チームの賞金は、1万1千ドル(当たり5500ドル=約42万円)、準優勝は5750ドル(一人当たり22万円) だそうです。瀬間の対戦相手は、長身のマンディ・ミネラ

試合は、6-3、6-3で瀬間が勝ち、彼女の勝利のガッツポーズを見ることができました。

つづく



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2月末に発表された第83回アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞(ヨーク公=ジョージ6世役のコリン・ファース)などに輝いた映画「英国王のスピーチ」を見てきました。



映画は、イギリス王の二男、ヨーク公アルバート王子(1895〜1952年)が、イギリス王ジョージ6世となるまでの史実を基にした物語です。



監督は、最初のシーンに、吃音障害が酷いヨーク公としての「演説」を、最後にドイツとの戦争に国民の奮起を促す国王としての「演説」(1939年)を置き、実際に内気で吃音障害があったヨーク公が、言語聴覚士ライオネル・ローグ(配役ジェフリー・ラッシュ)の指導を受け、吃音障害は残りながら国王として成長していく過程を描いています。



1996年にアカデミー賞主演男優賞を受賞しているジェフリー・ラッシュ(下の写真、役柄と同じオーストラリア人)の演技も存在感があってすばらしかったですね。



さて、ヨーク公の兄、エドワード8世(1894〜1972年)は、即位から1年も経たない1936年(昭和11年)12月に突然退位を表明、弟のヨーク公が急遽大英帝国の王として即位したのは当時有名な事件でした。

エドワード8世役のガイ・ピアース



王室に生まれ、母親の愛情に恵まれないまま育ったエドワード8世(退位後はウインザー公)は、アメリカ人のウォリス・シンプソン夫人(1896〜1986年)と出会い、年下でしたが母性愛豊かだった彼女との結婚を王位よりも優先したのです。

ジョージ6世とエドワード8世の母メアリー王太后(映画ではクレア・ブルーム)は、死ぬまでウォリス・シンプソン夫人を受け入れなかったといいます。



二男のヨーク公は、内気で吃音障害がありながら、イギリス王ジョージ6世(在位1936〜1952年)として第二次大戦中、空襲の続くロンドンから離れることなく国民を鼓舞し続けたのです。



ジョージ6世は、第二次大戦の激務で早世しますが、長女が父を継いでエリザベス2世として即位、当時4歳だったチャールズ(1948年〜)が年上の人妻カミラ夫人(1947年〜)を選んだのも、やはり幼少期に母親の愛情が足らなかったせいではないでしょうか。(右が映画の中のエリザベス2世)

 

国王が、自らの命を顧みず空襲のロンドンという危機の現場に身を置いたこと、それがイギリスを勝利へ導いた要因の一つではないかと思います。



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この映画は、ひと月前にJALの機内で見ていますが、大きなスクリーンでもう一度見たかったので、TOHOシネマズなんばに行ってきました。

 

 

 

主役のゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)は、インサイダー取引と証券詐欺罪で8年の懲役の後出所し、今では当時の体験をもとにした講演と、著書を販売して生活しているという設定です。

 

 

 

マイケル・ダグラス(66)は、23年前に公開された前篇の「ウォール街」でアカデミー賞主演男優賞を受賞しているので、続編となるこの作品にはかなり思い入れがあったのではないでしょうか。

  

 

 

熱の入った彼の講演シーンでは、複雑な金融システムを知るたった75人が、世界中の大衆を騙して大儲けしていると言っていましたが、これは恐らく真実に近いのではないかと思います。

 

 

 

ゲッコーの娘(キャリー・マリガン、25歳)と交際しているジェイコブ(シャイア・ラブーフ、24歳)は、講演を聞いて感銘を受け、ゲッコーに接近したことからストーリーはめまぐるしく展開し始めます。

 

 

 

シャイア・ラブーフとキャリー・マリガンは、実生活でも交際をしていると報道されているので、映画の中でも息がぴったり合っていましたね。

 

 

 

監督は、前作と同じオリバー・ストーン(64)で、インタビューでは「年取ったゲッコーがどうやって人間としてのモラルを考えていくのか伝えたかった」と語っています。

  

 

 

映画の中で、敵役のブレトン(ジョシュ・ブローリン)が言った「人生には師匠となる人間と、その弟子となる人間が必要」というセリフが記憶に残りました。

 

 

 

それにしても、前作から23年も経った後で続編を撮るとは、オリバー・ストーン監督とは凄い人ですね。

 

 



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忠臣蔵事件から16年後を描いた映画「最後の忠臣蔵」を見ましたので、財団法人中央義士会理事長の中島康夫さんが書いた著書から忠臣蔵の面白い話を紹介しましょう。

 

 

 

堀部安兵衛の従兄、佐藤条右衛門が残した佐藤覚書によれば、12月14日の討ち入りの当夜、四十七士と佐藤は、堀部弥兵衛の家に集結していますが、その中に安兵衛や奥田孫大夫の剣術師匠、堀内源左衛門正春(1641~1713年)もいたとあるそうです。

 

 

堀内源左衛門は、直心影流に堀内流という一派を立てて、江戸の小石川牛天神下に道場を持ち、堀内道場は江戸有数の道場として当時から有名でした。

 

 

 

三波春夫の歌謡曲「俵星玄蕃」の俵星は、その堀内をイメージして作られた歌で、討ち入りが始まった後、吉良邸の様子を見に行った佐藤条右衛門は、吉良邸の周りをうろうろしている堀内を見たと覚書に書いています。

 

 

義士が吉良邸から泉岳寺に引き上げる途中、堀内が両国橋東詰で武林唯七(1672~1703年)と語らっていたともあるので、歌謡曲「俵星玄蕃」に出てくる弟子のそば屋は、杉野十兵次ではなく吉良上野介を(間十次郎と協力して)打ち取った武林唯七が正しいのかもしれません。

 

 

さて、討ち入り後に大目付仙石伯耆守(1652~1735年)の屋敷に吉良邸討ち入りの口上書を提出した吉田忠左衛門(1641~1703年)は、口上書にある四十七名のうち1名が欠落したと仙石に報告しています。

 

 

それが「最後の忠臣蔵」に出てくる吉田忠左衛門家の足軽、寺坂吉右衛門(1665~1747年)で、寺坂は泉岳寺前から義士と別れ、広島本家に預けられていた内匠頭の弟、浅野大学のもとに向かっています。

寺坂吉右衛門役の佐藤 浩市

 

 

 

寺坂を除く四十六士は、それぞれが預けられた大名屋敷で翌年2月に切腹、その間広島で幽閉されていた寺坂吉右衛門は、6月になって江戸に戻り、仙石伯耆守の屋敷に四十七名のうち1名であると出頭しています。

 

 

仙石は、寺坂の罪を問わず、無罪放免、寺坂は吉田忠左衛門の長女の嫁ぎ先である本多家の家士伊藤家の世話になり、後に旗本山内家に召抱えられ、83歳で天寿を全うしていますので、寺坂のことは映画とかなり違うようです。

 

 

映画の主役、役所広司扮する大石家(1500石)の用人、瀬尾孫左衛門も実在の人物で、何か使命を帯びて直前に脱盟したようですが、後のことはよくわかっていないようです。

 

参考文献:忠臣蔵討ち入りを支えた八人の証言 中島康夫著



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 歌の上手な少女が米国の田舎、アイオア州から出て、ロスのクラブで働き始め、その才能を開花させる映画「バーレスク」を見ましたのでご紹介しましょう。

 

 

バーレスクとは、ヌードに至らない女性のお色気を強調したショーのことで、映画はそのバーレスク・クラブが舞台です。

 

 

主演のアリ役、クリスティーナ・アギレラ(30歳)は、7歳の頃に両親が離婚したために祖母の住むペンシルベニア州に移り住んでいます。

  

 

クリスティーナは、主役のアリと共通する部分があったためか、映画初主演とは思えない素晴らしい演技を見せてくれていました。

  

 

実際のクリスティーナは、1999年、19歳で歌手デビューし、アルバムがいきなりグラミー賞の最優秀新人賞を受賞している実力派です。

  

 

映画の最後にスターとなった彼女が踊って歌うシーンがありますが、その迫力は、日本人歌手には真似できないパワフルなものでした。

  

 

バーレスククラブのオーナー、テス役のシェール(64歳)は、1987年に女優としてアカデミー賞主演女優賞を、1998年には歌手としてグラミー賞を受賞している大物で、こちらの歌唱力もさすがでした。

 

 

映画の中盤で、シェールの独唱シーンがありますが、年齢を感じさせない素晴らしいものでしたね。

 

 

バーレスククラブの衣装係役のスタンリー・トゥッチ(50歳)は、1998年にゴールデン・グローブ賞主演男優賞の受賞者、2006年公開の「プラダを着た悪魔」でも似たような役を好演していました。(左がスタンリー)

 

 

バーレスクは、今ニュー・バーレスクとして再びアメリカで活況を呈しているようですが、日本の映画館でも十分その迫力ある舞台を楽しめるようです。



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 大阪市長杯世界スーパージュニアテニスの男子シングルス準決勝戦では、待望の日本人選手が勝ちあがっていました。




その選手は内山靖崇(第2シード)、1992年8月生まれなのでまだ18歳、身長が183センチと、錦織よりもさらに5センチ高い選手です。




日本人の男子テニス選手は、170センチ前後と小柄なので、190センチクラスの世界トップと戦うにはハンディがありますが、183センチなら何とか通用するのではないでしょうか。

フォアハンド




もうじき21歳となる錦織が伸び悩んでいる日本男子テニス界ですが、伸び盛りの内山にはこれから期待できそうです。

バックハンド




さて、内山の男子シングルス準決勝戦の相手は中国の
欧陽博文選手(第3シード)、中国人にしては大変マナーの良いさわやかな選手でした。

内山のサーブ




ジュニアの試合でも、審判の判定にクレームをつける選手を多く見かけましたが、
欧陽選手にはそれが無く正々堂々としていました。




それでは、その
欧陽選手のパワフルサーブを紹介しましょう。




トスしたボールにラケットがヒットする寸前ですが、
欧陽選手の目はまだボールをしっかりと見ています。




ヒットした直後のボールは、急加速され飛んでゆきますのでブレで写っています。




試合は内山選手(こちら向き)が勝利しましたが、敗者でありながら
欧陽選手の退場時には観客から大きな拍手がありました。




翌日の決勝戦では、第2シードの内山が、第1シードのパビック(クロアチア)を破って優勝していますので、やっと将来が楽しみな日本人選手が出てきました。



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 靱テニスセンターで大阪市長杯世界スーパージュニアテニス女子シングルス準決勝戦を見てきましたので、その写真を紹介しましょう。

サルニコワ




女子シングルス準決勝センターコートでの戦いは、ロシア人ダリア・サルニコワ(第4シード)対、小柄な日本人小和瀬望帆(第7シード)の戦いとなりました。

小和瀬




サルニコワは16歳、日本の小和瀬望帆は、去年全国中学テニス選手権女子シングルスで優勝した高校1年生なので同年齢同士です。




サルニコワは、体を生かしたパワフルなテニスが持ち味で、16歳の女性とは思えない鍛え上げた筋肉をしていました。




バックハンドショット後のフォロースルーを見ると、体全体を使って思い切り振りきっていることが判ります。




小和瀬望帆は、小柄ながらサルニコワに一歩もひけを取らないストロークで圧勝、決勝戦に進出です。

小和瀬のサーブ




女子シングルス準決勝のもうひとつの戦いは、ベラルーシのイロナ・クレメン(第3シード)対中国のZHENG・saisai(第1シード)でした。

ZHENG




シード順位が上のこちらの試合は、無料で開放された第1コート、シード順位が下でも日本人選手の試合は、有料のセンターコートと、主催者が合理的に試合会場を決めていましたね。

クレメン




クレメンのフォアハンドショットが、ボールに当たった瞬間を写真に捕えてみると、ボールが半分の大きさに凹んでいることが判ります。




この試合は、第1シードの中国選手、ZHENG(漢字では鄭か)が勝利、翌日の決勝戦ではZHENGが小和瀬を破って優勝しています。



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 今年の大阪市長杯世界スーパージュニアテニス女子ダブルス決勝戦を靱テニスセンターで見てきました。




今年の女子ダブルス準決勝は、長身のロシア人ペア(エカテリーナ・セメノワ、ダリア・サルニコワ)対日本人ペア(加藤未唯、穂積絵莉)の戦いとなりました。




サルニコワとセメノワは共に16歳、日本の穂積は16歳、加藤は15歳ですが、ロシアペアが大きいので小柄な加藤が子供に見えてしまいます。

加藤




サルニコワは、この試合の前のシングルス準決勝で敗退しましたが、ダブルスでは決勝に進出、体を生かしたパワフルなテニスが持ち味です。




セメノワは、背が高く、強烈なサーブとストロークの持ち主で、特にスマッシュの破壊力は抜群でいた。




15歳の加藤未唯は、小柄ながらロシアペアに一歩もひけを取らない素晴らしいストロークとサーブを見せてくれました。

加藤のサーブ




穂積絵莉も安定したストロークが持ち味で、この試合では相手の強烈なパスを素早い動きのポーチで何本も決めていました。




試合は第一セットを日本ペアが取り、第二セットはロシア、最終セット(タイブレーク10本)にもつれ込む展開となりました。


常に明るい表情の加藤



その結果、は下の写真の通り・・・・・・選手の表情に明らかなように、日本人ペアの見事な勝利に終わったのでした。




この試合で印象に残ったのは、大柄なロシア人に真っ向から勝負を挑み、全く引けを取らなかった15歳の加藤未唯でした。将来が楽しみな選手です。

加藤のサーブ




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 今年も恒例の大阪市長杯世界スーパージュニアテニスの季節となりましたので、仕事の合間を見つけ、女子ダブルス準決勝戦を見てきました。




今年の女子ダブルス準決勝は、長身のロシア人ペア(エカテリーナ・セメノワ左、ダリア・サルニコワ右)対日本人ペア(伊藤夕季、大前綾希子)の戦いとなりました。




サルニコワとセメノワは共に16歳、日本の伊藤は17歳、大前はもうじき18歳という年長ペアですが、ロシアペアが大きいので伊藤と大前が子供に見えてしまいます。




伊藤と大前(共に身長
157cm)に比べると、ロシアペアは20cmくらい背が高く、手足が長いのでサーブとストロークは強烈でした。(サルニコワのサーブ)




ラケットにボールが当たる瞬間を写真に撮るのは難しいのですが、このセメノワのサーブでは、なんとかものにできました。




ロシア人の女子テニスプレーヤーでは、シャラポワはじめ美人揃いで有名ですが、この二人もなかなかの美形でした。サルニコワ




しかし試合に集中し、フォアハンドでボールを強烈にヒットする時、その表情は一変するのです。サルニコワ




サルニコワのバックハンドは、唇をかみしめて思い切り体を捻って、しっかりボールを見ています。




さらに上半身と腕を思い切り回転させ、相手のコート深く突き刺さる、パッシングショットを何本も決めていました。




伸び盛りのロシア16歳ペアは、決勝戦でも日本人ペア(穂積絵莉、加藤未唯)が相手ですが、その勢いを止めるのは至難の業ではないかと思います。




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先日見た映画「13人の刺客」のリーダーは、老中土井利位(平幹二朗)に指名された目付の島田新左衛門(役所広司)、サブリーダーは、徒目付組頭の倉永左平次(松方弘樹)その次が小人目付組頭の三橋軍太夫(沢村一樹)です。 (写真はYahoo映画から)


旗本、御家人の監視、諸役人の勤怠や政務全般を監察する目付の定員は、10名、役料は1000石、配下に徒目付、小人目付がおかれ、後に大坂町奉行など遠国奉行に昇進するものが多かった花形役職でした。



 

また目付は、幕府最高権職老中の非違行為や政治失策まで摘発して、絶対権力者の将軍に上申できたといいます。



 

1701年、吉良上野介を切った浅野内匠頭は、即日切腹を命じられますが、その決定に喧嘩両成敗であると異を唱えたのも、当時の目付(多門伝八郎)でした。



 

多門伝八郎の意見は、結局却下されますが、目付として思う意見を申したのは職務に忠実で宜しい、と直属上司の若年寄から逆に褒められているのです。



 

旗本、御家人の総数は、22544人(1705年の記録)、このうち目付の下役となる下級官吏は4000人もいて、その権勢が強大だったことが想像できます。「江戸時代御目付の生活」



 

今の官僚組織に目付に該当するものはありませんが、警察組織に無理にあてはめれば、目付は警視監、徒目付組頭がたたき上げの警視正、小人目付組頭が警視クラスに該当するのかも知れません。



 

映画では、役所広司扮する島田新左衛門が魚釣りをしながら、きままな生活を送っているように描かれていましたが、実は現代の警視監同様かなりハードだったようです。



 

この映画は、1963年公開された映画のリメーク版で、47年前の映画の30分に及ぶ13人対53人の戦いが、50分間の13人対300人に拡大されていました。



 

この映画の時代設定から16年後の1860年、18名の刺客が桜田門外で60人の供に囲まれた大老、井伊直弼の暗殺に成功しているので、ストーリーは荒唐無稽とは言い切れないかもしれません。

参考文献:江戸時代御目付の生活 寺島荘二著、目付の基礎的研究 近松 鴻二著



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