リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

がんばるしか道はない

2014年12月09日 | 日々の風の吹くまま
ひと晩中すごい嵐だった。土砂降りの雨に風で、何度も目が覚めたくらい。でも、正午過ぎ
に目が覚めたらまぶしいくらいの晴天でびっくり。環境省の天気予報官が「信じられないよう
な嵐の連続」と評した通りの嵐シリーズ第1弾が通過してちょっと一服と言うところか。ノース
ショアでは140ミリも降ったとか。午後の気温は13度で、平年より6、7度は高いから異常
だな。何だかマザーネイチャーが大むくれで世界中の天気が荒れてる感じ。太平洋北西岸
の冬の名物「パイナップル特急」は金魚のふんみたいにぞろぞろつながって来るからやっか
い。今夜は第2弾。低地では土嚢を積んで高潮に備えているそうだけど、お団子はいくつ?

午後いっぱいのんびりネット世界を散策していて、はっと思い出した。仕事!仕事がある!
オフィスを閉める直前(日本時間午後7時過ぎ)に入って来て、反射的にオッケーの返事を
出したもので、ケロッと忘れていた。明日の午後8時が期限だけど、明日は『メリーポピンズ』
を観に行くんだから、午後4時には納品しないと間に合わない。さして難しくなさそうな社内
文書だからいいけど、もしかしてボケの兆候かなあ、これ。知らないよ、ほんと。まあ、がん
ばるしか道はない・・・よね。

例の寄付好き夫の愚痴トピックは、寄付自慢はもういい、きれいごと好きだ、はては子供や
老後の蓄えに費用がかかるのに寄付する余裕などない、といった予想通りの展開。お金を
出しても個人的には評価も感謝もされない「寄付」よりは、受益者の目に見える(感謝される)
「ボランティア」の方が好まれるという感じもする。まあ、羊飼いや狩人が焚き火を囲んで満
天の星を見上げているのと、農耕者が腰を屈め、うつむいて田植えや草取りをしているのと
では、見えるものからして違うから、精神的な視野も違っていてあたりまえで、そこから生ま
れて来た宗教も社会文化も人間観も人間関係のダイナミズムも違うんだから、charityや
philanthropyの概念も違っていてあたりまえ。それでも、世間の目には見えなくても自分に
できることをやって社会の役に立っている人たちは多い。

では、仕事をやっつける前に腹ごしらえ。仔牛のスカロピーニと松茸入りクリームソースの
スパゲティーニと蒸したブロッコリー二のイーニ尽くし。「いいね」としゃれてみるか・・・。

     

そうそう、大晦日までに納品してしまいたい仕事があるのを忘れないようにしないと・・・。

☆サンタクロースは本当にいるのか

2014年12月09日 | 日々の風の吹くまま
 12月8日。クリスマスの季節になると、時間も一気に足を速めるような気がする。ヨーロッパではクリスマス前の4回の日曜日を降臨節とか待誕節とか待降説とか呼んで祝う習慣があるそうだけど、北米はもっぱらクリスマス商戦。最近はアドベントカレンダーを見かけるようになったけど、それもビジネスのうち。アドベントカレンダーは日本でも売られているそうだから、日本のクリスマスシーズンとあまり代わらないかもしれない。ただし、クリスマスイヴは恋人たちのお泊りデートの日なんかじゃないし、クリスマスはフライドチキンとデコレーションケーキを食べる日じゃないから、似ているとしたらそれは12月23日までの話だけど。

キリスト教圏ではクリスマスは復活祭と並ぶ教会の重要な年中行事で、元々はキリストが生まれたとされる12月25日から12日間続く「降誕節」。日本では翌26日にはさっさとクリスマスツリーを片付けてお正月の準備に入るけど、キリスト教の伝統的な習慣では、東方の三賢人が贈り物を持って訪れたという1月6日のEpiphany(公現祭とか主顕節とか呼ばれる)まで飾っておいてもいいことになっている。(お正月は特に何もしない。)このEpiphanyの前夜が「Twelfth Night」(十二夜)と呼ばれて、中世の頃は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをやったらしい。考えるに、大晦日にどんちゃかパーティをやって新年を迎えるのはこの十二夜の習慣が数日シフトしたってことなのかな。

でも、総じて見れば北米もかなりまじめな気持でクリスマスを祝っている方だと思う。この時期に小さい子供を持つ親たちが戦々恐々とするのが「サンタクロースはほんとにいるの?」と言う質問。どんなにサンタさんを信じて疑わなかった子供でもそのサンタの正体を知る時が来る。まあ一種の通過儀礼とも言える素朴な質問なんだけど、答に詰まってしまう親が多いらしい。子供のかわいい夢を壊したくない。かといっていずれはわかることだし・・・。そんなジレンマに答えてくれたのが「Yes, Virginia, there is a Santa Claus」(そう、ヴァージニア、サンタクロースはいるんです)。19世紀の末に8歳の女の子ヴァージニアがニューヨークで発行されていたThe New York Sun(別名The Sun)という新聞の「よろず質問箱」みたいな欄に書き送った「ほんとのことを教えてください。サンタクロースっているんですか?」という質問に対する論説委員フランシス・チャーチの回答の中に出て来る有名な一文。

8歳の子供からの素朴な質問に真摯に答えた姿勢だけでもすごいと思うのに、それを『Is there a Santa Claus?』と題する社説として掲載したのはもっとすごい。「愛や寛大さや献身が存在していて、その豊かさが人生に最高の美と喜びを与えてくれるように、サンタクロースも存在するのだ」と答えたのが、The Sunが休刊するまで50年以上も毎年再掲載されるほど有名になった。子供にやさしく説き聞かせるような口調ではあるけど、読めば読むほど実は大人たちに聞かせたかったんじゃないかと思えて来る。サンタクロースを見た人がいないからと言って存在しないという理屈にはならないし、妖精の姿が見えないからと言ってそこにいないという証拠はない。もし実際に見えるものしか信じないのなら、人は肌に感じることと目に見えることからしか喜びを得られなくなってしまう。この世の本当の真実というものは大人にも子供にも見えない(けれども確かに存在する)。

このあたりは、サンテグジュペリの珠玉の名作『星の王子様』の中で、きつねが王子様に教えた「On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux」と通じるものがある。フランス語の本しかないので正規の日本語訳はわからないけど、「心で見ないとはっきり見えないよ。ものごとの本質は目には見えないんだよ」と言っている。つまり、サンタクロースはキリスト教的な精神性の象徴として人の心を豊かにする存在だということで、charityに「恵んでやる」という傲慢さが感じられないのはそういう基盤があるからだろうな。星の王子様にそれを教えたきつねはアナログきつねだったんだろうな。「1でなければ0」のデジタルはりねずみには想像すらできない観念だと思うから。

クリスマスシーズンになると、子供や孫はいないし、街の華やかな飾り付けやイルミネーションに感動することもないのに、ワタシは未だに心を弾ませる。仮死状態で生まれたワタシが生きることになったのはクリスチャンの助産婦さんの祈りを神様が聞き届けてくれたからだという思いがあるし、教会が経営する幼稚園で毎日神様に祈り、日曜学校で神様の話を聞いていてキリスト教に感化されたのも事実なんだけど、それだけではなくて、小さい頃に父がどこからか材料を調達して来て飾ってくれたクリスマスツリーの針葉樹の香りや耳を澄まさないと聞こえないかすかな音を立てて点滅するクリスマス電球が「幸せの原風景」としてワタシの心に鮮明に焼き付いているということも大きいと思う。

あれは昭和30年頃の近所ではどの家もクリスマスなどやらなかった時代のことだった。クリスマスにはサンタクロースからのプレゼントもちゃんと届いた。不思議なことに、夏の間デパートでねだっては母に「触らないで見るだけ!」と買ってもらえなかったおもちゃのひとつが枕元に置いてあった。子供心に母がサンタにお願いしてくれたんだろうと思っていたけど、あの太っちょのサンタがどうやって石炭ストーブの細い煙突を通って来たのか不思議でしかたがなかった。しかも夜でも完全に火を消さないからストーブは熱いし、大きなサンタが入れるような大きさでもない。小さな頭で考えあぐねて出した結論は、「お父さんが外でサンタが来るのを待っていて、煙突が細くてすみませんねと言いながらプレゼントを受け取ってくれたんだ、きっと」。

サンタクロースはもうプレゼントを持って来なくなったし、カレシと2人きりの暮らしだけど、それでも毎年いろいそとクリスマスツリーを飾るのが楽しい。考えてみると、ワタシのキリスト教寄りの思想の根底にはあの幸せな子供の原風景があると思う。(父には神道と仏教の他にキリスト教の行事も経験させておいて、大人になったら自分で決めさせようという心積もりもあったらしい。)もっともワタシは戒律だの儀式だの宗派だのという窮屈な「宗教」は性に合わなくて好きになれないので、聖書はほとんど読まないし(旧約聖書は好きだけど)、礼拝にも行かないで(教会は好きだけど)、イエスが山の上で説いた「アガペー」を自分なりの「信仰」の拠りどころにしている。アガペーは目には見えない。そこに本当のサンタクロースがいるという気がする。そう、ヴァージニア、サンタクロースは見た人がいなくてもちゃんといるの。あなたの心の中にね。