徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

藤沢大庭城址公園

2013年05月29日 | まち歩き

大庭城址公園は、10年ほど前に、大庭城跡地の自然を利用して作られた公園である。
建物らしきものは一切残っていない。
藤沢市のHPには、大庭城について次のような説明が掲載されている。
「この城は、かつて平安時代、この付近を領有した大庭氏が築いたものと伝えられ、太田道灌(どうかん)が修築し、15世紀末から16世紀初頭には、道灌の主たる扇谷上杉定正・朝良の父子が相継いで居城したが、永正9(1512)年北条早雲の攻略するところとなり、廃城したものと言われる。」
100_1276_r
平安時代の末期、この地は大庭御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園であった。
御霊神社の祭神・鎌倉権五郎景政によって開発され、現在の寒川町、茅ヶ崎市、藤沢市にまたがる相模最大の御厨だった。そののち子孫は大庭氏に改姓した。
城を築城したのは鎌倉権五郎景政の孫の大庭景宗と言われている。
大庭景宗は、大庭影義、大庭景親の父である。
1144年(天養元年)、源義朝が大庭御厨に乱入し、大規模な収奪を行った。以後、大庭御厨および大庭氏は、源氏の支配下に置かれることになった。
1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、兄の景義は頼朝に従い、弟の景親は頼朝に敵対した。源平の合戦でどちらが勝つにしても「大庭の家を残す」という思惑があったといわれている。
生き残った兄の景義は、大庭御厨の懐島郷に館を構えた。
この館址が神明大神宮で、本殿裏には懐島館址碑と景義の像が建てられている。
大庭氏は1213年(建保元年)に起こった和田合戦で、景義の子景兼が和田義盛に味方し滅びてしまう。
100_1224_r
昨年の5月27日、大庭城址公園のトイレで痛ましい事件が起きた。
父親が擁護学校小学部3年生の娘さんを道連れに無理心中を図ったのである。
どんな事情があるにせよ、子供が殺されるニュースほどやるせないものはない。

お気に入り名盤! ダイナ・ワシントン:Dinah Jams

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長南カントリークラブ(千葉県) | トップ | みのり食堂 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事