徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

熊野古道・伊勢路 伊勢神宮

2024年02月23日 | 旅行記

翌朝、伊勢神宮に向かう。那智勝浦駅8時55分発の特急南紀4号に乗車し、松阪駅まで2時間半。そこで近鉄に乗り換え、伊勢市駅までは14分の長旅だった。熊野信仰が最も盛んだった平安時代末期から鎌倉時代初期には、列をなして伊勢から熊野を目指して歩いたというのが信じられない気持ちだ。

伊勢神宮外宮までは伊勢市駅から直線で500mぐらい。雨模様にも拘わらず、かなり混んでいた。正宮を参拝し、別宮に向かう途中で雨が強くなった。傘を差しての参拝は煩わしく、土宮と風宮だけになった。御朱印は、伊勢外宮の御朱印に日付を手書きした簡素なものだった。
伊勢神宮外宮
外宮前から内宮行のバスに乗車。12時半を過ぎていたので、昼食を先に取ることにして、神宮会館前で降りた。「おかげ横丁」にはここが近い。伊勢うどんの名店「ふくすけ」に行った。

長い行列ができていた。意外に回転が早くて、それほど待つことなく食事にありつけた。注文したのは「かけうどん」600円。ネットでは「不味い」という書き込みも多かったが、そんなことはなく、普通に美味かった。
ふくすけ
混雑する「おはらい通り」を抜けて宇治橋の前に出た。ここも混んでいる。正宮に向かう途中に手水舎があるが、五十鈴川で手を洗い清めるのが昔からの参拝方法だという。そのようにしようとしたが、雨のせいか水が濁っていて、少し躊躇した。
五十鈴川
正宮の階段の上から係員が大声で注意喚起していた。階段から上は撮影禁止だとか、参拝は並ばなくていいとか、叫んでいる。神聖な雰囲気が台無しだ。内宮の御朱印も外宮と同じだが、手書きの日付は外宮よりも下手だった。
伊勢神宮内宮
参拝後、おはらい通りの「赤福本店」で赤福でお茶をする予定だったが、長い行列。諦めて、隣の五十鈴茶屋を覗いたら、ここにも赤福と抹茶のセットが用意されていた。少し待っただけでありつけた。

 

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熊野古道・伊勢路 ホテル浦島

2024年02月22日 | 旅行記

この日の宿泊は那智勝浦のホテル浦島である。レンタカーを返却してから、ホテル浦島の送迎船乗場まで歩いた。送迎は船とバスがあり、時間帯によって分かれている。この時間は船だった。対岸にホテルが見えており、乗船時間は10分もなかった。
ホテル浦島送迎船
それほど大きなホテルには見えなかったが、中に入るとフロント・ロビーの前にローソンがあるのに驚いてしまった。さらに受付の前には、空港の搭乗口のようなロープ・パーティションが設置されていた。館内放送で旅行代理店の名前が流れていたから、団体客がメインなのかもしれない。
ホテル浦島
館内の案内図を見ると、今いるのが本館で、この他に外から分からない所に別館が3棟もあった。この日の宿泊は日昇館という名前の別館だった。昭和感満載の館内を延々と歩いて移動する。日昇館にもフロントがあり、ここで部屋のキーをもらう。そこから部屋までも結構歩く。
洞窟温泉
部屋は太平洋を眼下に望む12畳の和室で、悪くはなかった。温泉は5ヶ所あり、そのうち2ヶ所が洞窟温泉である。微かに硫黄臭がする硫黄泉で、浴室の先端が露天になっているせいか、ややぬるめである。5ヶ所ある温泉のうち3ヶ所以上に入ると粗品が貰えるというので挑戦。粗品はホテル浦島の入浴剤だった。

食事は朝夕いずれもバイキングで至極普通、ご当地感は全く無い。宿泊料金が1万8千円ぐらいだから文句も言えないが、名物の熊野牛や本マグロは望むべくもないにしても、めはり寿司ぐらいは出してほしかった。

 

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熊野古道・伊勢路 那智の滝

2024年02月21日 | 旅行記

那智の滝の入口の鳥居から先は結構な下り坂である。那智大社から降りて来たのでさほど急には感じられなかったが、参拝を終えて帰る時、急な坂であることを思い知らされた。
那智の滝
那智の滝は、熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体として崇拝されてきた滝で、落差133m、滝壺の深さは10m、毎秒1tもの水が流れ、落差、水量共に日本一を誇る。実際に見る滝は流石の迫力だった。

熊野は修験者の聖地でもある。那智山全体には四十八の滝があり、1300年前から修験道の行者たちが千日間の滝行を行ってきた。明治政府により禁止されたが、昭和になって復活し、今も修行僧による四十八滝を巡る滝行は続いているらしい。滝行の実体は分からないが、一の滝である大滝に打たれながら読経する姿はとても想像できない。
飛龍神社
お滝拝所で滝を間近に見てから、那智の滝を後にした。帰路は大門坂を歩いて下る。熊野古道の写真でよく使われるのが大門坂だ。
熊野古道
杉の木に囲まれた薄暗い山道を延々と下る。どこまで行っても景色が変わらない。風光明媚な所が少しぐらいはあるものと期待していたが、何もなかった。30分かけて下り切ったものの達成感はなく、信仰心とか思い入れがないと楽しく歩けない場所である。

 

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熊野古道・伊勢路 熊野那智大社

2024年02月20日 | 旅行記

次は熊野那智大社である。那智山の麓の大門坂駐車場に移動する。熊野速玉大社からは30分くらいだ。通常はここに車を停めて大門坂を歩いて登るのだが、自信がないのでバスで移動することにした。

バスの終点まではわずか7分。ここから先は歩かなければならない。那智大社までは467段の階段がある。最近膝痛が再発していたので、ここが登れるのか不安だったが、心配するほどでもなかった。登りきったところに那智大社の狭い境内があった。
熊野那智大社
お詣りできるのは礼殿だけで、その先にある本殿には入ることは出来なかった。御祭神は他ニ山は12権現だが、那智だけは瀧宮を加えて13権現になっている。主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)である。

拝殿の横に回ると三重塔と那智の滝の遠景が見れる。三重塔は昭和47年に再建されたものだが、あると無いとでは大違い、本当に絵になる。
那智の滝と三重塔
拝殿の裏には青岸渡寺の本堂がある。明治の廃仏毀釈を免れた建物で、見るからに古い。1590年の建物で、国の重要文化財に指定されている。時間がなくて外観を見るだけに留めたが、ちょっともったいない気がした。
青岸渡寺
あとは那智の滝を目指して下りるだけだが、ショートカットできる道が用意されている。不揃いの石を敷き詰めただけの道で、歩きにくく、非常に疲れた。遠回りしても車道をダラダラ歩いた方が良かった。

 

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熊野古道・伊勢路 熊野速玉大社

2024年02月19日 | 旅行記

熊野本宮大社から熊野速玉大社までは車で45分。熊野川沿いの山道をひたすら走るものの、ナビの到着時間まで残り10分になっても山道のまま。ナビの行先設定を間違えたかと不安になった。新越路トンネルを抜けると景色が一変、急に都会になった。山を背景にした神社へ向かう路は雰囲気がとても良い。予定通り参拝者駐車場に車を停めた。観光バスも停まっていたのに、なぜかここも人はまばらだった。
熊野速玉大社
御祭神は熊野本宮大社と同じだが、こちらの主祭神は熊野夫須美大神(イザナミ)と熊野速玉大神(イザナギ)である。12柱を祀る本殿は立派だが、朱色も鮮やかで真新しい。実は1968年(昭和43年)に再建されたもので、もとの社殿は打ち上げ花火が原因で1883年(明治16年)に全焼してしまったらしい。写真撮影に関する規制もなかった。
熊野速玉大社本殿
静かに耳鳴り完全治癒を願い、帰りがけに御朱印とお守りを購入。熊野三山の御朱印ではここが最も達筆だった。

 

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熊野古道・伊勢路 熊野本宮大社

2024年02月18日 | 旅行記

白浜町から熊野本宮大社までは車で1時間20分の距離である。朝霧が立ち込める何も無い山道を延々と走り、時折、小さな集落が現れる。熊野川の河川敷が見えた辺りから交通量が多くなった。そこから上流に向かって少し走ったところに熊野本宮大社があった。
熊野本宮大社
和歌山県世界遺産センターの駐車場に車を停めた。予想に反して人はまばらだった。世界遺産登録20周年を記念して、横綱照ノ富士の奉納土俵入りが2月24日に行なわれるらしく、そのことを伝える看板が建てられていた。

熊野大神のお使いとされる三本足の八咫烏が至る所に飾られ、やたらに目につく。参道の階段を登った先に本殿に通じる神門がある。本殿内は撮影禁止だと思っていたが、SNSやブログなどに掲載しなければ撮影してもよいことになっていた。緩和されたらしい。
熊野本宮大社神門
本殿(上四社)は5つの社殿があり、左から家都美御子大神(スサノオ)が御祭神の第三殿、速玉(イザナギ)の第二殿、牟須美(イザナミ)の第一殿、天照(アマテラス)の第四殿、結びの神(ハ百萬の神)の第五殿が並んで立っている。主祭神は家都美御子大神である。中央にある第一殿の前では奉納相撲の土俵作りが行われていた。

第一殿から順に参拝するのがしきたりである。願い事は皆同じで、昨年8月に発症した耳鳴りの完全治癒を神頼みした。
大斎原
もともとの社殿は熊野川河川敷の大斎原(おおゆはら)というところにあったが、明治22年の大洪水でほとんどの社殿が破壊されてしまった。災難を免れた上四社だけを今の場所に移したということらしい。

跡地には巨大な鳥居が建てられている。2000年に建てられたもので、大きさは日本一だという。畑の中にポツンとそびえ立つ大鳥居、Googleマップで見たときも異様に感じたが、直接見た印象も気味が悪いだけだった。

 

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熊野古道・伊勢路 南紀白浜

2024年02月17日 | 旅行記

江戸時代以降盛んに歩かれるようになった「熊野古道 伊勢路」は、伊勢神宮から熊野三山を詣でるために通った信仰の路である。熊野参詣道のひとつとして世界遺産に登録されている。

もちろん、自分には歩けるはずもない距離で、車や電車を利用しての参拝になる。また、賑やかな伊勢神宮らか人里離れた熊野三山に移動するのも物悲しく思えて、逆のルートを辿ることにした。すなわち、JALで南紀白浜空港まで行き、そこでレンタカーを借りて熊野へ移動する。
南紀白浜空港
南紀白華空港の空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。到着ゲートではご当地キャラが出迎えてくれた。左端にいるのが白浜町のご当地キャラで、「しらぺん」というらしい。せっかくだから、熊野に移動する前に白浜を見て回るつもりだったが、わざわざ時間を割いてまで行きたいような場所がなかった。国の名勝に指定されている円月島だけ見に行った。
円月島
円月島は通称で、正式名は高嶋という。空港から車で10分程度走ると見えてくる。朝の9時だが人は誰もいなかった。夕焼けの名所で、朝行くところではないのかもしれない。

 

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大寒波明けの庄内旅行 相馬樓

2023年02月18日 | 旅行記

相馬樓の前身は、江戸時代から200年続いた酒田を代表する料亭「相馬屋」。平成7年(1995年)に閉店した翌年の平成8年(1996年)に国の登録無形文化財に指定された。相馬屋の廃業後、地元の平田牧場が買い取り、平成12年(2000年)に「舞娘茶屋 相馬樓」として開業した。館内の土蔵には京都から北前船で運ばれてきた雛人形などの展示物などがあり、竹久夢二の美術品も鑑賞することができる。

山居倉庫から徒歩5分ぐらいのところにある。
相馬樓
舞妓懐石(5,500円)を事前予約。到着すると、建物2階にある大広間の演舞場に案内され、既にお弁当が用意されていた。治郎兵衛という地元の割烹料理屋からお取り寄せで、ご飯と味噌汁以外は冷えている。さながら駅弁ようだが、不味くはなかった。
酒田舞妓
食事を終えると、酒田の観光ビデオを見せられた。その後、舞妓さんが登場し、舞妓演舞が始まった。短い演舞を3曲観賞したあと、記念撮影をして閉宴。最後に舞妓さんから千社札がプレゼントされた。舞妓さんとのふれあいは20分ぐらいで、その後は自由に館内を見学した。

今回の庄内旅行では相馬樓が一番面白かった。


 

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大寒波明けの庄内旅行 山居倉庫

2023年02月17日 | 旅行記

加茂水族館から山居倉庫までは車で30分。最上川を渡ると急に市街地になり、唐突に山居倉庫の駐車場が現れた。山居倉庫は1893(明治26)年、旧庄内藩主・酒井家が建設した米保管倉庫で、2021年3月には国史跡に指定された。最上川と新井田川の中洲にあり、船運が主力の時代には米の集積・保管に最適な場所だったようだ。12棟が現存し、そのうち9棟が最近まで現役の米倉庫として使われていた。残りのうち1棟は「庄内米歴史資料館」、2棟が「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽」として改装され、一般に開放されている。

写真でよく見る風景は倉庫の裏で、三角屋根に黒い板壁、緑の欅並木がとても絵になる。新緑の頃が一番美しく、今の時期は寒々としていた。
山居倉庫裏
山居倉庫は当時の技術の粋を尽くして建てられた米倉庫だった。欅の木は西日や強風から倉庫を守るため、その他にも、二重屋根など通気を良くする工夫がされていた。とは言え、現代の保管技術には比べるべくもなく、今は最新の冷蔵庫が中に設置されている。

裏から倉庫の外を回り、表に出る。表の姿も悪くない。特に、川の対岸からの景色は北前船で賑わった当時の様子が偲ばれる。
山居倉庫表
「庄内米歴史資料館」は休業中だったが、「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽」には入ることができた。目を引いたのが「おしん」の人形ギャラリー。また「おしん」だ。原作者の橋田壽賀子は山居倉庫に来て、米1俵で売られていく少女の話を思いついたのだとか。「おしん」のお陰で山居倉庫も全国に知られるようになったらしい。


 

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大寒波明けの庄内旅行 加茂水族館

2023年02月16日 | 旅行記

加茂水族館は、あつみ温泉から車で1時間、日本海に面した岬に立っている。クラゲの展示で有名になり、今では年間50万人が訪れる庄内地方屈指の観光スポットである。到着したのは10時前だったが、結構混み合っていた。

順路に従って見学をする。小さな水槽に庄内地方沖に生息する魚の展示が続き、これが意外に面白い。やがて、クラゲの展示が始まる。最初は可愛く感じられたが、進むにつれ、グロテスクになってくる。最後は大きな丸い水槽に無数のクラゲが浮かぶ場所に出る。写真などでよく紹介される場所だ。
加茂水族館
最近は、沖縄の「美ら海水族館」のように巨大な水槽に巨大魚が泳ぐ展示が主流だが、それとは一線を画し、巨大水槽がなくても十分面白かった。

レストランで「クラゲ入りソフトクリーム」を注文したら、黄色い粒がまぶされたソフトクリームが出てきた。クラゲはここでしか食べれないもののように錯覚していたが、中華料理で普通に食べていることを思い出した。


 

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