中学の修学旅行は、金閣寺から始まり法隆寺で終わった。
旅行の前に担任の先生から、お寺のことは事前によく勉強しておくように言われた。
確かに、知って見るのと、知らずに見るのでは、大きな違いがある。
しかし、反抗期の学生の耳には届かず、学校から配られた資料をかろうじて読んだだけだった。
法隆寺の記憶はほとんどなく、鮮明に憶えているのは金閣寺ほうだ。
「あんなものは再建されたものだから文化的価値は無いんだ」
とか言いながら、間近に見ると足が震えるほど感動してしまった。
中学生なんて代物は本当にどうしようもないものだ。
法隆寺に感動したのは社会人になってからだ。
このときは、修学旅行で行けなかったところを重点的に訪問した。
浄瑠璃寺、平等院、唐招提寺、明日香寺、石舞台...最後が法隆寺だった。
風格、造形、すべてが圧倒的で、いままで見てきたものが玩具のように感じられた。
東京に戻ってから、梅原猛の「隠された十字架」を読み、ますます法隆寺にはまってしまった。
あの時以来の法隆寺である。
何故か、とても小さく感じた。
五重塔と金堂はもっと離れていたはずだったし、金堂はもっと大きかったはずだった。
あの時感じた風格もまったく感じられなかった。
中門が工事中だったせいだろうか。
修学旅行シーズンで、境内が中学生が溢れかえっていたせいだろうか。
「隠された十字架」のせいで、勝手にイメージが膨らんでしまったのは間違いない。
正直、来なければよかったと思った。
そうすれば、いまでも特別な場所でいられたはずである。
御朱印は、金堂と五重塔を囲む回廊の東隣にある聖霊院で頂いた。
「和を以て貴しとなす」と書かれている。
ここは、国宝の聖徳太子像を安置するために設けられた伽藍である。
残念ながら、太子像を見ることができるのは、太子の命日である3月22日からの3日間だけである。
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