徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

小さくなってしまった法隆寺

2018年05月24日 | 旅行記

中学の修学旅行は、金閣寺から始まり法隆寺で終わった。
旅行の前に担任の先生から、お寺のことは事前によく勉強しておくように言われた。
確かに、知って見るのと、知らずに見るのでは、大きな違いがある。
しかし、反抗期の学生の耳には届かず、学校から配られた資料をかろうじて読んだだけだった。
法隆寺の記憶はほとんどなく、鮮明に憶えているのは金閣寺ほうだ。
「あんなものは再建されたものだから文化的価値は無いんだ」
とか言いながら、間近に見ると足が震えるほど感動してしまった。
中学生なんて代物は本当にどうしようもないものだ。
法隆寺五重塔
法隆寺に感動したのは社会人になってからだ。
このときは、修学旅行で行けなかったところを重点的に訪問した。
浄瑠璃寺、平等院、唐招提寺、明日香寺、石舞台...最後が法隆寺だった。
風格、造形、すべてが圧倒的で、いままで見てきたものが玩具のように感じられた。
東京に戻ってから、梅原猛の「隠された十字架」を読み、ますます法隆寺にはまってしまった。
法隆寺西院伽藍
あの時以来の法隆寺である。
何故か、とても小さく感じた。
五重塔と金堂はもっと離れていたはずだったし、金堂はもっと大きかったはずだった。
あの時感じた風格もまったく感じられなかった。
中門が工事中だったせいだろうか。
修学旅行シーズンで、境内が中学生が溢れかえっていたせいだろうか。
「隠された十字架」のせいで、勝手にイメージが膨らんでしまったのは間違いない。
正直、来なければよかったと思った。
そうすれば、いまでも特別な場所でいられたはずである。
法隆寺御朱印
御朱印は、金堂と五重塔を囲む回廊の東隣にある聖霊院で頂いた。
「和を以て貴しとなす」と書かれている。
ここは、国宝の聖徳太子像を安置するために設けられた伽藍である。
残念ながら、太子像を見ることができるのは、太子の命日である3月22日からの3日間だけである。

お気に入り名盤! ペギー・リー:Black Coffee


 

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再建中の興福寺

2018年05月23日 | 旅行記

東大寺から興福寺へは徒歩15分ぐらいだ。
9時近くなって、奈良公園には「しかせんべい」の屋台が営業を始めた。
不思議なもので、鹿は屋台の「しかせんべい」を食べようとしない。
「しかせんべい」を買ったお客さんにだけに群がってくる。
最近は「しかせんべい」を食べなくなったと聞いていたが、そんなことはなかった。
奪い取るように食べられてしまった。
中金堂
興福寺は、公園の中に伽藍があるようなかんじで、寺の雰囲気がない。
それは、南大門や、中金堂とその回廊など、中心となる建物が消失してしまったためである。
中金堂は再建中で、10月落慶の予定である。
南大門や回廊の土台も再建されていることから、いずれ建物のほうも再建されるのだろう。
中金堂御朱印
中金堂の事務所で、御朱印を頂いた。
中金堂は「ちゅうこんどう」と読む。
うっかり、「ちゅうきんどうの御朱印をお願いします」と言ってしまい、笑われてしまった。
9時なって、阿修羅像のある国宝館と東金堂を参拝し、興福寺をあとにした。
猿沢の池
中学の修学旅行では、猿沢の池の近くの宿に泊まった。
玄関を出ると、柳があり、その向こうに五重塔が見えた記憶がある。
行ってみると、そのような場所はなかった。
景観が変わってしまったのか、それとも、記憶が不確かなのか、確かめようもない。

お気に入り名盤! ペギー・リー:Black Coffee


 

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早朝の東大寺大仏殿

2018年05月22日 | 旅行記

天橋立から奈良に移動し、翌日、東大寺、興福寺、法隆寺の順に参拝した。
京都・奈良に行ったのはわずかに3回だけで、うち2回は中学・高校の修学旅行である。
いつでも行けると思うと、なかなか行かないものらしい。

東大寺南大門の開門は7時半と早い。
朝一番に行ってみたが、さすがにこの時間は誰もいなかった。
大仏殿は回廊の左側が受付になっている。
受付からしばらく歩くと、青々とした芝生越し、その威容が見えてくる。
この角度から見る大仏殿が妙に新鮮だった。
東大寺大仏殿
お堂の左側から入り、大仏のお参りをしたら、時計回りに堂内を歩いて、右側の出口から外に出る。
大仏をお顔を見るのは3度目だが、テレビや写真で幾度となく見ているので、特別に感慨もなかった。
出口のところで、御朱印を頂いた。
東大寺は華厳宗のお寺なので、「華厳」と書かれている。
大仏殿御朱印
近くに、「柱くぐり」で有名な穴のあいた柱がある。
中学の修学旅行の時、学生服が汚れるのも気にせず、これをくぐった記憶がある。
今見ると、くぐれたのが不思議なくらいの小さな穴である。

お気に入り名盤! オスカー・ピーターソン:The Trio


 

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日本三景・天橋立

2018年05月21日 | 旅行記

城崎から天橋立に向かった。
日本三景で、天橋立だけは行ったことが無かった。
松島や宮島に比べると見所が少なく、山の上の天橋立ビューランドから全景を見るぐらいしかない。
時間を持て余すことは確実なので、伊根にも行ってみることにした。

豊岡駅で京都丹後鉄道に乗換え、終点が天橋立駅である。
1両編成のワンマン列車で、山間の田園地帯を走ること1時間、天橋立駅に到着した。
駅前のバス停から路線バスに乗車し、約1時間で、日出に到着。
ここに、「伊根湾めぐり遊覧船」がある。
空いているだろうと高をくくっていたが、路線バスは座れないほど混み合っていたし、出航直前には観光バスもやってきた。
遊覧船は、ほぼ満員の状態で出航した。
伊根湾めぐり
出航すると、カモメやトンビが群がってきた。
100円のかっぱえびせんが、「かもめのえさ」として売られていた。
空に向かってばらまくと、鳥たちがそれをめがけて一斉に飛びついてくる。
伊根湾に入り、舟屋の家並みがみえてくると、観光案内の放送が流れだ。
しかし、飛交う鳥の群れが気になって、まったく耳に入らなかった。
約30分間の船の旅だが、伊根を観光したという気分にはなれず、少々消化不良だった。
舟屋から漁船で海に繰り出すような、ベタな経験のほうが楽しかったかもしれない。
天橋立
天橋立に戻った。
天橋立ビューランドのリフト乗場までは徒歩5分、山頂まではリフトで6分。
股のぞきをして、写真を何枚か撮れば、他にやることがない。
天橋立ビューランドの滞在時間は20分ぐらいだった。
小天橋
天橋立は全長3.6㎞だから、歩ききるには1時間ぐらいかかる。
帰りの電車の時間がせまっていたので、大天橋の先の砂浜まで歩いた。
下からではただの砂浜でしかない。
ただ、面白かったのは小天橋だ。
船が通る時間になると、橋が90度回転する仕掛けになっていた。

お気に入り名盤! モダン・ジャズ・カルテット:Django


 

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城崎にて

2018年05月20日 | 旅行記

姫路から「特急はまかぜ」に乗って城崎温泉に向かった。
列車は空いていると聞いていたが、その通りで、ほとんど乗客はいなかった。
城崎温泉駅に着くと、日本海に近いだけあって、半袖のTシャツでは肌寒かった。
出入口にいる係員が無料送迎バスに案内してくれる。
この日の宿「湯楽」の名前を係員に告げると、次のバスまで待ってくれと言われた。
送迎バスは2台あり、送り先の宿が違うらしい。
しばらくして、もう一台のバスがやってきた。
城崎温泉湯楽
「湯楽」は新しい旅館で、温泉街のはずれの、民家に囲まれた狭い路地の先にあった。
高級旅館の立地ではない。
外はともかく、館内の設備は充実しており、サービスも悪くない。
料理は盛り沢山で食べきれないほど提供されたが、格別美味いものもなかった。

夕食の前に浴衣に着替え、外湯巡りに出た。
玄関で下駄を借りることにしたが、鼻緒が食い込んで、痛くて歩けそうになかった。
しかたがないので、木のサンダルにした。
下駄よりは楽だったが、それでも長い距離は歩けそうになかった。
昔は普通に履けていた下駄やサンダルがこれほど苦痛になるとは思わなかった。
城崎温泉大谿川
カランコロンと音を立てながら、温泉街を歩いた。
城崎は歴史ある温泉地だが、歴史を感じさせるような雰囲気はない。
昭和の懐かしい温泉街といった風情である。
名物の外湯は7つあるが、駅前の「さとの湯」は2000年に新設されたものだ。
いずれも小さな共同浴場である。

最初に行ったのは、温泉街の中を流れる大谿川沿いにある「地蔵湯」である。
足の擦り傷がヒリヒリするぐらい、お湯はかなり熱かった。
10分ぐらい浸かっていたら、自然と汗が噴き出してきた。
そのぐらいにして、次は「さとの湯」である。
浴衣姿で歩いていても、駅に着いた時の寒さは全く感じなかった。
熱い温泉のせいかもしれない。
「さとの湯」は新しいだけあって、他の外湯よりは設備が立派だった。
再び、温泉街に戻り、「柳湯」に入った。
小さな風呂で、脱衣所も隣と肩がぶつかるぐらいに狭かった。
そして、4件目が城崎を代表する外湯「一の湯」である。
ここから大谿川と温泉街が分れる。
浴衣姿ではしゃぐ外国人も多く、風呂の中にも外国人がいた。
最近はどこにでも来るみたいだ。
城崎温泉一の湯
夕食のあと、「御所の湯」、「まんだら湯」、「鴻の湯」の順にまわり、7つの外湯を完全制覇した。
面白かったのは、「さとの湯」は下駄箱だったが、他の湯は従業員が履物を管理していたことだ。帰ろうとすると、サッと履物を出してくれる。
サンダルに旅館の名前が書かれており、着ている浴衣の柄で旅館名が分かるのだろう。
カラスの行水のようなかんじだったが、本当は熱い湯にじっくり浸かるのがいいのだろう。
次に来る機会があったら、もう少し良い過ごし方が出来そうな気がする。

お気に入り名盤! ソニー・クラーク:Cool Struttin'


 

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奇跡の姫路城

2018年05月19日 | 旅行記

6年前の秋、一度は行ってみたいと思っていた宮島に旅行した。
その時、姫路城は「平成の修理」中で、屋根から巨大なシートがかけられていた。
新幹線の窓からその姿を見て、修理が終わったら行ってみようと思ったのに、この日まで機会がなかった。
今回、たまたま城崎温泉に行くことになった。
新幹線で姫路まで行き、姫路で13時25分発の特急「はまかぜ」に乗り換えて、城崎温泉に向かう。この機を逃さず、乗換の合間に、姫路城に行ってみることにした。

事前に見所などを調べていて気になったのは、待ち時間のことである。
大変な人気で、入城口や大天守入口で入場制限がかかることもあるという。
旅行者にとって、こういうのが一番困る。
混雑を想定して、姫路着9時59分の新幹線にした。
時間がもったいないので、駅から姫路城まではバスを使うことにした。
観光用のループバスを待っていたら、通常の路線バスでも同じ料金(100円)で城の前まで行くことが分かり、出発の早い路線バスに乗り変えた。
大手門前は混雑していたが、肩がぶつかりあうほどの混みようではなかった。
入城口に行ってみないと状況は分からないと思い、先を急いだ。
心配は杞憂に終わり、待ち時間ゼロですんなり入城できた。
大天守も同様だった。
待ち時間を勘案して2時間半の見学時間を想定していたが、待ち時間ゼロだとすると絶対に時間が余る。だから、できるだけゆっくり見て回ったが、1時間が限度だった。

姫路城

天守閣を出て、備前丸のベンチに腰を下ろした。
ここは、天守閣がもっとも間近に見える場所である。
これだけの巨大な建造物が現存していることに感慨を覚えた。
明治時代の廃城令による破却を免れ、第二次世界大戦の空爆による破壊も免れたのは、奇跡としか言いようがない。
熊本城のように天変地異による破壊もあるから、永遠の未来が約束されているわけではない。
今、この姿を見ていられることがこの上ない幸運だと感じた。

お気に入り名盤! スタン・ゲッツ:Getz_Gilberto


 

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布団リネットは最低

2018年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

以前、たぶん2年前、布団クリーニングでリネットを利用したことがある。
その時は、特に問題はなかった。
昨年は、混み合っていて、受け付けてくれなかった。
しかたがないので、別の業者にした。
業者の名前は、「ふとん丸洗いのENDLESS」。
「羽毛 掛布団シングル1枚、羊毛/化繊 敷布団シングル1枚、コタツ敷布団1枚」の計3枚で、10,150円だった。
防ダニ、防カビ加工をつけて、この値段だった。
安すぎるのが不安だったが、まったく問題なかった。
今年も、ここに頼めばいいものを、すっかり忘れていて、布団リネットに発注してしまった。


出したいのは4枚である。
「羽毛 掛布団シングル1枚、羊毛/化繊 敷布団シングル1枚、コタツ敷布団1枚、コタツ掛布団1枚」。
しばらくして、発注キットが送られてきた。
あきらかに、一昨年とは違っていた。
布団袋が小さくなっていたのである。
長さ70cm×幅48cm×高さ37cmで、155㎠しかない。
よくあるサイズだが、掛け布団はともかく、固い敷布団が入るとは思えなかった。
圧縮してから2つ折りにするしかない。
圧縮袋は2枚送られてきて、それぞれに布団2枚を収納した。
厚手の布団が2枚入った圧縮袋の2つ折りなどできるわけがなかった。


布団リネット
リネットにクレームを入れた。
回答は「何とか頑張って入れてくれ」という。
話にならない。
それに、送られてきた専用バッグはHPに記載されているものよりも小さいのである。
正規のものは、長さ70cm×幅50cm×高さ40cmで、160㎠だという。
発注キットを再送するというが、その程度大きくなったところで、状況は変わらない。
結局、布団の枚数を減らして、無理やり押し込んだ。
布団がどうなろうと知ったこっちゃないというかんじだ。

こんな小さなバッグに詰めさせるのは、送料を抑えるためだ。
ユーザが梱包に苦労しようが、布団が皺だらけになろうが、お構いなしだ。
料金は布団3枚に防ダニ加工をつけて、16,600円。
二度と頼まない。

お気に入り名盤! ウェザー・リポート:Black Market


 

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粗悪品だったパール金属のダイヤモンドコート・フライパン

2018年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

以前使っていたのは、ニトリのダイヤモンドコート・フライパンで、これがなかなか良かった。
乱暴な使い方にもかかわらず、2年間、問題なく使えた。
こういうものは消耗品なので2年持てば十分である。
表面のコーティングが剥がれてきて、焦げ付くようになったので、買い替えることにした。
ニトリに行ったが、ダイヤモンドコート・フライパンを扱っていなかった。
しかたがないので、アマゾンでパール金属のダイヤモンドコート・フライパン(HB-316)を購入した。

パール金属ダイヤモンドコート・フライパン

丁寧に使っていたつもりだが、半年も持たなかった。
表面の模様が剥がれてきて、そこから焦げ付くようになった。
今まで使っていたコーティングフライパンの中でも最も短命だった。

後継には、パール金属はやめて、和平フレーズのダイヤモンドコート・フライパンにした。
最低でも1年は持ってもらわないと困る。

お気に入り名盤! 山中千尋:Because

 

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大日向カントリー倶楽部(栃木県)

2018年05月02日 | スポーツ

三菱銀行グループが中核となって事業を進め、昭和51年に開場。
18ホールでオープンし、翌年9ホールを増設して、27ホールのゴルフ場となった。
正平合わせて約2000名の会員が在籍し、その約7割が三菱グループの関係者だといわれるほど三菱色が強かった。
また、過去には男子プロゴルフトーナメント「三菱ギャラントーナメント」が開催されたこともあった。
平成14年(2002年)、業績悪化から債務超過に陥り、外資系ファンド・ローンスターに売却された。
ローンスターのゴルフ事業を担当していたのがPGMで、現在はPGMの管理コースである。
PGMは、その後、パチンコメーカーの平和に売却されている。

5月1日に西コース・東コース、5月2日に中コース・西コースをまわった。
天気は、1日は真夏のような晴天、2日は薄曇りで風が強かった。
起伏はあるが、真っすぐなホールが多い。
設計もワンパターンで、200ヤード付近とグリーン手前にガードバンカ、大きな受けグリーン、そんなかんじである。
OBゾーンは深いので、それほどプレッシャーにならない。
ただ、コースの脇が崖になっている場所がいくつかあり、そこに落とすと大変である。
カートのフェアウェイ走行を許しているので、コースの状態は良くない。
特に印象に残るホールもない。

大日向カントリー倶楽部

意外に手こずったのがグリーンだった。
のっぺりした受けグリーンで、上からは早く、曲がりそうで大して曲がらない。
イメージ通りに転がらず、イライラした。
1日が45、52の97、2日が53、48の101だった。

コースはお世辞にも良かったとは言えないが、風呂は温泉で、食事も美味しかった。
また、料金も安く、総合的には良いコースの部類に入ると思う。

お気に入り名盤! 寺井尚子:Jazz Waltz


 

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