徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

カード収納型iPhone6ケース「PhoneFoam LINE」

2017年05月29日 | 通販・買い物

Phone6のケースを買い替えた。
「PhoneFoam LINE カード収納機能付きケース(エラー防止シート付) for iPhone 6 ピュアホワイト」

素材はポリカーボネートとTPUで、嵌め込むタイプである。
構造はしっかりしているが、外枠は丸みのあるツルツルした加工で、手になじまない。
丸みのせいで縦掛けて置くことが難しく、動画など長時間の視聴には向かない。
サイズは144(縦)×75(横)×11(厚さ)mmで、重さは46gである。
iPhone6本体よりも7mm程度大きく、少し手に余る。
それに、随分重く感じる。
背面にsuicaのICカードが収納できるが、特に問題はなかった。
価格はアマゾンで3,888円だった。
期待していたほど良くなかったという印象だ。

それまで使っていたのは、「クリスタルアーマー手帳型クラムシェスケース Matt for iPhone 6」。

サイズは140(縦)×70(横)×14(厚さ)mmで、重量は45g。
ほぼiPhone6本体と同じ大きさで、手触りも良く、持ちやすかった。
縦掛けて置くことができる手帳型で、動画の視聴も楽だった。
悪くはなかったのだが、わずか1年あまりで表面の合成皮革がボロボロになった。
特に、手帳の背の部分がひどかった。
あまりにも見すぼらしくなったので、買い替えることにしたのである。
iPhoneの機種変が2年毎とすれば、2年ともたないスマホケースはやはり不良品である。


お気に入り名盤! オリバー・ネルソン:The Blues And The Abstract Truth

 

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ロシアゲート

2017年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

妙な言葉が新聞紙面を賑わすようになった。
トランプ大統領とロシアが裏で繋がっているという疑惑だ。

発端は、大統領選中にライバルのクリントン陣営がサイバー攻撃を受けた事件だ。
ロシアがトランプ陣営のために、クリントン陣営の選挙を妨害した疑いが浮上した。
米情報機関は民主党全国委員会をハッキングしたのはロシアだと正式に糾弾した。
これを受けて当時のオバマ大統領は、ロシアの外交官35人を国外追放するなどの対ロ制裁を発動した。
この対ロ制裁の解除について、トランプ政権の大統領補佐官フリンが、政権発足前に駐米ロシア大使と協議した疑いが浮上した。
民間人が米国政府の外交を行うことは法律で禁止されており、この疑惑で、フリンは大統領補佐官を辞任した。

問題は、トランプ大統領の司法妨害疑惑である。
トランプ大統領は、フリンに関する捜査を中止するようFBI長官に要請したとされる。
しかし、FBIコミー長官はこれを聞き入れず、逆にロシアゲートの捜査費用の増額を司法省に要請した。
その矢先、トランプ大統領から突然FBI長官を解任されたのである。
司法への政治の介入は民主主義の根幹を揺るがす。
ニクソン元大統領はウォーターゲート事件の捜査に介入したが、逆に弾劾訴追が避けられなくなり、辞任した。
米議会ではこの司法妨害疑惑を重大視し、大統領弾劾を求める声も上がっている。
これに加え、トランプ大統領はホワイトハウスでロシア外相らと会談した際、「イスラム国」に関する機密情報を漏らしたという。
これは米国の同盟国が入手した情報で、ロシアと共有する許可を米国に与えていない情報だった。
国家安全保障問題担当補佐官は既知のことしか伝えていないと反論したが、誰も信用していない。
超大国のリーダーとしての資質が改めて問われそうだ。

アメリカでは、政権交代に従って首を切られる官僚(政治任用)は約3000人いる。
政権発足から6か月を経過しようというのに、未だに数百の上席ポストを埋められずにいるという。
官僚機構が機能しないから、次々と持ち上がる問題に専門的に対処できないのである。
まるで、日本の民主党政権のようだ。
多くの期待を集めて政権交代を実現したにもかかわらず、その運営はあまりにも稚拙で、やがて自ら瓦解した。
官僚機構がサポートしなかった点も類似している。

ロシアスキャンダルの再燃で、17日のダウは300ドルを超す暴落になった。
インフラ投資や減税などの政策遂行が遅れるという失望売りだ。
しかし、暴落は1日だけで、翌日からは正常化した。
政策遂行を心配するよりも、大統領辞任のほうが早いと見たのかもしれない。


お気に入り名盤! ラリー・カールトン:Larry Carlton

 

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わたらせ渓谷の旅 日光・神橋

2017年05月09日 | 旅行記

今宵の宿は宇都宮である。
足尾からは日光経由で宇都宮に向う。
日光までは、国道122号を使って30分ぐらいの距離である。
国道122号と並行して流れる川は神子内川(みこうちがわ)といい、足尾本山精錬所の前を流れる松木川と合流して渡良瀬川になる。
神子内川沿いを走っているのは分かっていても、木が邪魔で、車から川面が見える場所はほとんどなかった。
やがて、2,765mの長い日足トンネルに入り、そこを抜けるとようやく日光になる。

せっかくだから、日光二荒山神社に立ち寄って御朱印を頂くことにした。
日光二荒山神社には御朱印がもらえる場所が7箇所もあるという。
7箇所回らなくても、社務所では7箇所の御朱印がまとめて頂けるらしい。
ありがたいというよりも、御朱印のバーゲンセールのようで、あまり感心しない。
本殿を参拝して、本殿の御朱印だけを頂くつもりだったが、予定よりも時間が遅れていたので、急きょ場所を変更。
通り道沿いにある神橋の御朱印を頂くことにした。

このあたりは慢性的な渋滞で、車を止められる場所もない。
近くに市営の上鉢石駐車場がある。
ここが満車ならば御朱印はあきらめるしかないが、幸い空きがあった。

御朱印をお願いしてから、参拝する場所を探した。
鳥居が神橋の前にあるので、そちらに拝殿があるのだと勘違いした。
拝殿らしきものはどこにもなく、しかも、鳥居をくぐるのに300円取られた。
妙にいかがわしい。
日光神橋
神橋は国の重要文化財である。
現在の橋は明治37年に再建されたもので、老朽化や洪水などで何度も修復されている。
そのせいか、古橋なのに古さを感じない。
構造は特徴的だ。
ケヤキの大木を岩盤に埋め込み、その先に石の橋脚をつけ、そこに短い橋桁を掛けて骨組みを作り、その上に本体を置くという構造らしい。
近くで見るよりも、真横から見たほうがよく分かるかもしれない。
何をするでもなく、長さ28mの橋の上をただ往復するだけである。
そこにありがたみを感じないかぎり、馬鹿馬鹿しいと思うだろう。
馬鹿馬鹿しいと思った。
日光神橋御朱印
神橋から戻ると、御朱印ができていた。
こちらは出色の出来栄えである。

お気に入り名盤! ハンク・モブレ:Workout


 

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わたらせ渓谷の旅 足尾本山精錬所跡

2017年05月08日 | 旅行記

足尾駅から足尾砂防ダムのある銅親水公園に向かった。
その手前に、足尾銅山操業の中心地である足尾本山精錬所がある。

足尾銅山を世界遺産に登録しようという動きがある。
前提として、国内法による法的保護、すなわち史跡の指定が必要である。
この世界遺産登録運動の中で、2008年3月、国の史跡(足尾銅山跡、通洞坑、宇都野火薬庫跡)に指定された。
これで朽ち果てるがままに放置されていた足尾銅山の建造物が保全されるはずだった。
実際に行われたことはまったく逆で、行政の指導で危険な建造物が次々と撤去されたのである。
今、「東洋一の大銅山」といわれた本山精錬所は、一部の建物と大煙突が残るのみである。
本山精錬所跡
日本の近代化において足尾銅山が果たした役割の大きさは、軍艦島や富岡製糸場の比ではない。
その偉大な産業遺構は徐々に消滅し、自然破壊と公害の傷跡だけが今も生々しく残る。

足尾銅山鉱毒事件とは、足尾銅山から流出する鉱毒が渡良瀬川沿岸の農漁業に被害を与えた事件である。
大煙突から排出される鉱毒ガスやそれによる酸性雨により近辺の山は禿山となった。
保水力を失った山では洪水が頻繁に起こるようになり、製錬による廃棄物を流し、広範囲な環境汚染を引き起こした。
渡良瀬川流域の農民を中心に大規模な請願・反対運動が展開され、明治20年代から40年代にかけて大きな社会問題となった。
衆議院議員田中正造は国会での追及にあきたらず、職を辞して天皇へ直訴したが、解決されないまま運動は弾圧された。
古河鉱業の加害者責任が認められたのは、実に100年後の1974年(昭和49年)のことである。

今でも、木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩壊している。
崩壊した土砂の流出を防ぐために作られたのが、日本最大の砂防ダム・足尾砂防ダムである。
ダム湖の容積は500万立方メートルだというが、もう、ほとんど埋め尽くされているようにも見える。
本当に大丈夫なのか、心配になった。
足尾砂防ダム
足尾町内には、銅山時代の汚染物質を埋め立てた「堆積場」と呼ばれる施設がある。
2011年の東北大震災で、堆積場の一つ、源五郎沢堆積場が決壊した。
流れ出した汚染物質は渡良瀬川に流れ込み、下流からは基準値を超える鉛が検出された。
足尾鉱毒事件はまだ終わっていない。
足尾の中心街・通洞の町の上部には簀子橋堆積場という巨大な鉱滓ダムがある。
鉱滓ダムとは鉱毒の溜池みたいなもので、万一ここが決壊するようなことが起きれば、通洞は甚大な被害を受けることになる。
安全が担保されないかぎり、世界遺産登録などありえない。

お気に入り名盤! エラ・フィッツジェラルド:Mack The Knife - Ella In Berlin


 

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わたらせ渓谷の旅 足尾駅

2017年05月07日 | 旅行記

足尾町の人口は、銅山全盛の大正時代には38,000人を超え、栃木県内では宇都宮市に次ぐ大都市だったそうだ。
現在の人口は3,000人足らずで、この100年で1/10以下に減少したことになる。
利用者の減少で鉄道の経営も苦しく、万年赤字で、廃止の噂が絶えない。

もとは足尾銅山で産出された銅の輸送を目的につくられた鉄道だった。
1911年足尾鉄道として開業し、1918年国有化されて国鉄足尾線になり、1978年国鉄分割民営化によりJR足尾線になった。
足尾線の終点は足尾駅の一つ先の「間藤駅」で、そこから先の「足尾本山駅」までは貨物専用線だった。
足尾銅山が1973年に閉山したため、JRへ民営化される以前に貨物輸送としての役目は終わっていたらしい。
1989年から第三セクター「わたらせ渓谷鐵道」が経営する「わたらせ渓谷線」になった。
間藤駅から足尾本山駅の間は廃線になっているが、廃止にはなっていない。
廃止にすると鉄道施設を全て撤去しなくてはならず、多額の費用が発生するからである。
逆に、廃線区間を歩くツアーを実施するなど、鉄道遺構を営業に利用している。

足尾駅に立ち寄った。
ここの駅舎も古く、有形文化財に登録されている。
2面2線のホームを有する有人駅で、ホームには自由に入ることができた。
足尾駅
電車の到着時間が近いので、下り線のホームで待つことにした。
ホーム脇の側線には、国鉄時代のキハ30が留置されている。
しばらくして、間藤方面から「わ89-313形」が一両入ってきた。
数人の乗客がいた。
停車すると、駅にいた観光客とおぼしき人達が乗り込み、さらに賑やかになった。
わ89-313形
しばらくして、通洞方面から「トロッコわっしー号」がやってきた。
こちらは誰も乗っていない。
硝子のない1号車は座席定員制で、事前に整理券を購入しなければならない。
トロッコわっしー号
ホームで写真を撮っていた人がアテンダントと交渉し始めた。
おそらく、「整理券はないけど空いているのだから」と交渉しているようだった。
うまくいったようで、満面の笑みで乗り込み、こちらに向かって大げさに手を振った。
でも、たった1駅だけである。

お気に入り名盤! デクスター・ゴードン:Go!


 

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わたらせ渓谷の旅 足尾銅山観光

2017年05月06日 | 旅行記

足尾銅山の発見は1550年(天文19年)と伝えられている。
江戸時代には、幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始され、最盛期には年間1,200トンもの銅を産出していた。
しかし、江戸末期には廃山同然の状態になり、明治になると民間に払い下げられた。
これを買収したのが古河市兵衛という人物である。
枯渇したと思われていた足尾銅山だったが、幸運にも新たな大鉱脈が次々と発見され、20世紀初頭には日本最大の大銅山に成長した。
鉱山業は土木、機械、電気の総合技術が必要な産業で、日本の近代化の出発点になった産業である。
足尾銅山で巨万の富を得た古河市兵衛も経営の多角化を進め、古河財閥を作り上げていった。
旧古河財閥系企業には、古河電工、富士電機、富士通、横浜ゴムなどがある。
足尾銅山は1973年(昭和48年)2月28日をもって採鉱を停止し、銅山発見以来360余年の歴史を閉じた。
閉山後も輸入鉱石による製錬事業は続けられたが、それも1989年(平成元年)に停止した。
浄水場など今でも運営されている施設もあるが、ほとんどの施設は廃墟と化している。

足尾銅山には本山坑、小滝坑、通洞坑の3つの坑口があった。
本山坑から小滝坑はほぼ一直線に繋がっており、この太い坑道に横から接続する形で通洞坑が作られた。
以後、通洞坑周辺に主要な施設が建設されていった。
わたらせ渓谷線の通洞駅周辺が足尾の中心街である。

足尾銅山観光は1980年に観光坑道として開設された。
「かつて日本一の鉱都と呼ばれた銅山の坑内をトロッコ電車に乗って観光できます」、そんな説明があった。
嘘ではないが、正確でもない。
足尾銅山観光1
トロッコ電車は実際に使われていたものではなく、観光用に用意されたものである。
それに乗って、通洞坑から地下に入るのだが、走る距離はわずかだ。
足尾銅山観光2
トロッコ電車を降りると、そこからは歩きになる。
坑道は700mの直線で、地下水が染み出してひんやりとしている。
江戸時代、明治・大正時代、昭和時代の発掘作業の様子が人形で再現されている。
足尾銅山観光3
坑道の先は資料室になっている。
足尾銅山の歴史を綴った映画、使われていた道具や設備、採掘された鉱石、精錬所の模型などが展示されている。
公害や環境破壊に関する展示は一切なかった。
足尾銅山観光4
パンフレットには、周辺の観光地が2箇所紹介されている。
銀山平公園の温泉施設「かじか荘」と砂防ダムのある「銅親水公園」である。
銀山平公園に行く途中に小滝坑跡があり、銅親水公園に行く途中に本山抗跡がある。
3箇所の坑口跡を回ると、銅山の大きさを実感できるかもしれない。

お気に入り名盤! アート・テイタム:Tiger Rag - The Best of Art Tatum


 

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わたらせ渓谷の旅 神戸(ごうど)駅

2017年05月05日 | 旅行記

わたらせ渓谷線の前身・足尾鉄道が開通したのは1911年4月(明治44年)のことである。
当時はトンネルや橋梁を建設する技術が未熟だったため、山肌に沿う様に線路が付けられたという。
結果的に、渓谷美を堪能できる稀有な観光路線になった。
1975年に草木ダムが建設され、230戸の民家とともに鉄道の一部もダムの下に沈むことになった。
新たに付けられた線路は急勾配の草木トンネルで、140mを一気に登っていく。
ここだけは現在の技術である。

草木トンネルの手前にあるのが神戸駅である。
古い木造駅舎は大正時代に建てられもので、国の登録有形文化財に指定されている。
東町を巡る市営バスの路線は5つあり、神戸駅の前にはすべてのバスが停まる。
周辺には、草木ダム(草木湖)、富弘美術館、童謡ふるさと館などの観光施設があり、いずれもバスが利用できる。
観光客にとっては、この駅が玄関口になる。
神戸駅
駅前は閑散としている。
周囲に民家はほとんどなく、駅前に1件だけある旅館も廃墟と化していた。
うら寂しい駅前とは対照的に、駅の中は観光客で賑わっていた。
神戸駅2
神戸駅の特徴のひとつに、「列車のレストラン清流」がある。
かつて東武鉄道日光線を走っていたデラックスロマンスカーの車両をレストランとして使用している。
神戸駅3
店内はセルフサービスである。
自動券売機で食券を買い、厨房で料理を受け取り、それを持って車両に移動する。
車両は厨房を挟んで左右2両あり、右は団体向けの予約席、左は一般席である。
「誰もいないから予約席でもいい」と言われ、予約席に行ってみると、「ここは予約席だからダメ」と言われた。
決め事が徹底されていない。
昼食の時間帯を過ぎていたので、一般席でもすぐ座れた。
それにしても、狭い通路を料理を持って移動するのは難儀なことである。

お気に入り名盤! ブルー・ミッチェル:Blue's Moods


 

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わたらせ渓谷の旅 旧花輪小学校記念館

2017年05月04日 | 旅行記

群馬県の東部、勢多郡はかつて東村といい、周囲を山に囲まれ、谷間の川沿いに集落が発達した。
主要な集落は、南部の花輪、中部の神戸(ごうど)、北部の沢入(そうり)である。
2006年に新田郡笠懸町、山田郡大間々町と合併し、今はみどり市東町になっている。
合併の5年前、2001年に、小、中学校の統廃合が行われ、神戸地区に集約された。
花輪地区の歴史ある小学校、花輪小学校はこのときをもって閉校となった。
直後に登録有形文化財の指定をうけ、現在は旧花輪小学校記念館として運営されている。

旧花輪小学校の開校は明治6年5月(1873年)である。
現在の木造校舎は、日本鋼管の創立者である今泉嘉一郎の寄付により、昭和6年(1931年)に建てられた。
卒業生には今泉嘉一郎の他に、童謡「兎と亀」の作詞をした石原和三郎がいる。
この2人は東町住民の誇りであるらしい。

廃校になった木造校舎では、岡山県高梁市の吹屋小学校が有名だ。
重厚な日本建築の校舎は明治33年(1900年)に建設されたもので、2012年3月まで現役で使用されていた。
また、映画「ハーメルン」で使用された福島県昭和村の喰丸小学校は昭和初期の建設で、こちらも日本的な学校である。
それに対して、旧花輪小学校の外観はとてもモダンである。
今見ても、それほど古さを感じない。
惜しむらくは、校庭に保育園が建設され、この素晴らしい校舎の全景が見れなくなったことだ。
利用できる土地が少ない地域なので致し方ないのかもしれないが、なんとも残念でならない。
旧花輪小学校1
入口のところで、館長が歓待してくれた。
「ここは人気がありましてね、東京からも沢山の方がみえるのですよ」
自慢話のあとに、学校の成り立ちの説明を受けた。
話好きなようで、なかなか解放してくれない。
なんとか話を遮って、校舎の中に入った。
中は典型的な日本の小学校である。
旧花輪小学校2
使っていた教具や子供たちが書いた絵やポスターがそのまま残されていた。
驚いたのは机の数の多さだ。
かつてこの集落には、随分多くの子供たちがいたようである。
旧花輪小学校3
廊下の端にぞうきんがけレースの案内が飾られていた。
廊下をコースに見立て、2組で速さを競っていたようである。
今にも子供たちの黄色い歓声が聞こえてきそうだ。
旧花輪小学校4
無性に懐かしくなった。
小学校低学年のある時期まで木造校舎の教室を使っていた。
思い出すのは、ミシミシと音を立てる廊下、不衛生な汲み取り式の便所、そして、教室の床の雑巾がけである。
鉄筋校舎に移ると、床は音を立てなくなり、トイレは水洗式に変わり、雑巾はモップになった。
当時、それはとても新鮮な喜びだった。
後年、小学校を訪れると、木造校舎はなくなっていた。
多くの時間を費やした鉄筋校舎はそのまま残っているのに、何故か、自分の母校のような気がしなかった。
嫌いだった木造校舎も含め、学校は昔の姿のままでいてほしいと願うのはもちろん我儘だし、叶うはずもない。

花輪小学校は廃校になったことで永遠の姿が保証されたのかもしれない。
卒業生にとって廃校は残念だが、いつでも昔を思い出せるものがここにはある。

お気に入り名盤! バド・パウエル:Jazz Giant


 

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わたらせ渓谷の旅 佐野厄除け大師と佐野ラーメン

2017年05月03日 | 旅行記

一度は乗ってみたいローカル鉄道のひとつが「わたらせ渓谷線」である。
桐生駅から間藤駅までの全長44キロの山岳路線で、渓谷沿いを縫うように走る姿はとても魅力的だ。
しかし、始点の桐生駅までのアクセスが悪い。
茅ヶ崎からだと、電車を乗り継いで、3時間以上かかる。
これが津軽鉄道なら青森、弘前観光のついでに乗ればいいし、只見線なら会津観光ができる。
わたらせ渓谷線には、近隣に立ち寄ってみたい魅力的な観光地がない。
鉄道に乗るためだけの旅になってしまうから、どうしても億劫になる。

今回は烏山城カントリークラブに行くついでに、車で渓谷沿いを走ってみることにした。
東北道を佐野で降り、桐生を抜けて、渓谷沿いを足尾まで鉄道と並走する。
途中、人気のある場所に寄り道をする。

最初に立ち寄ったのは、佐野厄除け大師である。
正式名称は惣宗寺(そうしゅうじ)、青柳大師、川越大師と共に関東の三大師の一つに数えられている。
年末年始には、毎年50万人を超える初詣客が訪れるという。
寺の周辺は駐車場だらけで、参拝者の多さを裏付けている。
しかし、寺自体は想像していたよりもはるかに小さく、門前もさみしい限りだ。
ここに50万人も訪れるとはにわかに信じがたかった。
お参りの仕方も神社の二拝二拍手一拝とはちがう。
賽銭箱の前に置かれた金色の像に上から甘茶をかけ、右側の鐘をついてからお願い事をする。
佐野厄除け大師
この後、御朱印(200円)と魔除けのお札(1000円)を購入した。
御朱印は事前に書置きされていて、自分で御朱印帳に張り付けるのだという。
こんな有難みの無い御朱印は初めてである。
佐野厄除け大師御朱印
佐野といえば佐野ラーメンである。
2強と言われているのが、「おぐら屋」、「万里」。
四天王と言われているのが、「森田屋」「日向屋(ひなたや)」「大金(おおがね)」「大和」。
現在、人気ランキング1位は「日向屋」だという。
ということで、「日向屋」に行ってみることにした。

口コミでは、10時半頃には駐車場が埋まり、10時45分頃から並び始めるという。
御朱印をもらうのに時間がかからなかったので、「日向屋」には10時15分頃着いてしまった。
予定より随分早くついたはずなのに、店の前の駐車場はあらかた埋まっていた。
10時20分に並び始めたので、あわてて車を降りて並んだものの、先頭から12番目ぐらいだった。
10時30分には行列は30人を超え、11時の開店の頃には最後尾が見えなくなっていた。
口コミとは話が違う。

開店と同時に席に着けたが、ラーメンが出てきたのは随分遅かった。
並び始めてから、約1時間が経過していた。
塩ラーメンのような透明感のあるスープで、手打ちのちぢれ麺の上に大きめのチャーシューが乗っていた。
併せて注文した餃子は揚げ饅頭のようなかんじだ。
どちらもとても美味しかった。
日向屋佐野ラーメン
しかし、美味い不味いといっても、600円程度の話である。
大行列を作ってまで食べるものでもないはずだ。
おそらく、行列の大半は観光客で、地元の人はもっとうまくやっているに違いない。

お気に入り名盤! ビル・エヴァンス:Explorations


 

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烏山城カントリークラブ(栃木県)

2017年05月02日 | スポーツ

井上誠一設計の名門コースである。
1973年(昭和48年)に18ホールを完成させ仮オープン、翌年に9ホールを追加完成させ完全オープンした。
かつて関東オープンや日本プロなど数々のトーナメントが開催され、チャンピオンシップコースとして知名度を有した。
しかし、不況の長期化により入場客数の減少が続き、平成14年に約80億の負債を抱えて倒産。
民事再生手続きにより、平成16年から新経営陣により再スタートを切った。
クラブハウスのリニューアルや温泉やレストランなどの付帯設備を増設するなど、その後は順調のようである。
昨年は、日本女子オープンが開催されている。

27ホールは本丸、二の丸、三の丸と名付けられている。
どのホールも、ティーグランドからの視界は開けているが落としどころが限られており、かなりプレッシャーがある。
本丸は地形が悪く、山岳コースに近い。
極端なドッグレッグやアップダウンに加え、砲台グリーンのまわりを顎の高いバンカーが囲むようなホールが多い。
井上誠一設計とは思えない品の悪さである。
二の丸、三の丸はフェアウェイの高低差を抑えた丘陵コースで、視覚的にも絵になるホールが多い。
昨年の日本女子オープンも二の丸、三の丸で行われた。
距離は総じて長く、アベレージゴルファーには少し難しすぎるかもしれない。
烏山城CC
利用するのは2回目で、前回は2010年5月。
このときは、宿泊施設に1泊し、2日間ラウンドした。
初日は二の丸と三の丸でスコアは97、2日目は本丸と二の丸で106だった。
個性的なコースなのに、どういうわけか、ほとんど記憶がない。
今回も前回同様、宿泊施設に1泊し、2日間ラウンドした。
初日は二の丸と三の丸、2日目は三の丸と本丸である。

初日は妙な天気だった。
東京では午後から激しい雷雨になり、和歌山では雹が降ったらしい。
那須烏山の天気も急変し、朝は日が差していたのに、やがて風が強くなり、午後には横殴りの冷たい雨になった。
半袖では耐え難い寒さだった。
この悪天候に加え、ピンの位置が難しく、スコアは115と散々だった。
2日目は一転、風はやや冷たかったものの、絶好のゴルフ日和になった。
しかし、スコアは107で、この日も低調。
本丸はアップダウンが激しいので、2日目にプレイするのは体力的にきつい。
もし次回訪問する機会があれば、本丸は外したほうがいい。

お気に入り名盤! アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ:Moanin'


 

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