徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

コロナ禍の鹿児島旅行 鶴丸城と城山

2021年02月22日 | 旅行記

1月7日に発令された緊急事態宣言のせいで、仙巌園は2月7日まで臨時休業になった。2月7日までなら影響はないと思っていたら、緊急事態宣言が1か月延長され、仙巌園の臨時休業も2月末まで延長されてしまった。観光の目玉がなくなり、あとは再建された鶴丸城の御楼門と城山公園だけになってしまった。

鶴丸城は、1873年(明治6年)には本丸が火事で焼失し、4年後の1877年(明治10年)には二之丸が西南戦争で焼失してしまった。現在では本丸の石垣・堀・庭園しか残っていない。本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。私学校のあった北側厩跡は鹿児島医療センターになっている。2020年に御楼門が再建された。
鶴丸城
見所の少ない場所で、御楼門の背後にある桝形石垣に残る無数の銃弾跡が目につくぐらいだ。御楼門から歩いて5分ぐらいのところに、軍服を着た西郷隆盛像がある。この写真を撮ってから城山に向かった。
城山展望台
城山は標高は107mの小さな山だが、急峻で、江戸時代には有事の際の曲輪が置かれていた。登っていく途中に西郷洞窟がある。展望台は駐車場の裏にあり、歩いてすぐのところにある。この日の桜島も雲に覆われていた。

お気に入り名盤! チェット・ベイカー:Sings

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 加治屋町

2021年02月21日 | 旅行記

指宿から鹿児島市内に戻った。一般道よりは早く戻れると思い、指宿スカイラインを使ったのだが、霧でスピードが出せず、山道で疲れただけだった。

向かったのは、維新の英雄を多数輩出した加治屋町。「牛かつぎゅう太」で昼食を取った後、「維新ふるさと館」に行った。駐車場の前に西郷隆盛の生家跡であり、「維新ふるさと館」の隣に大久保利通の生家跡がある。NHKで放送された「せごどん」では、史実を無視して、西郷と大久保を隣同士にしていた。その他にも、島津斉彬が下級武士と相撲を取ったり、ロシアンルーレットで藩主の禅譲を迫ったり、あまりにも荒唐無稽で、見る気になれなかった。
西郷隆盛生家跡
「維新ふるさと館」には、当時の遺品や写真が数多く展示されているものだと思っていた。ほとんどがパネル展示で、まるで司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の要約を見てるようだった。
大久保利通像
「維新ふるさと館」から少し歩いたところに大久保利通の銅像がある。鹿児島では「西郷さんを裏切った敵」として嫌われているらしい。西郷隆盛像が没後50年を記念して建立されたのに対して、こちらは没後100年である。この像が建立されて40年が過ぎ、その間に、「翔ぶが如く」のようなドラマが作られ、「維新ふるさと館」も作られた。いまでも、鹿児島県民は大久保嫌いなのだろうか。

お気に入り名盤! オスカー・ピーターソン:An Evening With Oscar Peterson

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 砂蒸し会館砂楽

2021年02月20日 | 旅行記

長崎鼻から指宿市街地に戻り、指宿名物の砂蒸し風呂で有名な砂楽に行った。こじんまりした施設で、2階に受付がある。従業員がコロナに感染し営業を中止していた時期があったようだが、特に規制らしきものもなかった。受付で浴衣とタオルを借りて、1階のロッカーで着替える。裸に浴衣を身にまとい、砂むし場まで歩く。浴衣1枚でも寒くはなかったが、公道をこの姿で歩くことには多少抵抗があった。
砂楽
「砂楽」には波打ち際と海岸に2つの砂むし場がある。ガイドブックなどで見かける波打ち際の砂むしは、大潮等の干潮時、気候も砂の状態も良い日だけらしい。ほとんどの旅行者は海岸の屋根付き全天候型砂むし場を利用することになる。
砂蒸し風呂
「砂かけさん」と呼ばれる係の人が砂を掘って準備している。砂はズッシリと重く、手や足がドクドクと鼓動を打ち出した。砂の温度は50度前後と聞いていたが、それほど熱くはなかった。砂むしは10分程度が目安と言われたが、時計がないから確認できない。10分以上は寝ていたように思う。

脱衣所で浴衣を返却し、かけ湯で体についた砂を洗い流す。奥にシャワールームもあったが、水しか出なかった。隣接する温泉で5分ほど入浴して終了。滞在時間は50分ぐらいだった。

お気に入り名盤! ライオネル・ハンプトン:Stardust

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 開聞岳

2021年02月19日 | 旅行記

翌日も曇り空で、時折、小雨が交る。日本最南端の駅、JR西大山駅に向かったが、途中の山並みには霧がかかっており、開聞岳がきれいに見えることはなさそうだと覚悟した。
JR西大山駅に着くと、予想通り、開聞岳は厚い雲に覆われていた。9時11分に指宿行きの列車が来た。開聞岳を背景に、日本最南端の碑とキハ40形の車両の2ショット。この天気がなんともうらめしい。車両は1984年製の140形、赤さびが浮いて老朽化が目立つ。
JR西大山駅
列車を見送った後、長崎鼻に向かった。長崎鼻は薩摩半島の最南端にある岬で、海越しに開聞岳の山容を眺めることができるビュースポットである。それは晴れていればの話で、この日は残念としかいいようがない。
開聞岳
岬に向う道沿いには土産物屋や飲食店が9軒並んでいる。その中に「ナニコレ珍百景」で紹介された「夫婦喧嘩で休み店」がある。1軒でもシャッターを下ろしているとさびれた印象を与えてしまうため、少しでも笑えて楽しめるようにと、休む際には必ず言い訳看板を掲げているというもの。この日は営業しているにもかかわらず看板を出していた。
長崎鼻
商店街を抜けた先に竜宮神社がある。観光用の神社で、御朱印は隣のお土産屋「にしき屋」で購入できる。ただの印刷物だとは思うが、記念に買おうと思っていたのに店が閉まっていた。

その先の灯台のところまで歩いた。灯台の下には岩礁が広がっていて、かなり先まで歩いていけるようだった。よく見ると釣りをしている人がいた。天気がよければ本当に絵になる場所である

お気に入り名盤! スタン・ゲッツ:Bossa Nova

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 指宿温泉錦江楼

2021年02月18日 | 旅行記

明治時代、2万人以上いた桜島の人口は、大正大噴火の影響によって9千人以下に激減し、その後も減り続け、現在は4千人にも満たないらしい。過疎化は全国的な傾向とは言え、噴火と背中合わせの生活を好む人もいないだろうから、人口はこの先も減り続けるのかもしれない。

大正の大噴火は、それまで島の中心であった横山・赤水集落のおよそ1,300戸の家屋を埋没させた。そのときの溶岩原に「道の駅 桜島」がある。帰りのフェリーに乗る前に立ち寄って、名物の「桜島小みかんソフトクリーム」を購入。なかなかの美味。
道の駅桜島
桜島には3時間40分滞在した。このあと、約1時間かけて、宿のある指宿まで移動した。宿泊先は、「こらんの湯 錦江楼」という。以前は「指宿簡易保険保養センター」だったが、2007年3月閉鎖。その後、鈴木商会という会社が買い取って、2008年10月に「錦江楼」の名前で再オープンした。
錦江楼
予約したのは、「黒豚しゃぶしゃぶ付き薩摩和会席、錦江湾を望むシャワーブース付和室10畳」。16,800円/人のプランだったが、人数が5人から3人に減ったので、19,200円/人に変更された。部屋から見る錦江湾の眺望は特筆するほどのものでもなく、10畳の部屋も5人で泊まるには狭すぎた。3人になって幸いだったようだ。料理は格別豪華というわけではなかったがどれも美味しかったし、温泉施設もそれなりだったがお湯は熱めで気持ちがよかった。すべてがほどほどというのが面白い。

お気に入り名盤! ナット・アダレイ:Work Song

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 桜島火山展望所

2021年02月17日 | 旅行記

桜島火山の展望所が3つある。
黒神中学のすぐ先にあるのが「旅の里火山展望所」。昭和火口を間近に見ることができる場所だが、お土産屋を必ず通らないといけない。この日はお土産屋が閉まっていて、展望台入口と書かれたところもシャッターが降りていた。これでは、どうにもならない。

次の有村溶岩展望所に向かった。ここは南岳の麓、有村地区の大正溶岩原に作られた展望所である。大正3年(1914年)の大噴火の際に流れ出した大量の溶岩は、有村村を飲み込み、対岸の大隅半島を陸続きにした。桜島口交差点辺りから大隅半島から来る車で急に交通量が多くなった。有村溶岩展望所には広い駐車場が整備され、トイレや売店もあった。時節柄、観光客はほとんどいなかった。
有村溶岩展望所
桜島の御岳は南北に並ぶ北岳、中岳、南岳から成り、現在も活発な噴火活動を続けているのが南岳である。活動中の火口に近いため、日によっては鳴動を聞くこともできるらしいが、残念ながらこの日は噴煙も見ることができなかった。溶岩原を散策できる遊歩道もあったが、遠目に眺めるだけでやめておいた。

次の湯之平展望所は北岳の西側斜面の4合目付近にある溶岩ドーム上に位置し、桜島において一般の人が入ることの出来る最高地点である。有村溶岩展望所からは距離があり、山を登り始めてからもかなり距離がある。海抜373メートルにある360度を見渡せる展望所だけに風が強かった。
湯之平展望所
ここでも雲に覆われ山容は見ることができなかった。運が良ければ噴火に遭遇できるかもしれないと密かに期待していたのだが…。桜島は噴煙を上げる様子を間近に見れないと他に見所がない。

お気に入り名盤! 大西順子:プレイ・ピアノ・プレイ_ 大西順子トリオ・イン・ヨーロッパ

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 桜島黒神埋没鳥居

2021年02月16日 | 旅行記

「珍満」を出た後、桜島の外周を反時計回りに一周した。左の車窓から見る鹿児島湾は穏やかで、とても海底火山があるようには思えなかった。ここは姶良カルデラといい、桜島火山はその外輪山になる。その昔はカルデラ湖だったが、カルデラの外壁が崩れて海水が流れ込み、今の形になったらしい。

すれ違う車もほとんど無いまま、海岸線を離れて内陸部に入ると民家はほとんど見かけなくなった。やがて、ナビに昭和溶岩の文字が現れた。周辺は昭和噴火(昭和21年)の際に溶岩が流れた場所であり、殺伐とした景色が広がっている。天気が良ければ、2006年以降活発に噴火を続ける「昭和火口」を見ることができる場所だが、この日は厚い雲に覆われて、火口はおろか噴煙の識別もできなかった。

しばらくして、唐突に黒神中学校が現れた。
黒神中学校
黒神埋没鳥居はこの中学の校舎の体育館の間にある。大正の大噴火(大正3年)で噴出した大量の火山灰・軽石によって埋め尽くされたもので、もともとの高さは3mあったという。鳥居だけでなく、周辺の集落も埋没したに違いない。
黒神埋没鳥居
黒神中学は埋没した集落の上に建設されたことになる。この中学の開校は昭和22年だから、昭和噴火の時はまさに建設中だったはずである。噴火による溶岩流をギリギリで免れ、地獄絵図のような状況の中で開校にこぎつけたことになる。そのことほうが驚きだ。

お気に入り名盤! トミー・フラナガン:Overseas (Remastered)

 

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コロナ禍の鹿児島旅行 桜島フェリー

2021年02月15日 | 旅行記

鹿児島までのJALウルトラ先得を購入したのが昨年の3月。新型コロナの国内感染者数が3千人を超え大騒ぎになっていた頃である。あれから1年経って状況は大きく変わった。国内感染者数は40万人を超え、死者の数も7千人を超えた。1日の感染者が3千人を超えることも珍しくない。こんなことになるとは夢にも思わなかった。

毎年2月はゴルフ仲間と温泉旅行に行っている。10年以上続けている恒例行事で、今年は指宿温泉である。鹿児島は緊急事態宣言の対象外とはいえ、この時期の旅行は後ろめたさがある。5人のうち2名はキャンセルし、残りの3名は強行を選択した。強行の理由はJALのキャンセル料。2万円をドブに捨てるのが忍びなかったからである。

鹿児島空港に到着したのが9時50分。寒くはないが、時折小雨が降る曇り空。レンタカーで、桜島フェリーターミナルに向かった。市街地に入る頃には天気は回復し、日も差してきた。フェリーターミナルでは係員に誘導されて乗船。15分の船旅だが、車を降りて客室に移動した。そこから見る桜島は厚い雲に覆われていた。
桜島
船内には「やぶ金」という立ち食いうどん・そば屋がある。昼食は「珍満」を予定していたが、フェリー名物なので、天ぷらそばを注文。そばも天ぷらも特筆するようなものではなかったが、つゆは美味かった。しかし、600円は高すぎる。

桜島で下船すると高速道路のような料金所があり、車と人の運賃が同時に徴収された。昼食を取るために「珍満」に向かった。フェリー乗り場から5分の距離だ。店内は想像していたよりも広く、綺麗だった。先客が1組いた。
珍満
「エビフライと生姜焼き定食」を注文。デカ盛りで有名らしいが、驚くほどではなかった。味は賛否あったが、普通に美味かった。食べ終わる頃には、地元の人で満席になっていた。

お気に入り名盤! フレディ・ハバード:Open Sesame

 

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