徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

さよなら、茅ヶ崎ゴルフ

2017年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

海に面した国道134号線沿いに茅ヶ崎ゴルフ倶楽部がある。
昭和32年開場の9ホールの小さなゴルフ場だが、名匠・上田治が設計したコースである。
隣には、かつてパシフィックホテルがあり、昭和40年代の湘南リゾートの一翼を担っていた。
その茅ヶ崎ゴルフ倶楽部が3月末日をもって閉鎖されることになった。

閉鎖の理由はゴルフ場用地の賃借料だという。
ゴルフ場の土地は、60%が神奈川県、40%を茅ヶ崎協同(株)が所有している。
観光日本(株)という会社が地代を払ってゴルフ場経営を行なっていたが、その賃借料は年間約1.6億円という高額である。
年商4億のゴルフ場にはだだでさえ重すぎる賃借料をさらに大幅に値上げするという通告を受けた。
ゴルフ場側は賃借料の減額交渉を行なったものの不調に終わり、2015年3月での閉鎖を決定した。
その後、市民による反対運動もあって閉鎖は2年間先延ばしされたが、その期限が今年の3月末日なのである。

パシフィックホテルは1989年に倒産し、跡地にはパシフィックガーデンという高級リゾートマンションが建設された。
中古でも高値が付く人気物件である。
また、茅ヶ崎公園野球場の前には三菱地所が建設した高級マンションがある。
こちらも即日完売だったという。
どうやら、国道134号線沿いは茅ヶ崎の一等地らしい。
茅ヶ崎ゴルフ倶楽部の地主サイドは地代はこれでも安すぎると思っているようだし、市も跡地利用のことばかり考えている。
もうどうにもならないらしい。
今からできることは、閉鎖される前にプレイすることぐらいしかない。


お気に入り名盤! レッド・ガーランド:Groovy

 

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初めてのインターネット・プログラミング

2017年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

年が明けてから、VBとACCESSで作ったプログラムのWeb化に着手した。
ゴルフスコアの集計プログラムで、20年以上前に作ったプログラムだ。
Web化できれば、コンペの時はPCを持参する必要はなく、スマホだけあればよくなる。
ただし、これにはMySQLやPHP、さらには、レンタルサーバーの知識も必要になってくる。

まずは、ローカル環境で開発を始めた。
Ajaxの非同期通信に振り回されたが、ともかく、2週間程度で完成した。
終わってみれば、こちらも簡単だった。
いや、簡単だと勘違いしていたと言ったほうがいい。




いよいよ、実行環境をインターネットに移行することになった。
レンタルサーバーを使うのも初めてなので、正直なところ、どのサーバーが良いのか分からない。
まずは、味見の意味で、無料のレンタルサーバーを使うことにした。
契約したのはウェブクロウ。
ディスク容量は1GB、PHPとMySQLが利用可能でDBの容量は50MB。
今回作成したプログラムの容量は1MB、DBの容量は2MBなので、これでも十分なスペックである。
ただし、スマホで利用する時だけ広告が入る。

インターネット環境に移行したら、思い通りに動かなくなった。
原因の多くは、想定外のスピードの遅さと通信エラーの多さである。
ローカル環境とは比べるべくもないのは分かっているが、これほどひどいとは思わなかった。

とりあえず、動かすための変更を行った。
画面の簡素化、通信エラー時のリトライ、DBのアクセス回数の削減、localstorageの活用。
Ajaxの非同期通信は完全に諦めて、すべて同期通信に変更した。
こんな変更でも何とか安定してきた。
結局、VBとACCESSのローカル・プログラミングの感覚で作ってしまったのが、失敗の要因である。
インターネット・プログラミングの基礎をもう少し学んでから始めるべきだった。
今はもううんざりだが、時期を見てもう一度、作り直してみよう。

お気に入り名盤! テテ・モントリュー:Tete a Tete

 

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初めての東京スカイツリー

2017年02月14日 | まち歩き

我が家の菩提寺は浅草にある。
住所は台東区東上野だが、雷門までは徒歩10分の距離である。
法事のあとは、たいてい浅草に出る。
だから、昔から「うちの寺は浅草にある」と言っている。
寺の前の狭い通りから東京スカイツリーがはっきり見える。
前を遮る高い建物がなく、見苦しい電線さえ無ければ、奇跡的な風景である。

東京スカイツリー

東京スカイツリーの開業は2012年5月である。
この年の11月に法事があった。
法事の後、東京スカイツリーに行ってみた。
しかし、この日はあいにくの雨。
空は厚い雲に覆われ、天望回廊のあたりもかすんで見えた。
おまけに強風でエレベータも停止していたため、昇るのは諦めざるを得なかった。

そして、5年ぶりの法事、天気は快晴、抜けるような青空。
この機を逃すわけにはいかない。

展望デッキまでは2,060円。
江戸切子をあしらった高速エレベータが素晴らしい。
まったく揺れず音もしない、ただ耳鳴りがして高速で上昇しているのが分かるくらいだった。
展望デッキは3階構造になっていて、下からフロア340、フロア345、フロア350という。
エレベータはフロア350に到着する。
気温が上がって富士山は見えなくなっていたが、東京の街並みは360度堪能できた。
下のフロアには床がガラス張りになっているところがあり、高さを楽しめるようになっている。

東京スカイツリー展望デッキ

天望回廊へは、別のエレベータが用意されている。
料金は1,060円。
外にせり出したらせん状の回廊は写真でみるほどの恐怖感はなかった。
格子が多いせいかもしれない。
展望デッキから100m上空だが、それほど高さの差を感じなかった。
それに、街並みの風景というのは飽きやすいものらしく、すぐに退屈してきた。

東京スカイツリー天望回廊

それにしても、ゴミ箱をひっくり返したような、統一感のない街並みである。
夜景の方がよさそうである。


お気に入り名盤! ソニー・クラーク:Cool Struttin'


 

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2月の北海道 札幌雪まつり

2017年02月11日 | 旅行記

小樽から札幌に向かった。
札幌は雪まつりの前日だった。

昨年の夏、旅行の予定を組んだとき、雪まつりの開催日はまだ決まっていなかった。
決まるのを待っていては飛行機の予約が取れないので、2月4日からだろうと勝手に推測した。
予想は外れて、「第68回さっぽろ雪まつり」は2月6日(月)から12日(日)までの1週間だった。
週末を2回入れて、2月4日(土)からの9日間したほうがよさそうな気もするが、いろいろ事情もあるのだろう。
ここまで来たというのに、とても残念だった。
もっとも、前日と開催日の違いは、イベントが行われているかどうかぐらいの差でしかない。
雪像は一部を除いて全て見て回れるし、店もすべてオープンしていた。
静かに見て回るには前日のほうがよい、そう納得させるしかなかった。

大通り公園を西4丁目から12丁目までを歩いて見て回った。
4丁目のSTV広場は、ファイナルファンタジーの巨大雪像である。
「決戦!雪のファイナルファンタジー」というタイトルで、巨大な剣を持って戦うクラウドとセフィロスを描いている。
札幌雪祭り「ファイナルファンタジー」
ゲームが発売されたのは20年前だが、近くフルリメイクされるらしい。
ハイレゾ音源対応7.1chサラウンドシステム導入と書いてあったから、明日からは、この巨大な雪像にけたたましい音声が加わるのだろう。
それにしても、真っ白い巨大な雪像は、コントラストがはっきりしないせいか、とても見にくかった。
夜間、ライトアップされた状態で見るのが一番いいのかもしれない。

圧巻は8丁目の「奈良・興福寺 中金堂」。
この大雪像の制作には、延べ3,800人の自衛隊員が投入されたという。
札幌雪祭り「中金堂」
「奈良・興福寺 中金堂」は、興福寺伽藍の中心となる最も重要な建物で、和銅3年(710年)に、藤原不比等により創建された。
平安時代以降、7回もの焼失、再建を繰り返したが、享保2年(1717年)の焼失後は再建がままならず、放置されていた。
そして今、平成30年(2018年)の落慶を目指して、復元工事が進められている。
落慶よりも1年早く、「雪像で復元してみました」という趣向である。

小雪像では9丁目のピコ太郎が人気になっていた。
よく似ている。
札幌雪祭り「ピコ太郎」
もうひとつは、雪ミク(初音ミク)。
2010年の雪まつりで、真っ白い「初音ミク」の雪像を作ったことをきっかけに誕生した。
それ以来「雪ミク」が主役のフェスティバル「SNOW MIKU」が毎年北海道で開催されている。
雪像はイラストよりも子供っぽい感じだ。


札幌雪祭り「雪ミク」
雪まつりの見学には最低90分は必要と聞いていたが、飲み食いをしなかったので、小1時間程度で見て回れた。
確かに、静かに見て回れたが、静かすぎて面白くなかったかもしれない。

お気に入り名盤! デイヴ・ブルーベック:TIME OUT TAKE FIVE Bule Rondo La Turk


 

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2月の北海道 小樽

2017年02月10日 | 旅行記

登別から札幌経由で小樽に向かった。
札幌と小樽は電車で30分の至近距離である。
そのせいで、ここも中国人観光客であふれ返っていた。

2016年の訪日外国人客数は2000万人の大台を超え、2403万9000人だったらしい。
国・地域別では、中国が637万3000人と一番多かった。
今年はもっと多くなるかもしれない。

当初は、昔の面影を残す北運河を散策する計画だった。
ところが、電車の到着が遅れ、北運河方面行きのバスの時間に間に合わなかった。
次のバスまでは20分も間があるので、北運河散策は断念した。


小樽駅の近くに、榎本武揚ゆかりの竜宮神社がある。
そこで御朱印をもらった後、竜宮通りを運河に向かって歩いた。
運河にかかる竜宮橋から北運河を臨むことができる。

竜宮橋から見た北運河

この竜宮橋を境に、運河の幅が変わる。
戦後、交通渋滞を緩和するために、使命を終えた運河の埋立てが議論されるようになり、市を二分する争いになった。
1984年(昭和59年)、半分だけ埋め立てることが決定した。
強硬採決だったが、結果的に再生された小樽運河は小樽を代表する観光地になった。
竜宮橋から浅草橋までが埋め立てられた小樽運河で、とにかく人が多い。
写真でよく見る風景は浅草橋からのものである。

浅草橋から見た小樽運河

近くで昼食を取った後、境町通り商店街を歩いてメルヘン交差点へと向かった。
ここも中国人だらけだ。
あちらこちらから聞こえてくる中国語、たまに聞こえる日本語は店の従業員のものだった。
日本なのに日本にいる気がしない。

喧騒のメルヘン交差点

メルヘン交差点は喧騒の中にあった。
信号を守らず道路にあふれ出す観光客に対して、けたたましくクラクションを鳴らす車。
記念撮影どころではなかった。
蒸気時計の写真はなんとか撮れたが、常夜灯の写真は撮ることができなかった。

お気に入り名盤! 寺井尚子:All For You


 

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2月の北海道 登別温泉

2017年02月09日 | 旅行記

登別に着いたのは夕方の6時を過ぎていた。
予定では5時半頃に着くはずだったが、油断して電車に乗り遅れてしまった。
駅前は灯が落ちてすっかり暗くなっていた。
大温泉地でも熱海とは違い、駅前は閑散としている。
宿泊は第一滝本館、登別を代表する大旅館である。
駅からタクシーで10分、料金は2000円、想像していたよりも近かった。

第一滝本館

部屋は本館の6階、和室の10畳でトイレはあるが風呂はない。
どうってことのない普通の部屋である。
夕食は「湯の里」という食事処で取った。
にごり酒を注文したのだが、どうやらこれが強烈だったらしく、食事の内容が思い出せない。
HPの食事の写真を見ても、食べた記憶が蘇らない。
食後、部屋に戻るとそのまま爆睡してしまった。

深夜3時頃に目が覚め、それから温泉に行った。
大浴場はかなり遠い。
部屋に戻るまでに湯冷めしてしまうのではないかと思えるほど距離がある。
さすがに深夜なので誰もいない。
浴室の窓からは地獄谷が見えるはずだが、深夜では望むべくもない。
源泉は7つあり、そのすべてに浸かるつもりだったが、4つぐらいでめげてしまった。
まだ、酒が残っていて、長湯がきつくなってきたためだ。
登別まできたというのに、温泉を満喫できぬまま終わってしまった。

地獄谷

朝早くチェックアウトして、地獄谷を散策した。
遊歩道が整備されており、鉄泉池まで歩いて行くことができる。
異様な光景である。
戻ろうとすると、大集団がこちらに向かってやってきた。
中国人の団体だった。

今年の中国の春節は、1月27日(金)から2月2(木)までの1週間である。
2月3日(金)も休めば、その後の土日を入れて9連休になる。
おそらく、そのような予定を組んだ人が多かったのだろう。
旅行先の定番だった韓国は中国人旅行客が激減しているという。
THAAD配備による報復措置によるものだが、それだけではないらしい。
観光地がソウルと済州島ぐらいしかない上に、横行する旅行者を狙ったぼったくりが嫌われているという。
その反動で、日本にくる中国人が急増している。

登別駅行きのバスは我々以外はすべて中国人だった。
料金は340円。
小銭のない客に対して、運転手が両替の投入口を指さし、「チェンジね、チェンジね」を連発していた。
我々のことも中国人と思ったらしい。
怒ったような口調で「チェンジね」を繰り返す運転手に、「両替だろ」と言うと、日本人だと分かったらしく苦笑していた。

お気に入り名盤! ウィントン・ケリー:Kelly At Midnight


 

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2月の北海道 刑務所の街

2017年02月08日 | 旅行記

おーろら号が乗船場に戻ったのは12時少し前だった。
昼食は博物館網走監獄の「監獄食」と決めていたので、急いでレンタカーに乗った。
時間はあまりなかった。
というのも、今宵の宿は登別で、14時40分発の飛行機に乗らなければならなかったからである。
途中、網走神社、網走駅、網走刑務所だけは立ち寄ることにしたが、時間はわずかである。

網走神社は、おーろら号の乗船場からほど近い、小さな丘の上にある。
車は、網走小学校の前の脇道から入ると、神社の目の前に出た。
雪に埋もれた社殿は昭和4年の造営だが、とても風格がある。
旧社格は県社で、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三神と天照大神が祀られている。
網走神社
この日、本殿の中では御祈祷が行われていた。
神社ではよくある光景で、それに構わず、お参りをするのが通例である。
しかし、東京の神社と違い、ここは極寒の網走である。
扉は閉められ、閉められた扉の内側に賽銭箱があった。
少しだけ扉を開けて賽銭を投げ入れるのだが、建付けが悪く、大きな音を立ててしまった。

網走神社から網走駅までは5分ぐらいである。
ここは石北本線と釧網本線の終着駅で、複数の鉄道線が乗り入れる乗換駅としては日本最北の駅である。
駅正面には縦に駅名を記した木製の看板が掲げられている。
この縦書きには網走刑務所から出所してくる受刑者が、もう二度と「横道に反れないように」という願いが込められているという。
網走駅
網走市内にはニポポがあちらこちらにあると聞いていたが、まったく気づかなかった。
網走駅の前にもニポポをかたどった電話ボックスがあったそうだが、今は普通の電話ボックスになっていた。

網走駅からさらに5分ほど走ると、網走川の対岸に網走刑務所がある。
街路樹と沿道の建物の陰に隠れるほどの背の低い施設で、うっかり通り過ぎてしまった。
網走川にかかる橋が鏡橋で、観光客の車の乗り入れは禁止されていた。
網走刑務所
観光と言っても、門の前で記念写真を撮るぐらいのことである。
ただ、正門の前に形務作業製品を展示販売している施設がある。
おそらく受刑者が製作しているニポポ人形も販売されているのだろうが、残念ながら、覗いてみるだけの時間がなかった。

網走刑務所から10分ほど走った、天都山の中腹に「博物館網走監獄」がある。
入口の前に監獄食堂があり、ここで遅い昼食を取った。
厳めしいのは名前だけで、モダンな造りのセルフサービスの定食屋である。
「監獄食」はABの2種類あり、Aはサンマで720円、Bはホッケで820円。
食べている人は意外に少なかった。
出てくるまでに随分と時間がかかり、そのせいで博物館の見学時間が大幅に短縮されてしまった。

料金を払って博物館の中に入るとその先に昔の門があった。
門が再現されているだけで、塀にはなっていない。
門のところには看守と伝説的な脱獄犯・五寸釘寅吉の人形が置かれている。
網走監獄
時間がないので、見学できたのは重要文化財の庁舎と放射状の舎房の2か所だけだった。
こういう文化財の観賞には知性と感性が必要だが、どうやらどちらも欠けていたらしい。
「こんなものか」というのが感想で、あまり感じるものがなかった。
出口のところに、お土産売り場があった。
「監獄せんべい」、「差し入れ羊羹」、「脱獄犯文字入りTシャツ」、「出所祝いクリアファイル」、・・・・・
刑務所を観光資源にするとこうなるという見本のような品揃えだ。
網走駅の縦看板がとても空しく感じられた。

お気に入り名盤! スタン・ゲッツ:Bossa Nova


 

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2月の北海道 網走流氷体験

2017年02月07日 | 旅行記

2月4日早朝、女満別空港の気温は-13度だった。
着こんでいるので体感はそれほど寒くはなかったが、-13という数値がとても寒く感じさせた。
レンタカーを借りて、石北本線のJR女満別駅に向かった。
無人駅だが、図書館が併設されているので駅舎の外見はとても立派だ。
ここに立ち寄ったのは朝食を取るためである。
「水芭蕉」という名の喫茶店が営業していると聞いていたが、どうやら閉店したらしい。

女満別駅


朝食は諦め、釧網本線のJR北浜駅に向かった。
オホーツク海に一番近い駅として有名で、映画やテレビの撮影にも数多く利用されている。
最近では、観光バスが乗り付けるほどの人気らしい。
北浜駅には、道道246号と道道102号を使って国道244号(斜里国道)に出れば、30分程度で着く。
道道の路面状態が心配だったが杞憂に終わった。
むしろ、海からの強風にさらされている国道のほうが緊張した。

北浜駅


さすがにここは寒く、流氷見学用展望台の上はまさに凍てつくかんじだ。
網走の流氷初日は1月30日ということだったが、駅からはシャーベット状の氷が散見される程度だ。
これも流氷らしい。
本体ははるか沖合いにあった。

観光客らしき人が一人だけいた。
駅舎内には、かつての駅事務室を改装した喫茶店「停車場」が営業している。
店の中からカレーのいい臭いがしてきたが、残念ながら11時オープンなのでありつけず。

流氷船おーらろ号

「網走流氷観光砕氷船おーろら号」を予約していた。
乗船場は、道の駅「流氷街道網走」の中にあるのだが、想定外の混雑ぶりだ。
おーろら号はもう一隻あり、2隻が15分の間をあけて出港した。
出港から20分ぐらい経ったところで、海の様子が変わってきた。
沖合の流氷本体にたどり着いたらしい。

流氷船おーらろ号

船はガツガツと音を立てながら進み、しだいに氷の密度が高くなり、やがて完全に氷原になった。
まだ歩けるほどの厚みはなさそうだった。
初めて経験する異空間で、ここにいるのがとても不思議な気がした。


お気に入り名盤! パット・メセニー:80_81


 

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コンビニ恵方巻哀史

2017年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

近くの生協は、店内放送がひっきりなしに流れ、とにかく煩い。
ひどい時は、店内放送にかぶせて、店員がマイクで商品案内をしたりする。
そんな時に店に居合わせたら最悪だ。
客などほとんどいない狭い店内で、どうしてここまで煩くする必要があるのか、不思議でならない。
ここ数日は、恵方巻の予約受付を連呼していた。
節分の翌日にはすべて廃棄だから、できるだけ受注生産に持っていきたいのだろう。
事情は分かるが、こう煩さすぎては買う気にもなれない。
結局、セブンイレブンの恵方巻にした。

恵方巻

恵方巻を全国区にしたのはセブンイレブンである。
しかし、その販売の現場は相当過酷らしい。
2日のNHKニュースが、セブンイレブンの恵方巻販売に関する問題を取り上げていた。

本部(セブン&アイ)は店舗に恵方巻の販売目標を提示する。
提示とは名ばかりで実情は押し売りである。
店舗は提示された全数を引き取らされ、売れ残れば全て自費で廃棄することになる。
その損失を極力少なくするため、アルバイトにまで販売ノルマを課している。
これも実情は押し売りで、アルバイトは売れ残っても店に返却できず、自分で引き取るのだという。
アルバイトがその苦しさをツイッターに投稿し、その実態が明らかになった。

セブンイレブンの恵方巻の売上は600万本以上だという。
その陰で、一体どれだけのアルバイトが涙を流してきたのだろう。
他のコンビニも似たようなものだというから、いずれ行政指導が入るだろう。

店内で騒いでいるだけの生協がとても健全に思えてきた。

お気に入り名盤! オスカー・ピーターソン:Night Train


 

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