徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

わたらせ渓谷の旅 旧花輪小学校記念館

2017年05月04日 | 旅行記

群馬県の東部、勢多郡はかつて東村といい、周囲を山に囲まれ、谷間の川沿いに集落が発達した。
主要な集落は、南部の花輪、中部の神戸(ごうど)、北部の沢入(そうり)である。
2006年に新田郡笠懸町、山田郡大間々町と合併し、今はみどり市東町になっている。
合併の5年前、2001年に、小、中学校の統廃合が行われ、神戸地区に集約された。
花輪地区の歴史ある小学校、花輪小学校はこのときをもって閉校となった。
直後に登録有形文化財の指定をうけ、現在は旧花輪小学校記念館として運営されている。

旧花輪小学校の開校は明治6年5月(1873年)である。
現在の木造校舎は、日本鋼管の創立者である今泉嘉一郎の寄付により、昭和6年(1931年)に建てられた。
卒業生には今泉嘉一郎の他に、童謡「兎と亀」の作詞をした石原和三郎がいる。
この2人は東町住民の誇りであるらしい。

廃校になった木造校舎では、岡山県高梁市の吹屋小学校が有名だ。
重厚な日本建築の校舎は明治33年(1900年)に建設されたもので、2012年3月まで現役で使用されていた。
また、映画「ハーメルン」で使用された福島県昭和村の喰丸小学校は昭和初期の建設で、こちらも日本的な学校である。
それに対して、旧花輪小学校の外観はとてもモダンである。
今見ても、それほど古さを感じない。
惜しむらくは、校庭に保育園が建設され、この素晴らしい校舎の全景が見れなくなったことだ。
利用できる土地が少ない地域なので致し方ないのかもしれないが、なんとも残念でならない。
旧花輪小学校1
入口のところで、館長が歓待してくれた。
「ここは人気がありましてね、東京からも沢山の方がみえるのですよ」
自慢話のあとに、学校の成り立ちの説明を受けた。
話好きなようで、なかなか解放してくれない。
なんとか話を遮って、校舎の中に入った。
中は典型的な日本の小学校である。
旧花輪小学校2
使っていた教具や子供たちが書いた絵やポスターがそのまま残されていた。
驚いたのは机の数の多さだ。
かつてこの集落には、随分多くの子供たちがいたようである。
旧花輪小学校3
廊下の端にぞうきんがけレースの案内が飾られていた。
廊下をコースに見立て、2組で速さを競っていたようである。
今にも子供たちの黄色い歓声が聞こえてきそうだ。
旧花輪小学校4
無性に懐かしくなった。
小学校低学年のある時期まで木造校舎の教室を使っていた。
思い出すのは、ミシミシと音を立てる廊下、不衛生な汲み取り式の便所、そして、教室の床の雑巾がけである。
鉄筋校舎に移ると、床は音を立てなくなり、トイレは水洗式に変わり、雑巾はモップになった。
当時、それはとても新鮮な喜びだった。
後年、小学校を訪れると、木造校舎はなくなっていた。
多くの時間を費やした鉄筋校舎はそのまま残っているのに、何故か、自分の母校のような気がしなかった。
嫌いだった木造校舎も含め、学校は昔の姿のままでいてほしいと願うのはもちろん我儘だし、叶うはずもない。

花輪小学校は廃校になったことで永遠の姿が保証されたのかもしれない。
卒業生にとって廃校は残念だが、いつでも昔を思い出せるものがここにはある。

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