読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

オール読物11月号 総力特集「昭和がよみがえる」

2007-11-11 16:43:52 | 読んだ
オール読物11月号の特集は「昭和がよみがえる」ということである。

何故いま「昭和」なのか?
何かブームなのであろうか?
あるいはこれからブームにしようとしているのか?
その辺の意図というのがよくわからないのであるが・・・

この特集「小説」と「読物」の二つに分かれている。
本日はその「読物」についてご紹介。

「地下鉄とヒトラー<昭和小説事件簿>」佐野洋
昭和史をたどりながら、昭和の事件を小説として扱っているものを紹介している。
例えば『地下鉄』を題材としたもの、2.26事件、阿部定事件などである。

「大下弘とセネタースの青春」矢野誠一
プロ野球の大下弘と彼が最初に所属したそしてなくなってしまったセネタースという球団のお話である。

「松川事件の14年」夏樹静子
松川事件というのは、松本清張の書いた「日本の黒い霧」というので読んで知ったのであるが、今回これを読むと、当時のマスコミは最初逮捕された人たちが真犯人ということで報道をしていたようであるし・・・つまりは社会の空気というものみたいなんだろうと思う。

「紅白歌合戦と阿久悠の魔法」山川静夫
「昭和映画史ベストテン」長部日出雄

映画の紹介については、リアルタイムで見た映画ではないので、そうなのかなあ、という感想で当然であるが、リアルタイムで見ていた阿久悠についても、そうなのかなあ、という印象なのである。

今回、これら一連のものを読んだ感想としては、ある人から見ればそれは「昭和」に違いないのだろうが、そうでない人にとっては「そうでもない」んだとおもうのである。
ところが、このように書かれると、何故か社会全体がそういうふうに思っていたように勘違いしてしまうのではないだろうか。

例えば阿久悠についても、関心のある人にとっては阿久悠の詩が日本を覆いつくするようであったと思っているだろうが、多くの人は「その詩も阿久悠だったんだ」という感想であると思う。

社会の空気を伝えるというのは難しいんだろうと思うのである。
もろもろの事件や出来事が絡まりあって「社会の空気」が出来ているのであって、なおかつマスコミがそのあたりを誘導しているカンジもある。

だからこういう特集というのはある意味「勘違い」を誘発するものではないかと思うのである。つまりオール読物の主観的な『昭和』を紹介しているのであって、これが全てではないということである。

このあたりは自分がリアルタイムで感じることが出来た「阿久悠」について書かれてあることを読んだからいえるのであって、そういう意味では「オレも年取ったよなあ」という確認でもあったのである。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔵書、著者別ベスト10

2007-11-10 23:26:02 | 読んだ
本日は、天気も悪いので、予定をしていた平泉中尊寺の「いろはもみじ」を見に行くことをやめて、久々に本の整理をした。

本の整理は、現物を片付けることもあるが、パソコンで管理するために一冊づつ登録する作業もある。
とりあえず「本」「雑誌」「コミック」に分けて管理をしている。

さて、現物整理を始めると、どうしても読んでしまうのである。
特に雑誌は「あれ?こんなものが載っている」という再発見が多く、思わず座り込んで読みふけってしまい、遂には片付かない、ということが多いので、今日は自らに言い聞かせてはじめたのである。
しかし、小説新潮2月号の=全国『サイテー』レストラン劣伝=の「不味い店はさおだけ屋より潰れない」(野瀬泰申)だけは、誘惑に勝てず読んでしまった。
不思議なのは、何故これを読み逃していたかなのである。
というわけで、なんだか読みたい部分が多いため、片付けてもすぐに出せるようにしておいた。

雑誌、コミック終了後、いよいよ文庫本や新書本などに突入、文庫は特に新潮文庫はあの「Yonnda君」に応募するため応募券を切り取りながら片付けるのである。

そしてパソコンに登録。(私はエクセルで管理をしている)
それで現在の蔵書での著者別ランクを久々にホームページで更新をすることとした。
で、ホームページの前にベスト10を発表する。
ベスト10は管理をし始めてからあまり変動はない。若い頃は一人の作家を気に入ると続けて読んでいたが、近頃はそういうこともないので、変わらないのである。

 1位 司馬 遼太郎 81冊
 2位 池波 正太郎 76冊
 3位 森村 誠一  50冊
 4位 井上 ひさし 43冊
 5位 和久 峻三  35冊
 6位 山岡 荘八  34冊
 7位 塩野 七生  32冊
 8位 松本 清張  30冊
 9位 山際 淳司  25冊
10位 海音寺 潮五郎24冊
 
ホームページでは30位まで明日発表する予定である。
乞うご期待、といっても「別にねえ」というカンジではある。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週間ベースボール11.19号 ナンバー691号

2007-11-08 21:23:55 | 読んだ
今年の日本シリーズはなんだか気になったのである。

昨年の日本ハム、一昨年のロッテは「勢い」が凄くあって本当に「強い」という印象があったのだが、今年の中日は「負けない」という印象であって「強い」というのはあまり感じなかったのである。

それはあまりにも日本ハムが「貧打」であったことも原因なのであろうが、凄みのある強さではなかった。
落合監督があのように冷静であることも、勢い、ということが感じられないのかもしれないが、クライマックスシリーズ5連勝のわりには、なんだかなあ、というカンジでいたのである。

そんなわけで、週間ベースボール11月19日号「53年ぶり、日本一」というのと、ナンバー691号「Final 竜の戴冠。」という2冊の雑誌を買って、私が感じたものの正体はなんだったんだろうか?ということを探したのである。

で、2冊を読んだことは読んだのであるが、あまり分からないのである。

そうして思ったのであるが、野球はドラマ、ではなくなったのではないだろうか?

詳細なデータと、そのデータを生かすための技術に野球が集約されてしまったのではないだろうか。
データも技術も吹っ飛ばしてしまうほどの「情」というのが小さくなってしまったように思えるのである。
これは野球だけのことではないとも思えるのだが・・・

例えば、第5戦、中日・山井が8回までパーフェクトだったのを9回は岩瀬に代えた。
このことについて、賛否両論であるが、落合監督も山井投手も冷静なのである。

落合監督は「勝利」ということに執念を燃やし投手を交代させた、と思うのであるがその「燃やす」ということがあまり感じ取れない。
また、山井投手はマウンドにしがみついてでも投げたかった、ということもなく「優勝」のためならと我慢する。

このあたりが違和感を覚えるところである。
そして、そのあたりについて、何も書かれていないのが、残念なのである。

この交代がいいとか悪いとかではなく、落合監督や山井投手の考えていたことや、谷繁捕手の思っていたこと、あるいは日本ハムの9回に登場した打者たちはどう感じたのか。

スポーツライターの視点は変わってしまったんだろうか。
それとも日本人の視点が変わったんだろうか。
なんだか「取り残されている」ような気分にもなったのである。

<追伸>
江夏豊さんが谷繁捕手を褒めていて、何故優秀選手の中にいないのか?と書いているが、まったく同感である。
谷繁捕手こそMVPだと思っていたのに・・・

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷹姫さま~お鳥見女房(三)~ 諸田玲子 新潮文庫

2007-11-07 20:59:54 | 読んだ
お鳥見女房シリーズの第3弾である。

物語はゆっくりと進む。
このゆっくりさ加減が非常にいいのである。
多分、このゆっくりと動くのが人にとっていちばん心地よいのではないだろうか。
忙しすぎる現代だから、なおさら、心地よくなるのだと思うのである。

そして、現代では考えられない家族関係の濃密さもいいのである。
濃密といったって、思いやりのある濃密で、現代の家族のベタベタしすぎる脳美沙とは違うのである。

それは、この時代(というかつい最近まで)は家族が助け合わなければ生きていけないという切実な問題があったからだと思う。
この時代は相手を思いやることを大切にしながら愛する、今の世の中は自分が満足するために愛する、その違いがあると思う。

主人公のお鳥見女房・珠世と、夫・伴之助、父、子供たち、そして以前居候していた源太夫と多津と子供たちが、片寄せあって、幸せをかみしめて生きているさまが清々しく描かれていて、今いちばんのお気に入りの時代小説である。

今回は、嫡男・久太郎の縁談、といっても一旦は断ったのだが、縁があるのかなにかと続いている縁談(その相手が鷹姫さまとあだ名される恵以である)と、次男・久之助の恋(その相手は祖父・久右衛門とつながりがある)、次女・君江の恋と祝言が縦糸として筋をなし、そこに色々な事件が絡み合う物語となっている。

全8話を、ゆっくりと(1日に1話以上読まない)読んだのであった。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春のうた 第46巻 1970年代後期⑧

2007-11-05 22:06:05 | 読んだ
1.みずいろの雨/八神純子 1978年9月

1978年頃って、何をしていたんだろうか?
この頃のことってあまり覚えていないのである。29年前である。

この歌はよく覚えている。
きれいな声だなあと、それを生かした曲だなあと、聴いていた。
ただ、それがどのような場所で、どのようなシチュエーションで聞いていたかが思い出せない。

そしてなんだかつい最近の歌のような気がしていたのだが、もう29年も経ったのか、とちょっとショックだったりもするのである。


2.ジョニーの子守唄/アリス 1978年6月

アリスがブレイクしてそして安定してこの歌が出たんだと思う。
この歌が出た頃は、あまり気にも留めなかったのだが、だんだん、お気に入りの歌になってきた。

アリスの歌では「今はもう誰も」の次くらいのお気に入り度である。

アリスの曲は、単純な形とコード進行でできたものがいい。
この歌も、作りはシンプルである。
シンプルな作りに歯切れのいいリズムが絡んで、何度聴いてもうたっても「飽きない」歌になっている。

ところでジョニーとはどういう奴なんだろう?
そして、ジョニーとうたっている自分との関係はどういうものなんだろう?

といつも思っていたりするのである。


3.八十八夜/NSP 1978年3月

何度もいうが、NSPはデビュー前から知っていた。
天野滋の歌(詩と曲)は独特の泥臭さがすごくいい、のである。

この泥臭さは叙情派というジャンルの中でも異質である。
そして、すごく「純」だと思うのである。
評論家風に述べれば「リリカルでピュア」(ソノマンマやないか!)

さて、この八十八夜のでた1978年頃は、叙情的な歌に飽きてきた頃であった。なんというか叙情派=女々しいみたいな世間的評価に加えて、叙情派=暗いというようなところも現れてきたころだった。

それだけ有象無象の叙情派がでてきて、その中でNSPも巻き込まれてきて、NSPはいい歌を出しているのに、有象無象と一緒にされてしまった。

だから、この八十八夜はよく歌えない。
そして、この八十八夜に出てくるような女の人はもうその頃にも絶滅種に近く、その後絶滅してしまったような気がするのである。

どういう人かといえば
♪あの人の思い出に、ピリオドを打って 明日嫁ぎます♪
とか
♪本当はあの人に手を引かれ 一緒に歩きたかった♪
とか
♪昨日までのあの人を 忘れられないのは 私の 弱さでしょう♪
とか
♪写真が黄ばむように あの人との事も 色あせてゆくかしら♪
のようなことを思う人である。


4.シンプル・ラブ/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション 1977年4月

この歌は、NSPとは真逆で洗練された都会的な歌である。
こういう歌が出てきたのも70年代後半の特徴である。

心地よく聴いていたのは、まるっきり自分とは異質な世界であったからだと思う。

日本語の詩なのに、外国語の歌を聴いているような感覚であった。


5.外は白い雪/吉田拓郎 1978年11月

この頃は吉田拓郎からも遠ざかっていた。
それは意識をして遠ざかっていたわけではない。

どうも「歌」というか「音楽」から遠ざかっていたのではないかと思う。
それは、いわゆるフォークソングといわれるものが下火になって、なんだか難しいコード進行で都会的できれいな声でルックスもよく、というような歌がいっぱいになってきたからではないか、と思うのである。

この歌はFMで聞いたような覚えがある。
なんだか、とてつもなく寂しい歌だなあ、と思ったのである。

詩は松本隆。
男女の掛け合い風な、つまりは「木綿のハンカチーフ」のような構成である。

そして、拓郎が女性の部分を歌うとすごく哀しいのである。

この歌を拓郎が紅白で歌ったときには、何でこの歌を歌ったんだろう?と思ったのであった。


6.雨に泣いている/柳ジョージ&レイニーウッド 1978年12月

それまでに聴いたことのないような曲である。
「ブルース」というのはどういうような曲調でどのようなものをいうのか、今もってよくわからない。

よくわからないまま放っておいたのは、ブルースに興味がなかったんだと思うのだ。
それはブルースが持つ重さみたいなものに耐え切れなかったのではないかと思う。

この歌は、ブルースとはいえあまり重くない感じがする。
そして、都会的で洗練されていると思う。
そのあたりが「ブルース」ってなんなんだと思ったところなのである。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平泉紅葉情報

2007-11-04 22:58:04 | 観た、聴いた
本日平泉に行ってきた。
目的は中尊寺の「いろはもみじ」である。

9時15分頃中尊寺に到着。
早速、金色堂へ向かう。金色堂横のいろはもみじが狙いなのである。
しかし、まだ紅葉していなかった。1週間程度早いのかもしれない。
そして9時30分を過ぎると観光客でいっぱいになってしまい、もし紅葉していても写真どころではない。
9時には金色堂にいなければならない。

その後山を降りながら写真を撮ってきたが、今年の紅葉は「きたない」というような印象であった。そして観光客がいっぱいである。10時にして駐車場は満杯に近い。観光バスはひっきりなしである。
世界遺産に指定されると更に混むんだろう。

というわけで、中尊寺の入り口の写真である。


中尊寺がダメなら毛越寺がある。
毛越寺のほうが中尊寺より下の平地にあるのに、紅葉は早いのである。

案の定、毛越寺はここ数日がピークではないかと思った。

 

出来れば来週もう一度中尊寺へ行ってみようと思う。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味しんぼ 100巻 日本全県味巡り青森編

2007-11-03 18:08:15 | 読んだ
「いよいよ」というか「とうとう」というか「ついに」「あらあら」「ヒエー」で美味んぼは100巻になった。

全巻読んできたのだが、いつまで続くんだろう。

さて、恒例の味めぐりで「青森県」である。
この味めぐりは、私的にはあまり好みでない。

というのは、漠然としている、と思えるからである。
美味んぼは、一つの料理もしくは一つの素材を追求したほうが焦点が絞れていて分かりやすいからである。

全県味めぐりで紹介される料理や素材は、簡単に味・匂いを想像できないものが多いのである。
それなのに、これもあれもと紹介されても戸惑うばかりである。

青森編は9つの章から成り立っているが、青森を駆け足で巡り、いざ勝負の場所にも色々な人が登場し、物語が散漫になってしまっている。
そんな感じがするのである。

ネタばれだが、今回は山岡が勝って雄山に褒められる。
こういうところがあるから、また読みたくなるのだ。
そして、山岡夫妻に次の子供が生まれて、物語はどう展開されるのかも楽しみなのである。

美味んぼは何やかやいったところで最後まで付き合おうと思っている。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Number 690号 Baseball Climax 2007

2007-11-02 23:55:33 | 読んだ
昨日買って、じっくり読んで日本シリーズを愉しもうとおもっていたら、あっという間に日本シリーズが終了してしまった。
それにしても、今年は、日本シリーズといいワールドシリーズといいあっけない戦いだった。

というわけで、このナンバーという雑誌1986年から1999年まで定期購読をしていたのである。
あのころはスポーツといえば「野球」が主流だったから、野球の情報を得るために読んでいて、たまに、つまりそのスポーツの時期になると「ラグビー」やら「サッカー」或いは「オリンピック」などが特集されていた。
そういえばスポーツの「美少女」特集なんてあった。

ところが定期購読をやめるころ、つまり2000年近くになると、スポーツというのは広がりを見せ始めいろいろなスポーツが特集され、野球の特集が少なくなってきた。端的にいえば「サッカー」が多くなってきた。
どうもサッカーというのは「文章」にはなりにくいのではないだろうか?
つまり私には面白くないという現象になってきたので購読をやめたのである。

その後は面白そうな特集のときには買おうと思っていたのであるが、なかなか買う機会に恵まれなかった。
というか、買おうという気持ちになれなかった、買おうとしても手が伸びなかったのである。

それが今回、割と素直に手が伸びた。

それは今年「野球」への接し方が変わったからだと思う。
楽天イーグルを通して野球の見方が変わった。

一つにはインターネットの野球中継によりパ・リーグのチームをよく知ることができた。
ナンバーで野球の情報を得ているときには、パ・リーグの試合など映像で見ることなどができなかった。
すごい選手であるということは、新聞の片隅に載った記事とナンバーのような雑誌で読むことしかできなかったのである。

ところが今年はよく野球がわかるようになったのである。
やっぱり映像で見ると印象度が違うのである。
それを文章で確認するという作業も楽しい。

野球に関する雑誌をたまに読んでみようかな、と今回読んで思ったのである。

「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする