読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

文藝春秋12月号

2007-11-16 23:22:39 | 読んだ
文藝春秋12月号の目玉は「教養立国ニッポン」<藤原正彦>であるが、本日取り上げるのは次の3本である。

「小沢民主党への20の疑問」<二木啓孝>
「独裁者 守屋武昌の告白」<田村建雄>
「相撲協会のドン 北の湖の失墜」<奥野修司>

いずれも『独裁者』とか『ワンマン』とか『ドン』とか言われている人たちについて書かれているものである。

独裁とかワンマンということもいい方向に行っている場合は『リーダーシップが発揮されている』と評価される。
そして、今回取り上げられた人たちのように、何かにつまづくと、悪い意味で使われる「独裁者」とか「ワンマン」などといわれるのである。

でも、この独裁者とかワンマンにはその人ひとりではなれない。
つまりは独裁者とかワンマンにしている、あるいはさせている者もいるということである。

それは強烈なシンパであったり、無関心な人たちであったりする。
無関心とは影では批判をしたり悪口を言ったりしているが面と向かっては何もしない人たちも含む。

で、この人たちが『独裁者』が落ち目になると「語る」のである。
今回の3編もこういう人たちが語っている。

日本の文化の歴史からいうとある組織の「独裁者」は生まれやすいと思うのである。但し日本全体を覆ってしまうほどの独裁者は出ないのだが。
僕らの周りの組織、小さな組織にだって独裁者らしき人物がいることがある。
そういう目で見ると、日本の文化は独裁を好むのかもしれない。
つまりはみんなで責任逃れをしていることになる。
選んだり、推したりしている責任というのはこの国では皆無に等しいし。

独裁が悪いのではなく、独裁によってもたらされる悪弊が悪いのである。
今回の3つの例を読むと、小沢さんも、守屋さんも、北の湖さんも、それぞれの信条と考えで、それぞれの組織を良くしようとしてきたことがわかる。ただその手法が強引であったり、独善的であったりしただけのようにも思える。

というとやっぱりこの国の文化や思想のあり方、倫理観、などがどこかでずれてきているのかもしれない。
そうすると、やっぱり12月号の巻頭「教養立国ニッポン」<藤原正彦>を読まなければならないか。

そういう意図でこの12月号が編集されているのであれば、うまくのせられているのかもしれない。ウーム。

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