1.東へ西へ/井上陽水 1972年12月
井上陽水の歌の詩は、なんだかわからない、というものが多いが、この歌もなんだかよくわからない、よくわからないが、調子がいい。
出だし
♪昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ♪
なんて、人生幸路が聴いたら怒られてしまうようである。(人生幸路なんてもうわかる人が少ないよなあ)
ともかく前奏から続く「Am-E7-Am Am-E7-Am G Am-E7-Am」というのが気持ちいい。
そしてこのコード進行とおなじラストの
♪ガンバレ みんな ガンバレ♪
というところがすごく印象的なのである。
2.わたしが望むのは/中山ラビ 1972年12月
久しぶりに、中山ラビの声を聞いた。
20代の前半、中山ラビを聞いていた時期があった。
好きな歌手とかは?なんて尋ねられ「中山ラビ」などと答えて「誰!それ?」というような反応を楽しんでいた、ヤラシイ時期があったことを思い出した。
私が聴いていたアルバムは「ラビ・女です」と「なかのあなた」の2枚であって、今回の「わたしが望むのは」ははじめて聞いた。
憂鬱というのか投げやりというのか、気力のなさそうな、アンニュイな、そんなところがなんとなく気に入っていたのかもしれない。
青春のうた第34巻にして、最も「青春」を思い出させてくれた歌声であった。
3.恋の歌/ラニアルズ 1973年5月
吉田拓郎の作詞・作曲で、拓郎のアルバムにもある。
最初に聞いたのが、ギターの弾き語りによるものだったので、このようなカンジ出聴くとなんとなく違和感がある。
どこかで読んだのだかラジオかなんかできたのか定かではないが「たどり着いたら雨降りや恋の歌のように、誰かに提供したときの拓郎の曲はポップ感のあるものになり、拓郎の内部にはポップ感も十分に多い」みたいなのがあった、ことを突如として思い出した。
♪熱い熱い涙が 君のほほをぬらして
僕のくちびるに ひとしずく落ちてきた♪
というような体験をしたいと思っていたなあ、と、また突如として思い出した。
4.ふたりだけの旅/はしだのりひことクライマックス 1971年5月発表
クライマックスは好きだった。
花嫁やこの曲、それから曲名が思い出せないのだがなかなかいいと思ったものがあった。
クライマックスでザンネンだなあと思うのははしだのりひこが歌わないで、ボーカルの藤沢エミにずっと歌わせればいいのに、というところである。
サ行の発音にちょっと特徴があって、しっかりしたというかどっしりしたというか、そういう歌声がしびれてもいたのである。
5.ご案内/ウイッシュ 1972年9月
そういえば、こんなグループがいたなあ、と思い出した。
この曲の出だし
♪今日、お葬式をします♪
というのが、この歌の唯一最大の特徴であった。
今回も、さて、この歌はどう続くんだろうか?と首をひねってしまった。
つまり「出だし」の部分しか良く覚えていなかったのである。
さわやかに「お葬式」といわれてもなあ、と当時思っていたのであった。
6.琵琶湖周航の歌/加藤登紀子 1971年5月
何故この歌を歌っているんだろう?
というのが、当時の大きな印象であった。
この歌で何を伝えたいのか、よくわからなかったのである。
大正時代の第三高等学校ボート部の歌、はいい歌だけれど、東北のアタシはどういう感慨を持ってうたえばいいのか、よくわからなかったのだが。
しかし、東北の一青年がそんなことを思っていたって、世間ではこの歌はよく流れ歌われていたのである。
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井上陽水の歌の詩は、なんだかわからない、というものが多いが、この歌もなんだかよくわからない、よくわからないが、調子がいい。
出だし
♪昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ♪
なんて、人生幸路が聴いたら怒られてしまうようである。(人生幸路なんてもうわかる人が少ないよなあ)
ともかく前奏から続く「Am-E7-Am Am-E7-Am G Am-E7-Am」というのが気持ちいい。
そしてこのコード進行とおなじラストの
♪ガンバレ みんな ガンバレ♪
というところがすごく印象的なのである。
2.わたしが望むのは/中山ラビ 1972年12月
久しぶりに、中山ラビの声を聞いた。
20代の前半、中山ラビを聞いていた時期があった。
好きな歌手とかは?なんて尋ねられ「中山ラビ」などと答えて「誰!それ?」というような反応を楽しんでいた、ヤラシイ時期があったことを思い出した。
私が聴いていたアルバムは「ラビ・女です」と「なかのあなた」の2枚であって、今回の「わたしが望むのは」ははじめて聞いた。
憂鬱というのか投げやりというのか、気力のなさそうな、アンニュイな、そんなところがなんとなく気に入っていたのかもしれない。
青春のうた第34巻にして、最も「青春」を思い出させてくれた歌声であった。
3.恋の歌/ラニアルズ 1973年5月
吉田拓郎の作詞・作曲で、拓郎のアルバムにもある。
最初に聞いたのが、ギターの弾き語りによるものだったので、このようなカンジ出聴くとなんとなく違和感がある。
どこかで読んだのだかラジオかなんかできたのか定かではないが「たどり着いたら雨降りや恋の歌のように、誰かに提供したときの拓郎の曲はポップ感のあるものになり、拓郎の内部にはポップ感も十分に多い」みたいなのがあった、ことを突如として思い出した。
♪熱い熱い涙が 君のほほをぬらして
僕のくちびるに ひとしずく落ちてきた♪
というような体験をしたいと思っていたなあ、と、また突如として思い出した。
4.ふたりだけの旅/はしだのりひことクライマックス 1971年5月発表
クライマックスは好きだった。
花嫁やこの曲、それから曲名が思い出せないのだがなかなかいいと思ったものがあった。
クライマックスでザンネンだなあと思うのははしだのりひこが歌わないで、ボーカルの藤沢エミにずっと歌わせればいいのに、というところである。
サ行の発音にちょっと特徴があって、しっかりしたというかどっしりしたというか、そういう歌声がしびれてもいたのである。
5.ご案内/ウイッシュ 1972年9月
そういえば、こんなグループがいたなあ、と思い出した。
この曲の出だし
♪今日、お葬式をします♪
というのが、この歌の唯一最大の特徴であった。
今回も、さて、この歌はどう続くんだろうか?と首をひねってしまった。
つまり「出だし」の部分しか良く覚えていなかったのである。
さわやかに「お葬式」といわれてもなあ、と当時思っていたのであった。
6.琵琶湖周航の歌/加藤登紀子 1971年5月
何故この歌を歌っているんだろう?
というのが、当時の大きな印象であった。
この歌で何を伝えたいのか、よくわからなかったのである。
大正時代の第三高等学校ボート部の歌、はいい歌だけれど、東北のアタシはどういう感慨を持ってうたえばいいのか、よくわからなかったのだが。
しかし、東北の一青年がそんなことを思っていたって、世間ではこの歌はよく流れ歌われていたのである。
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