読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

鎮守の森 宮脇 昭 新潮文庫

2007-05-08 22:20:49 | 読んだ
著者は昭和3年生まれ、植物学の権威である。

著者は農家に生まれながらも体が弱く、農作業を見て育ち、そのとき「何故日本の農業は草取りに始まり草取りに終わるのか」と思った。
このことが、後に「雑草生態学」という研究を始まるもとになったという。

著者は、尋常小学校から農林学校、続いて農林専門学校に進み、農業高校の教師になる。そしてもっと勉強したいとうことから広島文理科大学に入る、続いて東京大学の大学院にはいり合わせて横浜国立大学の助手となる。

雑草生態学の論文を書くと、ドイツ国立植生図研究所長のチュクセン教授の目に留まり、ドイツへ留学することになる。そして教授から「まだ本を読むな。現場に出て、自分の身体を測定器にし、自然がやっている実験結果を目で見、手で触れ、匂いをかぎ、なめて、触って調べろ」といわれる。
以来、著者は現地植生調査にあけくれる。

そうして得た答えが「鎮守の森」なのである。
「鎮守の森」というのは、我々が最もひつようなもの。
つまりつくられた森ではなく、その土地に最も適した森、なのだそうである。
そのいったいは「鎮守様」をまつることで手をつけられないことにしたので、長く自然が残っている。

我々が自然というとき、実は人間の手によって作られた森林や田や畑までも含めているが、実はそのような単一の植物を植えるということは、ある意味自然破壊のようなのだ。
そういえば、農業も林業も第1次産業である。
産業であるから、一つのものを生かすために他のものを排除する仕事がある。肥料を与え農薬をまいたり、あるいは雑草を取ったりして、世話をしないと単一の植物は生きないのだそうである。

だから著者は、なるだけその地にあった多くの種類の植物を植え、鎮守の森をつくり、本当の自然を設けようとしている。
この考え方に賛同したのがイオングループなどである。
そういえばイオングループの店が開店するとき植樹を行い、それもなんだか雑多な植物を、いかにもザツに植えているが、これが鎮守の森作りの基本なのだそうである。
だから、その後手入れをするわけでなく、その土地にあった植物が自らの力で育つのを待つのである。

この考え方は、人を育てるときにも当てはまるなあと思っていると、著者こう言う。

「競争しながら共生し、そしてお互いにどの樹種もどの個体も我慢を強要されている。我慢のできない生き物は地球上では一時も生きていけないという真理を見る思いがする」

「目に見えるもの、金で換算できるもの、数字や図表で表現できるもの以外はすべて切り捨ててきた一見進歩的な対応が、自然と共生してきた鎮守の森を破壊するだけでなく、心の荒廃の原点となっているのではないか。」

著者は怒っている、そして我々を穏やかにゆっくりと諭すのである。

私は諭された。
そして目が覚めた。
我々が、これからしなければならないことの根本を考えた。

この本をいつも手の届くところにおいて、これからも考え続けようと思ったのである。
実に多くの人に読んでもらい、多くの賛同者を得たい本である。

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コメント
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