ようやく最終巻を読み終えた。
これで何回目だろうか?
何回読んでも新鮮である。
さて、第6巻は唐の末期(晩唐)から5代10国の時代を経て、宋の建国そして元によって宋が滅ぼされるところまでである。
そして、これが十八史略の終了なのである。
中国の歴史の中で、長い王朝を始めた人は本当に魅力的である。リーダーとしてふさわしいと思える「暖かさ」と「冷たさ」がうまい具合に同居している。
<漢>の劉邦
<唐>の李世民
<宋>の趙匡胤
また、中国史の代表的英傑としてはこの3人のほかに
<秦>始皇帝
<漢>武帝
<元>成吉思汗
が挙げられている。
これらの中から一人を選べといわれたら、著者はためらわず<宋>の趙匡胤を選ぶという。
それは、彼は軍人出身であったがその王朝は「文治主義」を貫くことを基本としたからである。
宋王朝には皇帝しか見ることのできない、遺訓、があった。
「石刻遺訓」と呼ばれるもので、石に刻んであるのだそうだ。
◎宋に国を譲った「後周」の王室柴(さい)氏を、子々孫々にわたって面倒を見ること
◎士大夫を言論を理由として殺してはならないこと
の二つである。
宋の代々の皇帝はこれを遵守した。
遵守したことで、宋王朝は長く続いた。
しかし「訓」あるいは「法」でもよいのだが、これらは環境に合わせて変化していくことが必要である。
変化しないと、その組織は滅ぶのである。
というか、どんなに立派な「法=取り決めごと」を決めたとしても、それは必ず陳腐化するのである。
たぶんそれは、立派ということがそのときの環境に対してであり、立派なことに慣れるとそれは立派にならないんだと思う。
では、その時々の環境に合わせて最も立派な「取り決めごと」を決めていけばいいのではないか?と思うのだが「立派な取り決めごと」を定め従わせる<人>がいつもいつの時代にもいないのである。
その辺の兼ね合いが非常に難しいと思うのである。
この本には、魅力的な人も多いが、実は反面教師となるような人物のほうが多く登場する。
それを見ていると「欲」が前面に出てくると人はダメになりそうである。
「欲」というのは満たされるとまた膨らむものらしい。
だから、反面教師となるような人物にも「欲」を満たしていこうとしているときは一時的な輝きがある。
その輝きに惑わされる人がいる。
社会あるいは世の中というものは、矛盾と理不尽にあふれているものである。
それゆえに、運命とか宿命として受けとめて納得しなければ前に進めないものである。
そんなことを考えさせられる「小説十八史略」である。
そしてその時々で面白いと思うところや感慨にふけるところが違う。
それは、こちらの環境が変化しているからなのだと思う。
だから、本というのは再読すべきものなのだと思うのである。
これで何回目だろうか?
何回読んでも新鮮である。
さて、第6巻は唐の末期(晩唐)から5代10国の時代を経て、宋の建国そして元によって宋が滅ぼされるところまでである。
そして、これが十八史略の終了なのである。
中国の歴史の中で、長い王朝を始めた人は本当に魅力的である。リーダーとしてふさわしいと思える「暖かさ」と「冷たさ」がうまい具合に同居している。
<漢>の劉邦
<唐>の李世民
<宋>の趙匡胤
また、中国史の代表的英傑としてはこの3人のほかに
<秦>始皇帝
<漢>武帝
<元>成吉思汗
が挙げられている。
これらの中から一人を選べといわれたら、著者はためらわず<宋>の趙匡胤を選ぶという。
それは、彼は軍人出身であったがその王朝は「文治主義」を貫くことを基本としたからである。
宋王朝には皇帝しか見ることのできない、遺訓、があった。
「石刻遺訓」と呼ばれるもので、石に刻んであるのだそうだ。
◎宋に国を譲った「後周」の王室柴(さい)氏を、子々孫々にわたって面倒を見ること
◎士大夫を言論を理由として殺してはならないこと
の二つである。
宋の代々の皇帝はこれを遵守した。
遵守したことで、宋王朝は長く続いた。
しかし「訓」あるいは「法」でもよいのだが、これらは環境に合わせて変化していくことが必要である。
変化しないと、その組織は滅ぶのである。
というか、どんなに立派な「法=取り決めごと」を決めたとしても、それは必ず陳腐化するのである。
たぶんそれは、立派ということがそのときの環境に対してであり、立派なことに慣れるとそれは立派にならないんだと思う。
では、その時々の環境に合わせて最も立派な「取り決めごと」を決めていけばいいのではないか?と思うのだが「立派な取り決めごと」を定め従わせる<人>がいつもいつの時代にもいないのである。
その辺の兼ね合いが非常に難しいと思うのである。
この本には、魅力的な人も多いが、実は反面教師となるような人物のほうが多く登場する。
それを見ていると「欲」が前面に出てくると人はダメになりそうである。
「欲」というのは満たされるとまた膨らむものらしい。
だから、反面教師となるような人物にも「欲」を満たしていこうとしているときは一時的な輝きがある。
その輝きに惑わされる人がいる。
社会あるいは世の中というものは、矛盾と理不尽にあふれているものである。
それゆえに、運命とか宿命として受けとめて納得しなければ前に進めないものである。
そんなことを考えさせられる「小説十八史略」である。
そしてその時々で面白いと思うところや感慨にふけるところが違う。
それは、こちらの環境が変化しているからなのだと思う。
だから、本というのは再読すべきものなのだと思うのである。