集英社新書から出たばかりの羅鍾一「ある北朝鮮テロリストの生と死 証言ラングーン事件」を読んでみた。この手の本、東アジア情勢を背景にした現代史秘話みたいな本は買わずにいられない。僕は1983年に起こったこの事件をよく覚えている。著者の羅鍾一氏(1940~)は韓国の元外交官で、駐英大使などを経て、2004年から2007年にかけて駐日韓国大使を務めた。国家安全保障担当の大統領補佐官や大学教授なども務め、今も教えているようである。
「ラングーン事件」とは、1983年10月9日にビルマ(今のミャンマー)で起こった当時の全斗煥(チョン・ドファン)韓国大統領を狙った爆弾テロ事件である。当時の首都ラングーン(今のヤンゴン、ちなみに首都は2006年にネピドーに移転)にあるビルマ独立の父アウンサン将軍を祀る「アウンサン廟」に爆弾が仕掛けられた。大統領は到着前で難を逃れたが、韓国外相、副首相など21人(うちビルマ側4人)が死亡し、両国あわせて46人の負傷者が出る大惨事となった。
(事件の現場)
当時は「韓国側の自作自演説」などもあり、ビルマ側も当初はそれを疑わないでもなかったらしい。韓国は直ちに北朝鮮によるテロと断定し、ビルマに共同捜査を申ししれた。しかし、ビルマは主権に関わるとしてそれを断り、慎重な捜査を続けた。11月4日になって、ビルマ側は北朝鮮の3人の軍人を実行犯として特定し、1人は逮捕段階で死亡したものの、残りの2人を起訴した。同時に北朝鮮との国交断絶と、国家承認そのものを取り消すという厳しい措置を発表した。
起訴された二人は死刑判決が出され、ジン・モ少佐の死刑は執行された。しかし、カン・ミンチョル大尉は犯行を自白したこともあり、終身刑に減刑された。(死亡した犯人はシン・キチョル少尉。)この名前はいずれも偽名である。カン・ミンチョルは長く収監された後、2008年5月18日に獄中で死亡したという。著者の羅氏は獄中でキリスト教に入信したカン・ミンチョルの運命に同情し、何とか解放されないか苦心した。しかし、韓国内でも賛成は広がらなかった。著者は「国家に見捨てられた男」の運命を伝えるために書いた。
この本は原著の忠実な翻訳ではなく、日本で判りやすくするため削除・補完されていると訳者の永野慎一郎氏が書いている。南北対立の歴史から書き起こされるので、なかなか事件にならない。著者は光州事件を重視している。79年に当時の朴正熙大統領が側近に暗殺され、韓国は「ソウルの春」と呼ばれた民主化が実現するかと思われた。それに対し全斗煥将軍が「粛軍クーデター」を起こし、実権を握る。それに対し全国で反発が広がるが、特に金大中氏の出身地方である全羅南道の光州(クァンジュ)では市民と軍隊の間で激しい衝突が起こった。
民主化された後に、全斗煥元大統領は裁かれて違法なクーデターと認定された。だから全大統領は正統な権力者とは言えない。「北」から見れば、光州事件は「革命前夜」に見え、トップを排除すれば革命が起こるはずと判断したのかもしれない。この時点でアメリカは事件を北朝鮮が起こしたと判断し、韓国が独断で対北戦争に踏み切ることを恐れていた。ビルマは南北双方と国交を持っていたが、当時は事実上の鎖国状態にあった。「独自の社会主義」を掲げる軍部独裁で、どちらかと言えば「北寄り」だった。そのビルマが断交してまで実行犯を起訴したのだから、もちろん「北朝鮮の犯行」は疑うことが出来ない。
事件の詳しい経過は本書に譲るが、僕が疑問に思ったことを幾つか書いておきたい。まず、何故ビルマを訪問したのかである。その時は、以後にスリランカ、インド、オーストラリア、ニュージーランド、ブルネイを歴訪する予定だった。当時は特に国際的重要性がなかったビルマを最初に訪れたのは何故か。本書でも解明されていない。外交部門では「大統領官邸から下りてきた指令」を実施するしかなかったという。全斗煥大統領は任期を延ばして居座らないとしていた。しかし、ビルマのネ・ウィン氏は1981年に大統領を辞任した後も、ビルマ社会主義計画党議長として実権を保持した。このやり方が参考になると思ったという説が紹介されている。
また大統領が何故爆発を逃れられたかも謎が多い。いろいろな偶然が重なったらしいが、大統領は一緒に訪れるビルマ外相が遅れて、まだ現場に到着していなかった。実行犯は韓国外相らの到着を誤認したらしいが、爆弾に問題があったとも言われている。それにしても相手国にとって「聖地」である場所でテロを起こすというのも大胆不敵と言うか、むしろ愚かにもほどがある。ビルマ側が国家のメンツを掛けて捜査するに決まっている。そんな重要な場所の警備に不備があったビルマ側の理由も判らない。「聖地」だからこそ徹底した事前捜索を怠ったのか。
北側の実行犯は「東建愛国号」という船でやってきた。この船は兵庫県の実業家、文東建が献納した船で、金日成が命名し文には「金日成勲章」が与えられた。後に朝鮮総連副議長にもなり、「地位が金で買える」と大問題になったという。しかし、ビルマ当局は全斗煥訪問時は船の寄港を許さず、実行犯は帰国の道が閉ざされた。犯人はそれを知らされず、事前の決定に従って川から海を目指した。犯人は現地の言語も学ばずに来て、村人に怪しまれて逮捕された。手榴弾を爆発させたが、それは自殺用ではなかった。
そういうことはこの時期の北テロには有りがちだった。外部世界の情報がなく、内部の論理だけで計画するのである。大韓航空機爆破事件でも実行犯のキム・ヒョンヒが捕まって自白することになる。キム・ジョンナム暗殺事件では首謀者はさっさと逃亡している。さすがに少し「現代化」したのかもしれない。サウジアラビアが起こしたカショギ事件でも、犯人は逃亡に成功した。これが普通の「陰謀」だろう。また本書で触れられていないのがソウル五輪である。1988年のソウル五輪は1981年に開催が決定した。韓国はまだソ連、中国と国交がなく、出来るだけ多くの国の参加を熱望していた。南北と国交があるビルマを訪問したのも、北側に近い国に五輪参加を求める意味があったのかもしれない。
「ラングーン事件」とは、1983年10月9日にビルマ(今のミャンマー)で起こった当時の全斗煥(チョン・ドファン)韓国大統領を狙った爆弾テロ事件である。当時の首都ラングーン(今のヤンゴン、ちなみに首都は2006年にネピドーに移転)にあるビルマ独立の父アウンサン将軍を祀る「アウンサン廟」に爆弾が仕掛けられた。大統領は到着前で難を逃れたが、韓国外相、副首相など21人(うちビルマ側4人)が死亡し、両国あわせて46人の負傷者が出る大惨事となった。
(事件の現場)
当時は「韓国側の自作自演説」などもあり、ビルマ側も当初はそれを疑わないでもなかったらしい。韓国は直ちに北朝鮮によるテロと断定し、ビルマに共同捜査を申ししれた。しかし、ビルマは主権に関わるとしてそれを断り、慎重な捜査を続けた。11月4日になって、ビルマ側は北朝鮮の3人の軍人を実行犯として特定し、1人は逮捕段階で死亡したものの、残りの2人を起訴した。同時に北朝鮮との国交断絶と、国家承認そのものを取り消すという厳しい措置を発表した。
起訴された二人は死刑判決が出され、ジン・モ少佐の死刑は執行された。しかし、カン・ミンチョル大尉は犯行を自白したこともあり、終身刑に減刑された。(死亡した犯人はシン・キチョル少尉。)この名前はいずれも偽名である。カン・ミンチョルは長く収監された後、2008年5月18日に獄中で死亡したという。著者の羅氏は獄中でキリスト教に入信したカン・ミンチョルの運命に同情し、何とか解放されないか苦心した。しかし、韓国内でも賛成は広がらなかった。著者は「国家に見捨てられた男」の運命を伝えるために書いた。
この本は原著の忠実な翻訳ではなく、日本で判りやすくするため削除・補完されていると訳者の永野慎一郎氏が書いている。南北対立の歴史から書き起こされるので、なかなか事件にならない。著者は光州事件を重視している。79年に当時の朴正熙大統領が側近に暗殺され、韓国は「ソウルの春」と呼ばれた民主化が実現するかと思われた。それに対し全斗煥将軍が「粛軍クーデター」を起こし、実権を握る。それに対し全国で反発が広がるが、特に金大中氏の出身地方である全羅南道の光州(クァンジュ)では市民と軍隊の間で激しい衝突が起こった。
民主化された後に、全斗煥元大統領は裁かれて違法なクーデターと認定された。だから全大統領は正統な権力者とは言えない。「北」から見れば、光州事件は「革命前夜」に見え、トップを排除すれば革命が起こるはずと判断したのかもしれない。この時点でアメリカは事件を北朝鮮が起こしたと判断し、韓国が独断で対北戦争に踏み切ることを恐れていた。ビルマは南北双方と国交を持っていたが、当時は事実上の鎖国状態にあった。「独自の社会主義」を掲げる軍部独裁で、どちらかと言えば「北寄り」だった。そのビルマが断交してまで実行犯を起訴したのだから、もちろん「北朝鮮の犯行」は疑うことが出来ない。
事件の詳しい経過は本書に譲るが、僕が疑問に思ったことを幾つか書いておきたい。まず、何故ビルマを訪問したのかである。その時は、以後にスリランカ、インド、オーストラリア、ニュージーランド、ブルネイを歴訪する予定だった。当時は特に国際的重要性がなかったビルマを最初に訪れたのは何故か。本書でも解明されていない。外交部門では「大統領官邸から下りてきた指令」を実施するしかなかったという。全斗煥大統領は任期を延ばして居座らないとしていた。しかし、ビルマのネ・ウィン氏は1981年に大統領を辞任した後も、ビルマ社会主義計画党議長として実権を保持した。このやり方が参考になると思ったという説が紹介されている。
また大統領が何故爆発を逃れられたかも謎が多い。いろいろな偶然が重なったらしいが、大統領は一緒に訪れるビルマ外相が遅れて、まだ現場に到着していなかった。実行犯は韓国外相らの到着を誤認したらしいが、爆弾に問題があったとも言われている。それにしても相手国にとって「聖地」である場所でテロを起こすというのも大胆不敵と言うか、むしろ愚かにもほどがある。ビルマ側が国家のメンツを掛けて捜査するに決まっている。そんな重要な場所の警備に不備があったビルマ側の理由も判らない。「聖地」だからこそ徹底した事前捜索を怠ったのか。
北側の実行犯は「東建愛国号」という船でやってきた。この船は兵庫県の実業家、文東建が献納した船で、金日成が命名し文には「金日成勲章」が与えられた。後に朝鮮総連副議長にもなり、「地位が金で買える」と大問題になったという。しかし、ビルマ当局は全斗煥訪問時は船の寄港を許さず、実行犯は帰国の道が閉ざされた。犯人はそれを知らされず、事前の決定に従って川から海を目指した。犯人は現地の言語も学ばずに来て、村人に怪しまれて逮捕された。手榴弾を爆発させたが、それは自殺用ではなかった。
そういうことはこの時期の北テロには有りがちだった。外部世界の情報がなく、内部の論理だけで計画するのである。大韓航空機爆破事件でも実行犯のキム・ヒョンヒが捕まって自白することになる。キム・ジョンナム暗殺事件では首謀者はさっさと逃亡している。さすがに少し「現代化」したのかもしれない。サウジアラビアが起こしたカショギ事件でも、犯人は逃亡に成功した。これが普通の「陰謀」だろう。また本書で触れられていないのがソウル五輪である。1988年のソウル五輪は1981年に開催が決定した。韓国はまだソ連、中国と国交がなく、出来るだけ多くの国の参加を熱望していた。南北と国交があるビルマを訪問したのも、北側に近い国に五輪参加を求める意味があったのかもしれない。
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