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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

それで結局「日本人の民度」は高いのか、低いのか

2021年05月13日 22時40分05秒 | 社会(世の中の出来事)
 茨城県で2019年に起きた殺人事件で埼玉県在住の男が5月7日に逮捕された。僕はその事件、あるいは容疑者については報道以上のことを知らないし、現在捜査中なので何も書く気はない。ところが、たまたま同じ市に容疑者と同姓の会社や議員がいて、全然無関係なのに関係者だと決めつけるデマが拡散されているという。そんな話は今までにも何度か聞いた。

 最近ではキャンプ場で行方不明になった女の子の家族に関するデマ。あるいは2019年に起きた常磐道あおり運転事件の「同乗女性」のデマ。これは大きく報道され、裁判も起こされ、デマをSNSで拡散して人に賠償が命じられた。何も知らないのに憶測でネット上に書き込めば、刑事上、民事上の責任が生じる。そんなことは常識だし、なんで同じことを繰り返す人がいるのか判らない。これらを見ると、果たして「日本人の民度」は大丈夫なのかという気になってくる。
(デマに賠償命令)
 「日本人の民度」と言えば、昨年の麻生副首相発言が思い起こされる。「日本人は民度が高いから、コロナの死者が欧米より低いという見解を述べた。「『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』って言ってやると、みんな絶句して黙る」んだそうだ。これに関しては当時「麻生『民度』発言と『オンライン申請』不備問題」を書いた。(2020.6.6)今の日本の感染状況を見て、麻生氏は何か思うところがあるだろうか。「緊急事態宣言」を出しては解除し、再び感染増が起きては再宣言する。これは民度が低いのか。

 麻生氏と言えば、先頃「マスクはいつまでやるの?」と記者を問い詰めるかのように「逆質問」するという出来事があった(3月19日)。記者は反撃しないのかと思ったけれど、慣れてしまったのか、「こういう人」には腫れ物に触るように接するということにしてるのかもしれない。しかし、「日本国のナンバー2」が判らないことを、何で民間人が判るのか。麻生副首相こそが国民に伝えるべき立場でないか。一体どうなってるんだろう?
(麻生氏のマスク発言)
 現在の日本では「英国型変異株」が広まっている。では、それは何故日本に入り込んだのだろうか。外国から来た人は「2週間の自主隔離」をすることになっている。それがかなりの割合で守られていないという話をニュースでやっていた。連絡が付かなくなる人、公共交通機関を使って移動する人などが一定程度いるんだと思う。じゃあ、強制的に隔離すればといっても、人手も予算もない。だから、ある程度国民の良識に任せるしかない。しかし、現にこれだけ広がってしまった以上、外国から持ち込んだ人がいたということだろう。

 持続化給付金の詐欺も2億円に達するという。大学生もいれば、競馬の騎手などがまとまって申請した例もある。自分でやってるわけじゃない。誰か指南役がいて、上納金がある。言われたとおりやって、貰えるものは貰おうと「軽い気持ち」でやってしまったという人が多いようだ。これは本人も悪いだろうが、「間違ったことにノーと言う」ことを教えられていないという問題でもある。「おかしいと思ったことに声を挙げる」というのは人生で最も大切なことの一つだ。しかし、日本では「自分だけガマンして黙っている」ことを親も教師も生き方で伝えてしまうことが多い。
(持続化給付金詐欺)
 もちろん「民度」が高いとか低いとかいう発想自体に問題がある。民族だけでなく、それぞれの「地域」「家族」などにそれぞれの「文化」がある。ある一律の基準を作って、高い低いと評価することは出来ない。しかし、それでも社会を構成するメンバーとして、人に求められることがある。ゴミは捨てない、並んでる列に割り込まない、お店や公共交通機関など多くの人が利用する場所では他の客に配慮する、などなど。しかし、最近はこれが心配なことが増えている。実感としてそんな気もする。それを「民度」というならば、日本の民度は低くなっているのかもしれない。まあ、あまり他人のことも言えないかもしれないけど。
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入管法「改正」案に反対するー反人権的な入管行政

2021年05月11日 22時55分40秒 | 政治
 現在、衆議院で「出入国管理法」の「改正案」が審議されている。先週にも法務委員会で「強行採決」されるかもと言われていたが、それは何とか防ぐことが出来た。しかし、報道もそんなに大きくなく、よく知らない人が多いと思う。実は僕自身も同じようなもので、アムネスティから送られてくるメール通信を読んでいたのだが、なかなか細かくて判りにくい。しかし、どう見ても法務省の言ってることはおかしい。一回ちゃんと書かなくてはと思った。
(入管法「改正」に反対する人々)
 現在、日本の入管には長期に収容されている人が多くいる。それは何故かというと、法務省の言い分では「難民認定を何回も求められるから」となるらしい。しかし、常識的に考えれば「日本の難民認定が少なすぎるから」になるはずだ。アムネスティによれば、2020年に日本で難民認定申請をした人は3936人。 そのうち難民として認定されたのは47人人道的な配慮から在留が認められたのは44人である。なお、新型コロナウイルスによる入国制限の影響を受け、前年の難民申請者数10375人から大幅に減っている。

 法務省の「入管法改正案Q&A」というサイトを見ると、『「本国に帰ると生命の危険が生じる」などの事情を主張して,難民認定申請を行う人もいますが,日本の難民認定手続においては,難民認定申請をした外国人ごとに,個別の事情を考慮しながらその申請内容を審査し,難民条約の定義に基づき,難民に該当すると認められれば,難民と認定しています。』と書かれている。「難民条約の定義」に基づき審査しているのなら、難民認定が1~2%程度というはずがない。

 今度の「改正」案では、難民認定申請中は送還しないとする現行法に例外を設け、同じ理由の申請は事実上2回までとする。難民認定の数から見れば、ほぼすべての人があっという間に「強制送還」である。ミャンマーから来て難民申請している人もいる。軍政に反対する人が送還されたらどうなるか。そもそも難民申請している人を数で区切ることがおかしい。人権意識がないとしか思えない。例えば「死刑囚の再審請求は2回まで」などという決まりがあったら、再審で無罪になった人が処刑されていた。「強制送還」が事実上の「死刑執行」みたいな人だっているはずだ。

 法務省は徹底して「司法審査」を嫌っている。収容に当たって裁判所の審査を求めるべきだという意見に対して、「当庁で把握している範囲では,例えば,アメリカ,イギリス,オーストラリア及び韓国においては,収容について裁判所が事前に判断する仕組みはないとのことです。」としている。しかし、これは理由になっていない。ここに出て来ないカナダ、フランスなどの事例はどうなっているのか。そこでは収容期間も短く、審査も迅速に行われている。日本の刑事司法では、逮捕状の発行は捜査当局ではなく裁判所が行う。外国人にとって入管への収容は「事実上の逮捕」だ。事前に司法審査する制度は必要だし、他国にないなら日本が率先して作ればいい。(5月18日に通常国会での成立を断念することが報道された。)

 今度の「改正」案では、むしろ逆に「退去命令拒否」に罰則規定が設けられる。強制送還に応じないと犯罪になるのである。入管当局は外国人を「治安」問題としてとらえてきたんだろう。様々な理由で日本に来た外国人には、確かに就労目的という人もいるだろう。しかし、難民申請をして外国で生きていこうという人には、それなりの理由があるはずだ。それを丁寧に聞き取るならば、難民認定が年に数十人という数にはならない。日本の裁判所もあまり人権感覚が鋭いとは思えないが、それでも「違う立場」から関わる仕組みが大切だと思う。

 ところで名古屋入管で、スリランカ人ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさん(33)が3月6日に亡くなるという「事件」が起こった。一体何人が犠牲になれば目が覚めるのか。その経過にはまだまだ不審な点が多い。医者も危険性を指摘していたのに「見殺し」にされたとしか思えない。2019年にはナイジェリア人男性が死亡している。2007年から2019年にかけて、被収容者が死亡したのは14人に上るという。
(死亡したスリランカ人女性)
 スリランカから遺族が来日し法相との面会を希望しているという。その後の報道がないので、会う気がないまま放っているのだろう。(入国後の自主隔離期間ということらしい。追加。)入管法改正案の審議などではなく、今はまずこのスリランカ人女性死亡の真相を徹底的に明らかにすることが先だと思う。
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子ども庁は要らない

2021年05月10日 22時15分52秒 | 政治
 菅内閣で「子ども庁」を作るとか言っている。自民党の中でも「子ども政策の一元化」を求める声がある。子ども関係を担当する部署が各省庁にまたがっていて、「縦割り行政」になっているというのである。そういうこともあるかもしれないが、僕は「子ども庁」なんて要らないと思う。

 そういうことを言い出せば、様々な政策課題ごとに○○庁を幾つも作る必要がある。そして、いくら子ども政策に関わる部署をまとめたとしても、予算を決める財務省の担当部署はそのままである。予算がなければ何も出来ない。小さな庁になってしまえば、財務省に対する立場が弱くなるだけだ。文部科学省厚生労働省から派遣される役人だって、子ども以外のこともやりたいだろう。早く本省に戻って、大きな役所で出世したいに決まってる。

 「こどもの日」に書こうかと思ったんだけど、まあ遅れても書いておきたいと思う。この何十年、日本では「少子化」が進んできた。「子ども人口」も40年連続で減少している。「子ども人口」の正式な定義を知らなかったので調べてみると、「4月1日現在で15歳未満の人口」だという。2021年は1493万人で、昨年より19万人少なくなったという。毎年こどもの日に合わせて、総務省から発表されている。「4月1日で15歳未満」は、中学3年生までである。
(子ども人口の推移)(出生数の推移)
 ところで、この子ども数の減少という事態は、なんで起こったのだろうか。いろいろな人があれこれ言うけど、まだ国民が大方のところで合意する定説はないのではないか。要するに「第二次ベビーブーム」が終わってから、ずっと子どもが減っている。「第三次」が起こってもいいはずの90年代は「バブル崩壊」の「就職氷河期」に当たってしまった。「親になる世代」そのものが減っているわけだが、その上に「婚姻数」も減少し続けている。
(婚姻数の推移)
 結婚しなくても子どもは生まれるけれど、日本の場合「出来ちゃった婚」という言葉が当たり前に使われる。子どもが生まれるなら、「結婚」(異性婚)することが条件になることが実際には多いだろう。「世間体」というものが生きているのである。それがいいわけじゃないけれど、そういう現実の日本において、「不妊治療の助成」が少子化解消の決め手になるとは思えない。(もちろん政策として悪いと言ってるわけではない。)

 子どもが生まれるかどうかを別にして、まずは「結婚して暮らしていける仕事」がなければ「婚姻数」が増えない。現状はコロナ禍で経済苦境が予想され、また出会いの機会も減り、婚姻数も出生数も激減が予想されている。制度いじりのパフォーマンスをしているヒマがあったら、困窮者支援の充実こそが緊急に必要なのではないか。

 ところで実際に「子ども庁」が出来たらどうなるか。内閣府の下に置かれて、専属の「内閣府特命担当大臣」が置かれるのだろうか。その場合、一番最初は相当に知名度のある女性議員が閣僚に任命されるのだろう。子ども政策は女性だけの問題ではないけれど、多分今までの「少子化担当相」と同じく、ほとんどは女性議員が任命されるのではないか。そうすると、女性議員の数自体が少なく、派閥ボスレベルはいないのだから、そのうち知名度のある女性議員が枯渇することになる。財務省に強く出られる大臣はほとんど期待できない。

 それは「地方創生担当相」の経過を見れば予想出来ることだ。2012年9月に自民党総裁に復帰した安倍前首相は、当初総裁選の予備選で1位になった石破茂氏を幹事長として処遇した。しかし、2014年の内閣改造に合わせて、石破氏を「地方創生担当」という名目で入閣させた。言葉としては重要な役職に見えるが、要するに幹事長を辞めさせたのである。石破氏は2016年まで務めたが、その後は「無役」となって政治基盤を弱くすることになった。その後の「地方創生担当相」なんて誰も覚えてないだろう。調べてみると、山本幸三、梶山弘志、片山さつき、北村誠吾、坂本哲志である。子ども庁担当相も大方そういう道をたどることになる。
 
 自民党は上記のような宣伝を行っている。厚生労働省内閣府文部科学省法務省警察庁の関係部署をまとめるという。しかし、文科省の「学校」と言っても、「子ども」つまり「中学まで」を担当すると言えば、「中等教育」を途中で切ることになる。中高一貫校を推進してきたのに「初等中等教育局」を分断するのか。それとも初等中等教育局ぐるみ「子ども庁」に移管するのか。

 そんなことが出来るとは思えないし、コロナ禍の中で関係省庁の大反対運動が起きる。それは単に「省益」とは非難できないだろう。そもそも制度をいじれば、政策がうまく行くといった発想そのものが間違っていると思う。リーダーがきちんと判断すればいいだけだ。制度を変える必要はない。
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赤崎勇、橋田壽賀子、渡邊守章、三好徹等ー2021年4月の訃報

2021年05月09日 22時17分43秒 | 追悼
 2021年4月の訃報は劇作家の清水邦夫を別に書いた。重要な訃報は前半に集中した。まず1日にノーベル物理学賞受賞者の赤崎勇が死去、92歳。青色LEDの開発者である。鹿児島県の知覧生まれ。2014年の受賞時は名城大学特別栄誉教授だが、受賞研究は名古屋大学時代。不可能とされた窒化ガリウム(GaN)の結晶化に成功した。僕は原子番号31のガリウムという元素自体を知らなかった。院生だった天野浩、日亜化学の研究者だった中村修二と共同受賞だったが、中村との違いも知らない。でもこれが「世紀の発明」だったことは理解出来る。
(ノーベル賞受賞時の赤崎勇)
 脚本家の橋田壽賀子が4日死去、95歳。LED発明者の名を知る人は日本以外では少ないだろう。同様に世界中で「おしん」を見た人は多いけど、脚本を書いた人は日本以外では知らないだろう。演劇でも映画でもなく、主にテレビドラマの脚本を書いた人として初の文化勲章を受けた。しかし、元々は映画の脚本家で松竹初の女性社員だったが、秘書への異動を拒否して59年に退職した。1964年にTBS「愛と死をみつめて」が大評判となった。その後の代表作は「ただいま11人」「となりの芝生」「おしん」「おんな太閤記」「春日局」、そして「渡る世間は鬼ばかり」(1990~2019)など。しかし、例によって見てないから書くことがない。
(橋田壽賀子)
 渡邊守章が11日死去、88歳。東大仏文の教授にして、フランス演劇の演出家、翻訳家である。演劇集団円の演出家だったり、フーコーの翻訳者だったり、いろんな側面があった。しかし、専門が古典のラシーヌや20世紀前半に駐日大使も務めた劇作家クローデルだったから、僕は敬して遠くから見る感じ。クローデル畢生の大作「繻子(しゅす)の靴」を近年上演したのは知ってるが、8時間という上演時間に恐れをなして見なかった。
(渡邊守章)
 訃報の小ささが解せなかったのは直木賞作家の三好徹。3日没、90歳。60年代から80年代にかけて、ミステリー、スパイ小説、歴史小説、評伝などで多くの素晴らしい作品を書いた。読売新聞記者だったが、結核で入院中に文学に目覚め、同僚の佐野洋の影響で推理小説を書いた。1968年に「聖少女」で直木賞。その前に1963年に「風塵地帯」で日本推理作家協会賞。インドネシアの9・30事件に材を取った国際スパイ小説で、「風4部作」となる。60年代前半に書かれたスパイ小説の傑作だ。他に「天使シリーズ」「特捜検事シリーズ」など。僕は「まむしの周六」(黒岩涙香伝)や「革命浪人 滔天と孫文」など評伝が面白かった。「チェ・ゲバラ伝」も読まれた。
(三好徹)
 作曲家の菊池俊輔が24日死去、89歳。名前を言われても判らない人が多いと思うが、「ドラえもん」「仮面ライダー」「暴れん坊将軍」などのテーマ曲を作った人なので、誰もが一度は聞いている。テレビは「キーハンター」「赤いシリーズ」「ドラゴンボール」など数多いが、映画も多い。「女囚さそり」シリーズで梶芽衣子が歌う「恨み節」の作曲者なのである。「昭和残侠伝」シリーズ、「兄弟仁義」シリーズ、「0課の女 赤い手錠」など東映映画で活躍した。1983年に「誘拐報道」「青春の門 自立篇」で日本アカデミー賞優秀音楽賞。
(菊池俊輔)
 大相撲の元関脇・麒麟児が3月1日に死去していたことが公表された。67歳。激しい突き押しで知られ、同じタイプの富士桜との毎場所の熱戦が語り継がれている。特に1975年夏場所では、昭和天皇観戦に合わせて取り組みが組まれ、108発の突っ張りの応酬が伝説になった。三賞計11回、金星6個。引退後は北陣親方を襲名し、明るい人柄と明快な語り口の相撲解説で知られた。北の湖、二代目若乃花などと同じく昭和28年生まれの「花のニッパチ」と言われた。
(麒麟児(右)、対富士桜戦)
 元米国副大統領、駐日大使のウォルター・モンデールが19日に死去、93歳。1964年にミネソタ州から民主党上院議員に当選。2期務めた後、77年~81年にカーター大統領のもとで副大統領。1984年にレーガン大統領に対抗する民主党大統領候補となったが大敗した。クリントン政権のもとで、93年から96年にかけて駐日大使。貿易摩擦問題に力振るうとともに、橋本首相と「普天間基地返還合意」をまとめた時の大使だった。
(モンデール)
 英国女王エリザベスの夫、エディンバラ公フィリップが9日死去、99歳。元々はギリシャ国王(デンマーク王家の系統)の弟の長男。ヨーロッパの王家は複雑な婚姻関係を繰り返し、ヴィクトリア女王の玄孫(ひ孫の子)として英国王位継承権を持っていた。(ウィキペディアによると、2012年2月現在、485位。)ギリシャのクーデタで亡命し、英国の海軍兵学校に入学した。訪問した王女の案内役となり、王女が好意を抱いたと言われる。海軍でキャリアを積み、47年に結婚。52年にエリザベス女王が即位して退官した。ヴィクトリア女王の夫アルバート公と違って、「共同統治者」とは認められなかった。そのことで屈折した感情もあったとされ、たびたび「失言」が報道された。自然保護活動に熱心で、世界自然保護基金の初代総裁を務めた。
(エリザベス女王とフィリップ殿下)
ラムゼイ・クラーク、11日死去、93歳。米国の元司法長官、弁護士。司法長官時代には公民権擁護のため重要な役割を果たした。退任後は左派系法曹人としてベトナム反戦運動にも参加した。晩年にはサダム・フセイン、ミロシェビッチ、ナチスの元収容所長、カルト教団の教祖など誰も弁護したがらない人の弁護士を務めたことで物議を醸した。最近話題となった「シカゴ7裁判」にラムゼイ・クラークが登場人物として出てきた。
モンテ・ヘルマン、20日死去、91歳。米映画監督。「断絶」「果てなき路」など。
レスリー・マッコーエン、20日死去、65歳。ベイ・シティ・ローラーズのボーカル。
ミルバ、23日死去、81歳。イタリアの歌手でサンレモ音楽祭に多数出場した。ピアソラとの共演リサイタルで名声を得た。日本でも人気があり、何度も訪日公演を行った。
クリスタ・ルートヴィヒ、24日死去、93歳。ドイツのオペラ歌手(メゾソプラノ)。カラヤン、ベームなどの指揮でマリア・カラスなどと出演した。20世紀最高のオペラ歌手の一人と言われた。
マイケル・コリンズ、28日死去、90歳。米国の宇宙飛行士。月に着陸したアポロ11号のメンバーで、司令船に残って月面着陸を目指す2人の飛行士を支援した。

稗田一穂(ひえだ・かずほ)、3月23日死去、100歳。日本画家で文化功労者。
鳥越文蔵、5日死去、89歳。早稲田大学名誉教授。近世演劇が専門で人形浄瑠璃、歌舞伎の研究で知られた。
高島俊男、5日死去、84歳。中国文学者。週刊文春のコラム「お言葉ですが…」で知られた。
篠原儀治(しのはら・よしはる)、11日死去、96歳。江戸風鈴の職人。名誉都民。
隆大介、11日死去、64歳。俳優。「無名塾」に入塾。黒澤明「影武者」で織田信長を演じ、「乱」にも出演。
東野利夫(とうの・としお)、13日死去、93歳。九大生体解剖事件の証言者。
若松武史、14日死去、70歳。俳優。「天井桟敷」の中心俳優だった。大河ドラマ「武田信玄」などにも出演。
チャーリー浜、18日死去、78歳。吉本新喜劇の俳優。「…じゃあ~りませんか」のギャグで知られた。
神田川俊郎、25日死去、81歳。大阪の日本料理店「神田川」店主。テレビに出て知られた。新型コロナ感染症で死去。
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ホウ・シャオシェン監督、「乾杯」を熱唱すーオリヴィエ・アサイヤス「HHH」を見る

2021年05月07日 23時10分33秒 |  〃 (世界の映画監督)
 台湾映画を代表する巨匠、ホウ・シャオシェン(侯孝賢、Hou Hsiao Hsien)監督の12作品を中心にした台湾映画祭が新宿(ケイズシネマ)で行われている。100席もない小さな映画館で、緊急事態宣言下でも上映を継続している。連休前に何本か見て、連休中も見るつもりだったが連休中は「瞬殺」で満席になってしまった。(緊急事態宣言を受けて、ウェブ予約は当日0時からとなっている。久方ぶりに「悲情城市」を見ようかと思って、0時2分にアクセスしたら満席だったのにはさすがに驚いた。)連休が終わって取りやすくなったので、今日は「HHH:侯孝賢」という映画を見た。
(「HHH」、右がホウ・シャオシェン、左がアサイヤス監督)
 ホウ・シャオシェン(1947~)については、あとでまとめて書くつもりだったが、この「HHH」が興味深かったので臨時に書くことにした。「HHH」って何だと思ったが、ホウ・シャオシェンのローマ字表記は上に示したようにHが3つ続くのだった。この映画はフランスの映画監督オリヴィエ・アサイヤス(1955~)が1997年にテレビ番組として作ったドキュメンタリーである。ホウ監督とともに台湾各地を旅し、いくつかの映画を引用しながら関連した土地を訪ねる。高雄で少年時代を探り、「恋恋風塵」「悲情城市」の舞台と成った九份でお茶を飲む。

 オリヴィエ・アサイヤスはフランスを代表する映画監督だ。「クリーン」でマギー・チャンがカンヌ映画祭女優賞、「パーソナル・ショッパー」でカンヌ映画祭監督賞を受賞している。「夏時間の庭」「冬時間のパリ」など日本公開も多く、前に「カルロス」「アクトレスー彼女たちの舞台」について書いた。そんなアサイヤスが何で台湾にと思うが、実は彼は監督になる前に「カイエ・デュ・シネマ」の批評家として台湾を訪れ、「台湾ニューシネマ」の発見者となっていた。「風櫃の少年」を見出して、ナント三大陸映画祭出品に道を開き、グランプリ獲得につながった。

 映画監督が映画監督をドキュメントするというテレビの企画で、アサイヤスは1997年にホウ・シャオシェンに密着した。それが「HHH:侯孝賢」で、2019年の東京フィルメックス映画祭でデジタル修復版が上映された。僕はその事に当時は全然気付かず、今回調べて初めて知った。上映後の監督とのQ&Aの記録が映画祭のサイトにアップされている。(『HHH:侯孝賢』オリヴィエ・アサイヤス監督Q&A)84年当時のまだ二人が世界に知られていなかった時代に育んだ「特別な友情」が語られる。エドワード・ヤンに関する証言も貴重だ。
(質問に答えるアサイヤス監督)
 「HHH」を見ると、技術的な点(録音など)も興味深いが、中でも脚本を書いている朱天文が魅力的。「冬冬の夏休み」の原作を書いた女性作家で、「風櫃の少年」以後の全作品の脚本作りに加わっている。また「恋恋風塵」に自身の体験を提供した脚本家、呉念真の証言も興味深い。しかし、何よりもホウ・シャオシェンその人が一番の謎だ。映画のラストでアサイヤスを含め関係者一同がカラオケに行く。最後にホウ・シャオシェン自身が大熱唱。それが何と「乾杯」だった。もちろん日本の長渕剛のあの曲である。
(朱天文)
 ホウ・シャオシェンの映画と言えば、この映画で語っているように「スタイリッシュ」で「鳥瞰的」だ。幼い頃の思い出を静かに描き出すような映画で世界に知られた。だけど、映画の中で語る言葉を聞けば、彼は「オス」として認められたい、闘争心のようなものがあるという。ずいぶん映画のイメージと違う。そう考えると、長渕剛を熱唱するのも判る。日本でも長渕を持ち歌にする人は多いから判るだろう。「乾杯」は大ヒットしたし、結婚式や卒業式などの定番だから、40~60代ぐらいの人だったら何かしら甘酸っぱい思い出がよみがえる人が多いだろう。

 なるほど、「かたい絆に思いを寄せて 語り尽くせぬ青春の日々」は「童年往事」や「恋恋風塵」の世界に通じている。「故郷の友は 今でも君の 心の中にいますか」。この映画で最初に訪ねるのは、青年時代を送った高雄で昔の知人を探すことだった。続けて「冬冬の夏休み」を見たけど、冒頭で「仰げば尊し」、ラストで「赤とんぼ」が流れる。台湾と日本以外の人にはほとんど伝わらないかもしれない。彼の映画はあからさまにセンチメンタルであることを拒否しているが、底の方には長渕的な熱い思いが込められていたのか。

 ホウ・シャオシェンが歌う「乾杯」はもちろん中国語だ。北京語か台湾語(閩南語)かは僕には聞き分けられないけど。だからアサイヤスには「乾杯」が日本の歌だとは判らないだろう。僕が今回ホウ・シャオシェンの映画を見てるのは、懐かしい映画を再見したいということが大きいが、それだけではない。「台湾新電影(ニューシネマ)」を通して、台湾の「地政学的環境」を考えたいということもある。彼自身は広東省に生まれて1歳で台湾に来た外省人である。ただし、革命を逃れて来たのではなく、父が友人の新竹市長の秘書として赴任したからだった。

 だが父も母も早く亡くなり、苦労した。中国史しか教えない国民党時代の教育を受けながら、台湾で生きる自身のルーツを見つめてきた。この歴史と文化の重層的結節点を生きてきたホウ・シャオシェン。彼の歴史的位置は「遙か長い道のりを歩き始めた」創始者だった。そう考えてみると、案外「乾杯」を熱唱する姿にホウ・シャオシェンの本質が見えるのかもしれない。
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ムダの効用ー世の中に「寄席」が必要なわけ

2021年05月06日 23時14分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 映画「きみが死んだあとで」を見たら、長く予備校講師を勤めている山本義隆が「最近の学生は笑わなくなった」と言っていた。公立学校の教員は異動があるから、同じ学校にずっと勤めることがない。生徒の様子は学校ごと、地域ごとにずいぶん違いがあるから、僕はそんなことを思ったこともなかった。しかし、予備校というのは基本的に同じタイプの若者を相手にし続ける。

 そうして比べてみると、同じようなジョークでも昔は大笑いしたのに今はシーンとしているんだという。不思議に思って、面白くないのか聞いてみたという。そうすると、面白いと答える。じゃあ笑うもんだと思うが、「自分だけ笑ったら浮いてしまう」という「配慮」が優先するんだと。だから、そんな配慮に構わず大笑いするタイプがいる教室だと、他の者も笑い始めるんだという。

 そういう時代になっているのかと驚いてしまうが、そこで思い出したのが都内の4つの「定席寄席」が5月から休館してしまったことだ。「寄席」は「よせ」である。何でも読めない人がいるとかで、念のため「読みがな」付き。「定席」(じょうせき)はいつもやってる私営の演芸場のことで、新宿、上野、浅草、池袋にある。他に小さな演芸場もあるし、落語以外の漫才、浪曲、大衆演劇等の演芸場もある。「国立演芸場」もあるが、お国のやってるとこだから国には逆らえない。

 浅草演芸ホールは、緊急事態宣言を受けて以下のようなお知らせを掲載した。寄席定席は「社会生活に必要」として通常の営業を継続した。

4月23日に、政府による「緊急事態宣言」が発令されました。
これに合わせて、東京都からは演芸場に対して「無観客開催」の要請がありましたが、「社会生活の維持に必要なものを除く」という文言があり、大衆娯楽である「寄席」は、この「社会生活の維持に必要なもの」に該当するという判断から、4月25日以降も通常通り営業することといたしました。

 今、そのお知らせは見られない。代わって以下の休業のお知らせが載っている。

緊急事態宣言発出による、東京都から演芸場(寄席)に対する「無観客開催要請」は、我々の商売の性質上受け入れ困難として、有観客開催を継続してまいりました。本日改めて東京都より「休業要請」としての打診があり、東京寄席組合及び両協会で協議の結果、5月1日~11日の営業をやむなく休止させていただくことといたしました。
公演を楽しみにしていらしたお客様には大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
またこのような形で休館せざるを得なくなりましたこと誠に残念ですが、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 両協会というのは、寄席に出る落語等の芸人が所属する落語協会落語芸術協会である。何でもよほどの「圧力」があったとか。具体的なことは判らないが、まあ予想されることだ。しかし、僕は「オカミ」というのは、なんとも「ヤボ」なもんだと思った。4つの定席寄席は合わせても入場人員は千人程度である。さらに入場者の上限を50%にしていた寄席が多い。「首都圏の人流を減らす」と言っても、寄席休業の与える効果はたいしたことはない。

 一方、首都圏では東京都しか緊急事態宣言が出ていないから、隣接する千葉県浦安市にある東京ディズニーリゾートでは入場者を上限5千人にして営業している。ディズニーリゾートは広いから、この人数では園内の「密」は減るだろう。でも首都圏全体の「人流」には寄席の10倍の影響を与える。プロ野球でも東京ドームや神宮は「無観客」を求められたが、他県の球場は開いている。5月1日の横浜球場には1万5千人が入った。5月4日の西武球場には1万3千人が入った。これでは首都圏全体の人流を抑えるといえるのか。

 まあ世の中にはそういうバカげたことが起きるのだ。これに対して、上野の鈴本演芸場と浅草の浅草演芸ホールは、5月3日に「無観客寄席」を開いて、YouTubeで無料配信している。(上野は31日まで、浅草は16日まで無料で鑑賞できる。なお、「芸人応援チケット」があって芸人を支援することができる。)僕は鈴本を夕食後に見ることにした。だから前半は見てないのだが、後半を見て感じるところが多かった。トリは柳家権太楼である。「笑点」に出ている人しか知らない人には判らないかもしれない。でも、今もっとも充実してる数人の大家の一人である。
(柳家権太楼)
 寄席には落語家だけではなく、曲芸や漫才、マジック、紙切り、三味線を弾いたりギター漫談などが出て来る。僕も若いときは有名な落語家ばかりが並ぶ「ホール落語」の方が好きだった。でも今は昔は「ムダ」に思ったようなユルい芸が大好きになった。だから権太楼の前に出て来る「紙切り」とか「粋曲」を楽しんで欲しいと思う。でもやはりトリの権太楼。「百年目」という大ネタで、40分を超える大熱演である。2時間36分ごろに始まって、3時間28分まである。
(鈴本演芸場無料配信のメンバー)
 それは以下のところで見られる。「鈴本演芸場チャンネル」。僕はこの噺に心打たれた。人間通の大旦那が語る「ムダの効用」。長丁場を語って最後に泣かせる。姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」の終わり近く、530ページぐらいに出て来る大学教授の語ることにも通じる。「人の心が判る」とはどういうことか。高く伸びる木も下草の栄養あってのものだ。

 そう語る大旦那(演じる権太楼)の言葉を、「彼女は頭が悪いから」に出て来る登場人物たちに聞かせたい。「東大生が教えるムダのない24h」という本を書いた東大生(「彼女は頭が悪いから」の登場人物)に「ムダの大切さ」を聞かせたい。予備校で笑わなくなった生徒たちにも聞かせたい。みんなで笑うことの大切さを、多くの人に噛みしめて貰いたい。と思って、最近見た映画や読んだ本が権太楼の「百年目」と地下茎でつながった思いがした。
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映画「きみが死んだあとで」、「新左翼」とは何だったのか

2021年05月05日 22時19分27秒 | 映画 (新作日本映画)
 前後編合わせて200分という長い(しかし興味深くて見入ってしまう)記録映画、それが「きみが死んだあとで」だ。「きみ」というのは、山崎博昭のこと。1967年10月8日佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止を図った第一次羽田闘争で死んだ京大生だ。この名前に何の思いも呼び起こされなければ、映画を見ようと思わないかもしれない。でも「あの時代」が受け継がれず、忘れられたままの現代日本で、当時の若者が突き詰めたものを振り返るのは意味がある。

 山崎博昭はその年に入学したばかりの18歳だった。その日、「三派系全学連」に所属した山崎(中核派)らは、羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突した。「死因は諸説ある」とホームページに書いてある。当時の新聞は「(学生が乗っ取った)装甲車に轢かれた」と警察発表通りに書いた。しかし、兄の見た死体の様子からも、機動隊の警棒で殴打されたのが死因だというのは明らかだと思う。彼の死は大きな衝撃を与え、60年代末に過激化してゆく時代の始まりとなった。
(山崎博昭)
 監督は代島治彦(だいしま・はるひこ、1958~)で、「三里塚に生きる」(2014)、「三里塚のイカロス」(2017)を作った人である。どちらも見逃してしまったので、今回が初めての代島監督作品である。生年を見れば判るが、監督は当時小学生だから直接は事件を知らない。僕も監督より年長だが小学生だった。ニュースを見てたから、名前には記憶があるが詳しくは知らない。この時代の数年の違いは大きく、「遅れてきた青年」には「新左翼」には「内ゲバ」のイメージがつきまとう。その事を含めて、60年代末の新左翼運動を振り返る必要がある。

 以下、全部書くのは大変なので特に感じたことをいくつか書きたい。まず前編では山崎の高校時代が証言される。大阪府立大手前高校である。大阪の事情を知らないが、大阪を代表する進学校だという。そう言えば聞いたこともあるような。高校の同学年に詩人の佐々木幹郎や作家の三田誠広がいた。また映画の後半で大きな役割を果たす山本義隆(元東大全共闘議長、予備校教師、科学史家)も7期上の同窓だった。特に佐々木は山崎と決定的な影響関係にあった。そして山崎の死の衝撃と向き合うことで詩人として出発したのである。
(山本義隆)
 ここで判るのは、高校時代の活動と友人との出会いがあって、その上に山崎の大学時代があったということだ。文化祭での実質的な「デモ」、平和の象徴のハトを作って(それは例年の伝統らしいが)火を付けて燃やして歩き回るという「事件」があった。当時を語る皆は生き生きと思い出を語っている。僕も高校時代の文化祭はよく覚えているが、その頃が一番面白いんだろうと思う。大手前高校では中核派の影響が強く、5人加盟したという。赤松英一(ひでかず)という伝説の先輩がいたのである。赤松は93年まで中核派で活動し、その後ワイン醸造会社に勤めブドウ作りに専念したという。山崎は大学で中核派に加盟したが、そのような「前史」があった。

 ここで「中核派」と書いたが、今じゃ説明がいるだろう。映画ではきちんと説明しているので、ここでは簡単に。映画内で「社研」(社会科学研究会)の「紅一点」たる向千衣子という人が、中核に誘われたが「マル学同」にも二つあると聞いているので、大学で考えてから決めると断ったと語っている。このような「賢い断り方」には勇気が必要だった。「革命的共産主義同盟」が「革マル派」と「中核派」に分裂し、下部団体の「マルクス主義学生同盟」も分裂した。両派に社青同解放派との対立も加わり、70年代にはお互いに襲撃し殺戮しあう陰惨な事件が相次いだ。

 後編になると、羽田事件の「救援」運動が語られる。水戸喜世子が羽田周辺の病院を回って入院している学生を探し回った記憶を語っている。水戸喜世子さんは核物理学者だった水戸巌さんの夫人である。原発事故以後、水戸喜世子さんの名前を聞くことが多くなった。僕は水戸巌さんと死刑廃止運動で出会って、「すごい人」だと思ってきた。最初の頃に「水戸巌さんを思い出す」という記事を書いている。水戸巌さんは反原発運動ばかりでなく、「救援連絡センター」を作るなど新左翼の救援活動を行った。その延長で死刑廃止運動を主導したのである。映画で詳しく出ているが、1986年末に二人の子と共に剱岳で遭難した。今も悲しい思い出だ。
(水戸喜世子さん)
 この映画に出て来る新左翼運動に参加した人々は皆マジメで、倫理性も高い。政府もマスコミも彼らを「暴力学生」と呼んだが、その「暴力性」ならヴェトナムにナパーム弾や枯葉剤を投下し、北爆を繰り返すアメリカの方がひどいではないか。だからこそ当初は一般市民の「同情」も大きかった。佐世保のエンタープライズ闘争(米軍の原子力空母エンタープライズの寄港阻止闘争)は特に市民の応援があったと言われる。そのような「街頭闘争」に一番果敢に出ていったのが「三派系全学連」だったのは間違いない。だから山崎らは「中核派」に加盟したのだろう。

 しかし、その新左翼党派もやはり「左翼党派」の弊害を免れなかった。党派の都合を優先し、若い学生は突撃隊員扱いされる。他党派との対立が大きくなり、相互に襲撃し合う。機動隊に対抗するため「ゲバ棒」を持っても、本式の警察には適わない。では爆弾闘争、ハイジャックと激化する党派も出てきて、「新左翼」には殺伐としたイメージが抜けなくなった。山本義隆が最後に語るように、「初心」にあった「南ヴェトナムの戦争に加害者として加担するな」という「倫理性」は世界に誇るべきものだったはずだが。

 僕は「戦争後のヴェトナム」ももっと語るべきだと思う。国内では政治犯収容所が作られ、「ボートピープル」として多くの難民が国外へ逃れた。カンボジアに侵攻し(ポル・ポト政権の挑発があったとしても)占領を長く続けた。今もなお、一党独裁体制が続き、言論の自由は存在しない。そのような状況をもたらすための「反戦運動」だったのか。そのような幻滅を多くの人が持ったはずだ。僕は「新左翼」でも「旧左翼」でもないが、ただ国家権力による弾圧を許してはいけないと思っている。だから「救援運動」なら参加出来るのである。山崎博昭は紛れもなく国家権力の犠牲者で、小林多喜二樺美智子などと同様に党派を超えて追悼しなくてはいけない。
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姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」を読む

2021年05月04日 22時45分30秒 | 本 (日本文学)
 姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」が文春文庫に入ったから、早速買って読んでみた。2018年7月に出たときは、ずいぶん話題になった本だ。かなり厚いし(文庫本で550ページぐらい)、「嫌な本」に決まってるから文庫で読めばいいやと待っていた。もちろん「嫌な本」だったし、僕には疑問もある。だけど、この読後の嫌な気分はまさに現代日本に根差しているものだから、読んで置くべき本だ。それは本を読んだときの感動とは違う種類のもので、カテゴリーも小説だから一応「日本文学」にしたが、「世の中の出来事」にすべきかもしれない。

 文庫に書かれている紹介。「郊外生まれで公立育ちの女子大生・美咲と、都心生まれで国立大付属から東大に入ったつばさ。育った環境も考え方も異なる二人が出会い、恋におちた結果……東大生5人による強制わいせつ事件となり、被害者の美咲が勘違い女として世間から誹謗中傷される。現代社会に潜む病理を浮き彫りにした傑作。第32回柴田錬三郎賞受賞。」

 さらに帯を見ると、「あんたネタ枠ですから!」「被害者の美咲は東大生の将来をダメにした“勘違い女”なのか? 現代人の内なる差別意識に切り込んだ問題作!」「あんたの大学で、あんたの顔で、あんたのスタイルで……思い上がりっすよ。」と書かれている。これは現実に起こった事件にインスパイアされて書かれた小説だが、ノンフィクションノベルではない。取材によって現実を再現するのではなく、ここで描かれる人物はあくまでも創作である。美咲は神奈川県の進学校・藤尾高校から水谷女子大へ進んだ。そんな学校はない。でも、理解出来る。

 水谷女子大は東京都文京区と横浜市瀬谷区にキャンパスがある。文京キャンパスで開かれた入学式で、ある女性教授が式辞を述べる。文京区にあるお茶の水女子大日本女子大に対し、みんな判っているように水谷女子大は一番偏差値が低い、と。この教授は後で思いがけぬ時に登場するので注意しておく方がいい。美咲は教授が言ったことに納得し、電車内で化粧はしない。水谷女子大でもふとした偶然で出会った近くの横浜教育大(架空)の学生たちと知り合うが、何故か友だちはカップルになるけど美咲は縁遠い。ホント、何故なんだろうって思う。
(姫野カオルコ)
 この小説の特徴は、「神立(かんだつ)美咲」と「竹内つばさ」を高校時代から描いてゆくこと。すれ違ったこともあった。さらに家庭環境を祖父母にさかのぼって描く。他の東大生も、また他大学や高校時代の知り合いも多く出て来る。ミステリー小説のように「登場人物一覧表」が欲しいところだ。大学でも日芸(日大芸術学部)やSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)、東京女子大などの学生が出て来る。それらの大学の「記号学」、つまり首都圏で偏差値、経済力など、どの程度のレベルとみなされているかの予備知識がないと判りにくい。でもどこの世界にも上下格差は作られているから、ニュアンスで理解可能だろう。

 なんで親以前にさかのぼって描くかと言えば、「東大生」は「製造物」だから、「製造物責任者」を知らないと理解出来ないからだ。それは「格差」と言ってもいいが、もはや「分断」されきっていて、今さら変えられない世界だ。だから有利に生きていくしかなく、無意味なノイズを人生からシャットアウトしなければならない。しかし若い男として性欲は旺盛だから、「東大生目当て」に「自分からパンツを脱ぐ女」を確保したい。それだけなら、彼らは単に「嫌なヤツ」で済んだだろうが、彼らはそれを「組織化」することを考え「星座研究会」なるサークルを立ち上げる。男は東大、女はお茶大と水大。ここら辺が怪しくて気持ち悪い。

 つばさは「横浜教育大付属」から東大に進むが、その時点で「パドルテニス」をやってる。僕は知らなかったが、アメリカ生まれのニュースポーツである。協会のサイトを見ると、「サッカーとフットサル」と同じような感じのテニス版だと出ている。新規の団体だから学校では同好会扱いで、だから近くの藤尾高校の女子がマネージャーになるのが慣例となっている。この女子マネは実名と別に「朝倉」と「」と呼ばれることになっている。(これは漫画「タッチ」から。)

 この辺の描写から見えてくる「ホモソーシャル」な組織の気持ち悪さ。そもそも男には「学力」とともに「運動神経」という評価軸がある。東大はAO入試では入れないから、部活一辺倒ではなく勉強しなくてはいけない。大体勉強がすごく出来る生徒は、スポーツ系じゃないことが多い。しかし、「東大に入って、さらに女にモテる」を達成するためには、「スポーツをしていた」経歴も有利となる。兄が運動音痴なつばさは、そこでパドルテニスという新しくて、ゆるそうなスポーツに目を付ける。そこら辺の事情があからさまに語られる。

 女子の事情はもっとシビアに語られるが、ここでは僕は書かない。直接本書で読んで欲しい。一言で言えば、あからさまに描かれすぎて「イタい」を通り越して、リストカットを繰り返しているような小説。だから面白いかと言えば、どうなんだろうか。確かに一気読みしてしまうが、結果は判り切っている。そして姫野カオルコの小説には多いのだが、説明が多すぎる。説明を少なくして主人公の心情を浮かび上がらせるのではなく、司馬遼太郎の小説のように登場人物が作者の手の中で動いて行くのである。そこにどうしても引っ掛かるのが正直なところ。

 だから何だか「情報小説」を読んだみたいな読後感になる。登場人物はすれ違ったままで、何も変わらない。人物が作家の手を離れて自立してしまうのが優れた小説を読む楽しみだとすれば、この小説は「考える素材」だろう。なんですれ違ったままなのか。ここで出て来る「東大生」の方が「勘違い」人生を送っているのだが、そこを最後まで理解出来ない。「美咲」の方も今後どうなっていくのか描かれない。正直、美咲が「善人」すぎてもどかしい。なんでカレシが出来ないのか、僕には全く理解出来ない。だが、人生は確かにそういうもんだった。なお、「東大生」は一つの記号である。現実の東大卒業生は何人も知ってるが、「勘違い」している方が少ないだろう。
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角川新書「後期日中戦争」を読むー労作だが疑問もあり

2021年05月03日 23時28分19秒 |  〃 (歴史・地理)
 角川新書から4月に出たばかりの広中一成後期日中戦争」をさっそく読んでみた。「太平洋戦争下の中国戦線」と副題が付いている。著者を知らないが、1978年生まれの「気鋭の中国史研究者」(帯にそう書いてある)である。愛知県生まれで、愛知大学大学院を出て、愛知大学非常勤講師となっている。全部愛知県で、本書も愛知県の名古屋第三師団を追っている。第三師団はずっと中国戦線にいたのだそうだ。そこに新味がある労作だが、本書には疑問もある。

 「後期日中戦争」というのは著者の造語で、1941年12月の英米との開戦以後の中国戦線を指している。当時の日本政府は「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と決定し、日中戦争はアジア太平洋戦争全体の一戦線とされた。英米首脳(チャーチルとルーズヴェルト)は何度も会談して、ヨーロッパ戦線でドイツに勝利することを優先させた。中国では国民党も共産党も、武力では日本軍に及ばないため「持久戦」を基本方針とした。そのこともあって、対米戦争で追い詰められていく中で、中国戦線がどうなっていたのかの究明は遅れていた。

 しかし、その中で米英との関わりでいくつかの作戦が企図され、そこでは日本軍は苦戦し(時には敗北し)、国際法に違反する細菌兵器化学兵器毒ガス)を使用した。それは「敵」だけでなく「味方」にも被害を与えた恐るべき兵器だった。香港攻略の援護として始められた「第二次長沙作戦」では中国軍の「天炉戦法」にはまり、「反転」という名の敗走を余儀なくされた。その時の最高責任者は阿南惟幾(あなみ・これちか)だった。敗戦時の陸相として有名だが、本質は精神至上主義だった。中央の有力者だった阿南のことは誰も批判できず、その後も出世してゆくのである。
(阿南惟幾)
 さらに「細菌戦の戦場」だった「浙贛(せっかん)作戦」、「暴虐の戦場」だった「江南殲滅作戦と廠窖(しょうこう)事件」、「毒ガス戦の前線ー常徳殲滅作戦」、「補給なき泥沼の戦いー一号作戦(大陸打通作戦)」が取り上げられる。これらは未だ知られること少なく、特に3万人が虐殺されたと言われているという廠窖(しょうこう)事件は僕も詳しく知らなかった。これらを作戦に参加した愛知出身兵士の回想、時にはインタビューを交えて叙述する。

 それらの作戦や残虐行為を詳しく書くのは止めておく。ここまでは貴重な労作と評価出来るし、新書だから手に取りやすい。広く日本の戦争を知るために役立つが、ただ疑問がある。それは笠原十九司日中戦争全史」上下(2017,高文研)が参考文献にも挙ってないことだ。中で引用文献として名前が書かれているから、参考文献に載せないのはおかしいだろう。この本は出たときに読んで、2回にわたって記事を書いている。「日中戦争と海軍の責任-「日中戦争全史」を読む①」「日中戦争の本質-「日中戦争全史」を読む②」である。

 広中氏は「はじめに」で「15年戦争史観」を批判し、黒羽清隆氏や古屋哲夫氏のずいぶん昔の本を批判している。それらは現代史に関心が深い人なら周知の本で、確かに日中戦争研究と銘打ちながら日米開戦前で終わっているような面はあった。しかし、それに対して笠原氏の大著は「全史」とうたうだけあって、きちんと1942年以後の大陸戦線にも触れられている。下巻の3割近くがその期間の叙述に当てられている。「21ヶ条要求」から説き起こされる大著だから、全体に占める分量は少ないが、この本の評価を書かずに前の研究を批判するのはおかしいだろう。
 
 笠原著を読めば、浙贛(せっかん)作戦や大陸打通作戦の意味合いは理解出来る。さらに華北の状況、治安戦としての「三光作戦」、雲南戦線、「満州国」の状態、共産党系の八路軍・新四軍の状況など、広中著に書かれていない大状況も大体理解出来る。新書だから全部を書くわけにはいかない。名古屋をベースに研究する広中氏が地元の部隊に特化して叙述するのは、新味があるし役だつ。しかし、読者には笠原著を続けて読むように勧めるべきだ。
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岡林信康23年ぶりのCD「復活の朝」

2021年05月02日 22時28分45秒 | アート
 岡林信康(1946~)の23年ぶりという新作CD「復活の朝」を買ってしまった。CDを買ったのはずいぶん久しぶり。そもそもCDプレーヤーが故障して、しばらく聞けなかった。配信で聞いてるわけでもなく、一年ぐらいテレビでたまに聞くぐらいだった。最近DVDとCDを一緒に再生できるプレーヤーを買って、ようやく聞けるようになったのである。クラシックや昔の英語の歌(ナット・キング・コールサイモン&ガーファンクル等)を流してることが多い。
(「復活の歌」)
 「コロナ禍の中23年ぶりに放たれる岡林信康の全曲書下ろしアルバム。等身大の姿が浮かび上がる全9曲!」と書かれている。「2020年6月にYouTube上で突如発表されたアルバムタイトル曲でもある「復活の朝」をはじめ、環境破壊生と死自身の老い平凡な日常のありがたさ画一化する社会やシステム体制への痛烈な皮肉など、今の時代の空気に切り込んだ岡林信康らしいテーマが並ぶ。アルバムのラストには1stアルバム『わたしを断罪せよ』(1969年発表)に収録された「友よ」の続編ともいえる「友よ、この旅を」で締めくくられる。」

 岡林信康って誰だと言われるかもしれない。60年代末から70年代にかけて「フォークの神様」を呼ばれた。「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」などで日雇い労働者や差別をテーマにして、放送されない名曲を数多く作った。でも僕はラジオで聞いて知ったんだから、ある時期までは放送できたんだろう。これらは日本のプロテストソングの代表曲だ。
(昔の岡林信康)
 その後、労音公演に現れずに「失踪」し、まさにボブ・ディランのようにロック調に転向して再登場、はっぴいえんどをバックに、「私たちの望むものは」「それで自由になったのかい」などを歌った。前者は「私たちの望むものは 生きる苦しみではなく 私たちの望むものは 生きる喜びなのだ」と始まりながら、歌詞は転々とし「今ある不幸せに止まってはならない まだ見ぬ幸せに今跳びたつのだ」と呼びかける。後者は「あんたの言ってる自由なんで ブタ箱の中の自由さ 俺たちが欲しいのは より良い生活なんかじゃないのさ」「それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ」と安定に向かう70年代に向かって激しく煽動した。
(「手紙 それで自由になったのかい」のシングルレコード)
 ライナーノートを松本隆が書いている。「ひとつの時代を駆け抜けて、数十年ぶりに会えない日々があって、またこうして巡り会える幸福。」70年代以後の岡林は農業をやったり、演歌に近づいて美空ひばりに曲を提供したり、民謡のリズムを取り入れた「エンヤトット」のロックを作ったり…。いろいろな道を歩いていたが、音楽活動としては自主製作はしてもプロとしてのCDは作らなかった。そして、2021年、コロナ禍の中に岡林は帰ってきたのだが…。全9曲に3千円はちょっと高いかもしれない。知らない人は手を出さないだろう。でも「友よ」の続編があるとか言われると、僕は買わずにいられない気になった。
(最近の岡林信康。ライナーノートから)
 さて、その曲は。全曲作詞も作曲も岡林信康。「復活の朝」は「高層ビルの壁がならび 太い蔦がからみついてゆく ビルは蔦の葉に飲みこまれ やがてトリの声響く深い 深い森に変わるのだろう」と始まる。「蝉しぐれ今は消え」では「この旅を終えた時 亡骸となるけれど 良き想い出となって 君の心に宿り 生き続けたいと思う」と歌う。広い意味で「環境」と「老い」が基調となっている。「コロナで会えなくなってから」「恋と愛のセレナーデ」「お坊ちゃまブルース」「アドルフ」と現代日本を風刺する。「BAD JOKE」「冬色の調べ」に続き「友よ、この旅を」。

 雨の日も風の夜も この道を歩み行く ささやかな喜びに 微笑みながら
 悲しみは新しい 喜びを運ぶのか 陽は沈み陽は昇る 歩いてゆこう
 喜びも悲しみも 受けとめて噛みしめて このたびを行こう 友よ 
 終わりの日まで 

 バラード調の調べに載せて、やはり「老い」の年月が歌われる。岡林の神話的名声を知っていて、今や高齢を迎えた人しか買わないかもしれないが、この年月の歩みを感じさせられた。
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