尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「冤罪弁護士」今村核を見よ!ー佐々木健一「雪ぐ人」を読む

2021年07月31日 23時03分14秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 新潮文庫4月新刊の佐々木健一雪(そそ)ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦」を読んだ。ああ、読み逃さなくて良かったと思った本だ。大江健三郎やマイクル・コナリーは読まなくてもいいけど、これは必ず読んで欲しい本。読みやすくて、判りやすいけれど、はっきり言って読後感は重い。それは日本の現実に真っ向から向き合うことから来るもので、われわれはその重さから逃げてはいけない。この本が判りやすいのは、NHKのドキュメンタリー番組がもとになっているだ。だから問題がクリアーになり人物像がはっきりする。
(「雪ぐ人」)
 2012年に出た今村核冤罪と裁判 冤罪弁護士が語る真実」(講談社現代新書)という本を僕は読んでいる。だから今村核という人のことは知っていた。しかし、本人が書くのと他人が書くのでは大きく違う。例えば今村核という弁護士の外見(身長とか恰幅とは)は、自分が書いた本には出て来ない。誰の本でも同じだろう。また経済的な側面なども本人の書いた本では判らない。この本を読んで、実に痛切に判ることは「冤罪弁護士は儲からない」ということだ。所属する弁護士事務所の経費を負担するのも大変なぐらいに。

 今村核という人は当然ながら冤罪事件だけを担当する弁護士ではない。そういう弁護士になりたかったわけでもない。ただ弁護士の使命感として、冤罪事件に本気で取り組んできたうちに、他の事件が手に付かないぐらいになっていった。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれていれば、今村弁護士はここまで苦労しない。しかし、「有罪率99.9%」を法務大臣自らが誇る国である。(ゴーン逃亡事件の後に森雅子法相がそう述べて、無罪なら被告が証明せよと語った。さすがに後段は取り消したが。)常識なら無罪だと思う裁判でも、日本では有罪となる。そういう判決を今村弁護士も経験してきたから、「そこまでやるか」的な弁護活動を行わないと日本の裁判では無罪を勝ち取れないと今村弁護士は覚悟したのである。
(「冤罪と裁判」)
 そんな日本の裁判で今村弁護士は14件の無罪判決を得たのである。多くの弁護士は刑事事件はあまり担当しないし、担当しても無罪判決の事件は生涯で一回あるかどうかだというのに。それも新聞の一面に大きく載るような死刑・無期を争う重大事件ではない。ほとんど新聞にも報道されないような小さな冤罪事件ばかりである。そういう事件が持ち込まれても、大体は貧しい庶民が巻き込まれたケースばかりである。全然「成功報酬」につながらないだけでなく、トコトンやるから精神的にも物質的にも負担が多い。

 そのことは「雪ぐ人」で紹介される「放火冤罪」や「痴漢冤罪」でよく判る。「放火」事件では現場を再現して実際に燃やしてみる実験を行う。「痴漢」事件ではバスの車載映像を一コマごとに解析して、痴漢行為がなかったことを証明する。それでも一審は有罪判決だった。被害者は右手で触られたと証言し、被告人は携帯電話でメールしていたと反論した。だから右手の映像を分析したところ、裁判長は「左手で痴漢をした可能性もある」というのである。左手はずっとつり革をつかんでいたのだが、バスが揺れて一瞬映像が判りにくいところがある。映像を何百回も見ているうちに判ってくることがある。今度は左手も解析した鑑定を提出し、控訴審では無罪判決を得られた。それでも心理学鑑定なども行ったのだが、それは裁判長に却下された。

 今村弁護士のモットーは、科学的な真実を求めることである。無罪判決を得るというより、事件の真相(例えば火事がどのように起こったのか)を明らかにすれば、それが無罪を明らかにするのである。もっともいかに科学的な真実を証明しても、それを受け入れない裁判官もいるのである。何でだろうかというのが、次の問題になる。先の痴漢事件で一審有罪判決を出した裁判官は、若い時は青法協や裁判官懇話会(どちらも最高裁からにらまれている団体)に関わっていたという。それが「変節」していったのは何故だろうか。それは判らないけれど、最高裁の人事のあり方にあると今村弁護士は指摘する。

 それにしても今村核という人の人生には考えさせられることが多い。父母との関係も考えさせる。この本から見えてくる日本のあり方はなんとも怖い。大体は知っていることなんだけど、やはりまだ知らない人も多いだろう。僕も「裁判と冤罪」という今村氏の本を読んでたから、この本は買うかどうか迷ったのである。でも本当に読んでよかった。さすがに何度も取材を重ねた佐々木氏の文章は判りやすい。冤罪の本ではどうしても「怒り」を覚える。この本でも今村氏は怒っているが、それを佐々木氏を通して読むから、より深く怒りと絶望が伝わってくる。読むのが辛いぐらいの本だが、読後の充実感が半端じゃない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マイクル・コナリー33冊目の... | トップ | 映画「少年の君」、中国のい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (冤罪・死刑)」カテゴリの最新記事