尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「石丸伸二現象」をどう考えるかー2024都知事選②

2024年07月09日 22時08分59秒 |  〃  (選挙)
 2024年都知事選では、石丸伸二氏(前安芸高田市長)が166万票近くを獲得して2位となった。それは何故で、今後の日本政治にどのような意味を持つのだろうか。第1回目で「蓮舫大敗」が今回の最大問題だと書いたが、それは来たるべき衆院選への影響が大きいと考えるからだ。しかし、今後の歴史の推移によっては「石丸2位」こそが最大の問題だったとなるかもしれない。石丸伸二氏は「日本政治のゲームチェンジャー」なのだろうか、それとも「空疎なデマゴーグ(煽動政治家)」なのだろうか。いろいろと考えて、「結論的には今のところなんとも言えない」が結論である。考える材料が少なすぎるのである。
(石丸伸二氏)
 今回「石丸伸二」とフルネームで書くようにしてきたが、それは今回の都知事選には「石丸幸人(ゆきと)」氏も立候補していたからだ。何やら間違えて投票したという声もあるらしい。結果は9万6千票ほどを獲得して、第8位だった。「石丸幸人党」である。この人は弁護士兼医師というスゴイ人。(関東圏では)過払い金のCMで知られた「アディーレ法律事務所」の創設者である。お騒がせな問題も多い事務所らしいが、選挙公報には「伝説の弁護士」と大きく出ている。子どもが出来たのを機に保育士の資格も取ったというから、資格だけなら都知事に最適かもしれない。まあ単なる資格マニアかもしれないが。
(石丸幸人氏)
 教員として多くの生徒を教えたが、「石丸」姓は一人もいなかった。幸人氏は北海道出身で、石丸伸二氏(以下は単に「石丸氏」と書きたい)は広島県の安芸高田市出身である。「安芸」(あき)は旧国名で、「高田」は濁らずに「たかた」と読む。広島県北部にあって、戦国大名毛利氏の本拠地として知られる。毛利の居城、郡山城跡は、国史跡に指定され日本百名城に選ばれている。人口は2万4千ほど。2020年4月に当選したばかりの児玉市長が河井元法相事件に関わって同年7月に辞職した。後継市長が無投票になりそうだというので、三菱UFJ銀行に勤務していた石丸氏が立候補して当選したわけである。
(安芸高田市の場所)
 そこら辺の経過はかなり知られてきたと思うが、2020年8月の当選だから本来ならまだ1期目の途中である。しかし、石丸氏は任期満了を待たずに辞職し、都知事選に出た。後継の市長選は都知事選と同日に行われ、反石丸派の藤本悦史氏が当選した。つまり、安芸高田市長として多くの業績を挙げ、地方自治のスターとなって都知事選にチャレンジしたわけではない。はっきり言えば政治家としては「失敗した市長」と言うべきだろう。地元に何も残せなかったというのに近い。もっとも「知名度を高める」というのが目的とすれば、ネットを駆使して反対派議員を「さらし」、全国的に知られた。議員から訴えられ敗訴しているぐらいである。
(石丸氏が訴訟で敗訴)
 石丸氏の街頭演説は大変な盛り上がりだったようである。今回は誰の演説も聞いてないが、猛暑でとてもそんな気が起きない。それにホームページを見ても、載ってないことが多い。(「つばさの党」問題以後の特徴である。)「X」(旧ツイッター)を丹念に追ってれば判るのかもしれないが、そこまでする気もなかった。しかし、テレビで見たり画像を検索すると、驚くべき人だかりだ。今回の有力候補の中で一番知らないから、聞いてみたい。本人が短く断言するような演説で、どんどん画像を撮って、知り合いに送ってくれと言う。一度評判になれば、立ち止まって聞きたくなるし、勢いが付くとブームになる。
(石丸氏の街頭演説)
 政策的には何も言ってないに等しい。選挙公報では「政治再建」「都市開発」「産業創出」と大きく3つを訴えているが、具体策は特にないように思う。まあ、それは他の候補も似たようなものだが。「政治屋一掃」というような主張も聞いたが、誰が「政治屋」なのか定義は言わないから、既成政党全部を否定しているように取る人もいる。だけど、都議会には何の足場もないんだから、まかり間違って当選したらどうするんだろう。政策論争も大事だが、本当に石丸氏が訴えるべきは「都議会対策」だったはず。1年間は都議会多数派と妥協するしかないが、来年の都議選では新党を作って多数派を目指すとか

 完全無所属で出馬した石丸氏はもっとも徹底した反小池を訴えていた。都庁舎の「プロジェクション・マッピング」は何の効果も無い愚策で直ちに中止。関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の追悼文は送ると明言していた。(だから少なくとも「極右」ではない。)小池都知事が街頭にもテレビにも(ほぼ)出ず、政策論が盛り上がらなかった中で、石丸氏のはっきりした物言いが受けた面はある。蓮舫陣営は「昔の名前で出ています」的な応援弁士が多い。「民主党政権」なんて十何年も前のことで、若い人には記憶自体がないだろう。石丸氏は「小池と蓮舫の間」で、共産党が付いている蓮舫が忌避されたとは決めつけられない。

 今回の「石丸ブーム」は関西の「維新」や、数年前の「れいわ新選組」に近いかも知れない。国政は議院内閣制だし、地方政治は首長と議会の「二元代表制」である。政治は一人ではできない。「同志」が必要である。また全部を一人では出来ないから、すぐれた「ブレーン」も大切。今後石丸氏が再び選挙に出るなら、「誰と組むか」は大きな問題。その時にこの人の立ち位置がもっと判るだろう。かつて1993年に日本新党がブームとなり、細川護熙氏が首相となった。今の政治情勢では自公も、野党も多数を取れず、「石丸新党」がキャスティングボートを握り、一気に石丸首相が誕生するなんて展開は全くの夢想でもないだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「負ける戦い」をした蓮舫陣... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (選挙)」カテゴリの最新記事