尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

再審に光が見えたー袴田事件最高裁決定

2020年12月24日 22時14分10秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2020年12月22日付で「袴田事件」に関する最高裁決定が出された。一審東京地裁の再審開始決定を取り消した二審東京高裁決定を、さらに取り消して東京高裁に差し戻すという決定だった。しかもこれは、第三小法廷5人の裁判官のうち3人による決定で、他の裁判官2人は「再審を開始するべきだ」という少数意見を書いた。最高裁決定に「少数意見」が付いたのは、再審の歴史の中でかつて聞いたことがない出来事である。
(決定を聞いて記者会見する姉の袴田秀子さん)
 2019年に最高裁第一小法廷は、大崎事件の再審開始を取り消す決定を出した。鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部が再審開始の決定を出していたから、この決定には本当に驚いた。そういう人権無視の決定を平然と下せるのが最高裁なんだと改めて認識させられた。だから「袴田事件」の最高裁決定にも心配は消えなかった。(袴田巌さんは「無実」なんだから、「袴田事件」という呼称はおかしいことになる。弁護団は「清水事件」と呼んでいるが、マスコミは大体「袴田事件」と呼んでいるから、ここではそれに従いたい。)

 この決定により、さらに再審開始が遠のいたとも言える。裁判官がもう一人開始に賛成していたら、今すぐ再審になっていたわけだ。しかし、東京高裁決定を追認して袴田さんの「再収監」さえ心配していたわけだから、とりあえず再審に光が差したと見ておきたい。何しろ5人の中で、誰ひとりとして「再審取り消し」に与しなかった。裁判長を務めた林道義氏と、もう一人戸倉三郎氏は、いずれも裁判官出身で直前は東京高裁所長だった。だからどうだと言うことはないが、東京高裁所長経験者が下したことは東京高裁の現役裁判官にも影響を与えるのではないか。
(袴田巌さん)
 少数意見(再審開始)を書いたのは、林景一宇賀克也の両氏である。林裁判官は駐イギリス大使を務めた行政官出身、宇賀裁判官は東大大学院教授を務めた行政法学者である。どちらも最高裁入りするまで裁判官の経験はない。多数意見の3人は裁判官出身の林道義、戸倉三郎両氏と弁護士出身の宮崎裕子氏である。一方で大崎事件で一発取り消し決定を出した第一小法廷は、裁判官出身2人、弁護士出身2人、検察官出身1人だった。(もっとも弁護士出身とされている山口厚氏は弁護士登録1年未満で、刑法学者だった人物だが。)袴田事件が第一小法廷に係属されなくて良かった。最高裁裁判官はもっと法曹界以外からの人物が加わるべきだろう。
 
 さて事件そのものだが、一審裁判中に発見された「血染めの衣類」5点をめぐる判断に絞られてきた。実際は他にも謎の問題がいくつもあり、原裁判中も再審請求でも弁護側が指摘してきた。それらを「新証拠と総合評価」すれば、もっともっと早くから再審が開始されただろう。しかし、やはり弁護側も再審請求で最重要視してきた「血染めの衣類」が問題となる。再審開始を導いた血液型のDNA鑑定は最高裁でも否定された。しかし「味噌漬け実験」に関して「原審はメイラード反応について審理を尽くさず、その影響を小さいと評価したのは誤り」とする。
(2014年の再審開始決定)
 「メイラード反応」というのは、醸造中の味噌の中で糖とアミノ酸が反応して褐色物質が生じるというものだという。大豆も血液もタンパク質を含むから、血液にもメイラード反応が生じて褐色になるのではないかということだ。事件が起こったのは1966年6月30日、「血染めの衣類」が味噌タンク内から発見されたのは1967年8月31日。一年以上経過しているから、真犯人によって犯行直後にタンクに隠されたのだったら、メイラード反応により衣類は褐色になっているのではないか。ところが赤色のまま発見されたのは不合理だということになる。

 もっとはっきり書けば、「血染めの衣類」は発見直前に捜査側の何者かによってタンク内に仕込まれたのではないか。「ねつ造証拠」ではないかという恐るべき可能性を最高裁裁判官5人が全員考えているのである。これは大変なことだ。袴田さんは味噌会社に勤務していて、殺人放火事件が起きた夜にパジャマ姿で消火活動に参加した姿を確認されている。そのパジャマから発見された微量の血液が被害者のものと一致したというのが、袴田さんの逮捕理由だった。そして恐るべき長時間の取り調べを受けて「自白」調書にサインをさせられた。(どのくらい恐るべき長時間だったかは、ウィキペディアの「袴田事件」の項に書かれている。)

 1966年9月9日に起訴され、11月15日に静岡地裁で公判が開始され袴田さんは無実を主張した。そして裁判で長時間の取り調べが明らかとなる中で、突如として翌年夏に「血染めの衣類」が発見されたのだった。検察側は「これこそ真犯人袴田の衣類」と主張を変えたのだが、じゃあ、そもそもの逮捕理由はなんだったのか。「自白」に「タンクに衣類を隠した」と全然出て来ないのは何故。なんで「犯行」後に消火に参加したりせず逃げないのか。不思議なことが多すぎるが、裁判所はこの「血染めの衣類」を証拠と認めて袴田さんに死刑を言い渡したのである。

 弁護側も最初のうちは、この新発見の「血染めの衣類」は真犯人のものと考え、それは袴田さんのものではないと主張してきた。実際に法廷でズボンがはけるか実験したが、袴田さんには小さすぎてはけなかった。検察側は味噌タンクに浸かっているうちに縮んだなどと無理な解釈をしていた。そのうち、どうも真犯人のものとしてはおかしいという声が弁護側から主張されるようになった。しかし、「捜査側のねつ造」などと言っても本気にされるだろうかと当初は心配されたのである。だが、今では最高裁でも「証拠ねつ造」を疑っている。この重大性、捜査側は証拠を作ってでも無実の人を死刑にしようとする。そんなことがあるということを多くの人が真剣に考えて欲しい。
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