尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

袴田事件の再審開始決定、検察は特別抗告するな!

2023年03月13日 22時04分13秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」の再審開始決定が出た。感無量である。2023年3月13日、午後2時。僕はその場に行っていたが、あいにくの雨模様。雨の中長く待っているのが嫌だったので、近くの日比谷文化図書館で時間をつぶしていたら、高裁前に着いたときにはマスコミや救援関係者でいっぱいだった。再審請求は「決定」が出るだけなので、法廷での傍聴はない。午後1時45過ぎに(姉の)袴田秀子さんと弁護団が裁判所に入っていった。担当の裁判官から「決定書」を渡されるだけである。

 次第に緊張感があたりを覆ってきた。これまでの経緯を考えれば、「開始決定」以外はないはずである。だが、今まで多くの裁判官に手ひどく裏切られてきた。一審、二審で開始決定が出た大崎事件では、何と最高裁で取り消し決定が出された。袴田事件でも未だに信じがたい5年前の、再審取り消し決定をまさにこの東京高裁前で聞いたのである。2時を過ぎて少し経って、マイクを通して弁護士が出て来たという報告があった。そして「開始決定です」「開始決定が出ました」と大きくアナウンスされた。

 僕は袴田事件の救援団体に関わってきたわけではない。(今ではどの事件の個別救援会にも入っていない。)一般市民として駆けつけているだけだから、後ろの方で聞いてた。弁護士が掲げた垂れ幕は見えなかったから、ここではニュースから引用しておきたい。
 
 「袴田事件」については、これまで折に触れて書いてきた。集会などの記録もあるが、再審開始、再審取り消し、最高裁の差し戻し決定に関する記事だけ示しておくと、以下のようになる。「画期的な決定-袴田事件の再審開始決定」(2014.3.27)「袴田事件の再審、不当な取り消し決定」(2018.6.11)「再審に光が見えたー袴田事件最高裁決定」(2020.12.24)の3回である。
(袴田巌さん、秀子さん)
 そもそも袴田さんは犯人じゃないんだから、「袴田事件」と呼ぶのはおかしい。事件が起きた地名から「清水事件」と呼ぶべきだという議論がある。「清水の次郎長」「清水エスパルス」の静岡県旧清水市、現静岡市清水区である。全くその通りだと思うけど、今では「袴田事件」が定着してしまったので、ここでもそう書くことにする。

 まず、事件に関してちょっとおさらいしておきたい。1966年6月30日に、市内にあった「こがね味噌」専務宅で一家4人が殺害・放火された残虐な事件が起きた。警察は味噌会社で働いていた元プロボクサー袴田巌さんを「ボクサー崩れ」という偏見から犯人視して、厳しい取り調べを行った。一日の取り調べ時間が16時間を越えた日まである。一日に10時間以上取り調べがあった日は14日に及ぶ。その結果、頑強に否認していた袴田さんも最後に「自白」調書を取られるに至ったのである。
(袴田事件年表)
 後述するような問題点がありつつ、1968年に一審静岡地裁で死刑判決、1976年に二審東京高裁でも控訴棄却(死刑判決維持)と続き、その後最高裁に上告した。70年代後期というのは、後に再審で無罪となる4つの死刑事件が問題化していた。また狭山事件帝銀事件徳島ラジオ商事件など数多くの冤罪事件が社会問題になっていた。その中で、袴田事件は東京では全く知られていなかった。最高裁判決が近づき、ようやくこの事件は冤罪じゃないかという記事が雑誌に掲載されるようになった。僕はその頃から冤罪救援運動に関わっていたので、1980年11月19日の最高裁判決を傍聴しているのである。以来、40年以上の時間が経ってしまった。
(日本プロボクシング協会の幕)
 袴田さんは、当日消火活動を手伝っているのを目撃されていた。その時着ていたパジャマに血痕が付着しているというのが逮捕理由だった。だが一審段階で改めて鑑定を行うと否定する結果が出た。強引な取り調べも明らかになり、一審裁判では検察側が追い込まれていた。そんな時、1967年8月31日に味噌タンクの中から「血染めの衣類5点」が発見されたのである。検察側はこれこそ真犯人の着ていた衣類だと主張した。しかし、そうなると袴田さんは一端(上に着ていた服はともかく)下着なども全部着替えてから、「犯行時の衣類」を味噌タンクに漬け込み、それから何食わぬ顔で消火活動を手伝っていたことになる。
(血染め衣類5点)
 そんな着替え、漬け込みなど袴田さんの「自白調書」には全く出て来ない。これぞまさに「その時点で警察側が知らなかった」からこそ、「自白」調書に出て来ない、「自白の信用性」を全否定する新証拠だと弁護側は主張したわけである。しかし、その主張は通らなかった。何故なら、袴田さんの実家から発見されたズボンと同じ共布(ともぎれ)が発見されたからである。だから、実に不自然な話だけど、この「着替え」「漬け込み」を「自白」しなかった「自白」調書は正しいと裁判所は認定したのである。

 弁護団も支援者も皆、「発見された5点の衣類」こそ真犯人が残したものだと主張してきた。その主張は第二次再審でガラッと変わることになる。この血染めの衣類は捜査側が仕込んだねつ造証拠だと主張したのである。そんなことが現実にありうるだろうか。あるとして裁判所が認めることはあるだろうか。逆効果になるのではないか。そういう心配もあったようだが、結局はその主張の正しさがどんどん証明されることになった。恐るべき事だが、そう考えるしか証拠に関する合理的な解釈が成り立たないのである。例えば、最初に押収された下着には、消火活動中にできたかぎ裂き箇所があるという。しかし、後に発見された下着にも同じようなかぎ裂きがあるのだという。策士策に溺れたようなミスではないのか。
(東京高裁前に集まる人々)
 一審静岡地裁とともに、今回東京高裁も捜査側の証拠ねつ造を強く示唆した。このような重大な指摘を真っ正面から受けとめないと、日本の司法界のみならず、日本社会もまともに再生できない。今回東京高検は最高裁に特別抗告をしてはならない。一回最高裁で議論され、東京高裁に差し戻されたのである。その差し戻しの論点に沿って東京高裁で議論され、今回の決定になった。最高裁も同様の判断を行うに違いない。もう半世紀以上も前の事件である。袴田さんは87歳、姉の秀子さんは90歳である。いつまで長引かせるのか。もう再審を受け入れなければならない。
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