尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

折木奉太郎の「誕生」ー米澤穂信「いまさら翼といわれても」

2019年06月20日 22時59分56秒 | 〃 (ミステリー)
 「ボヴァリー夫人」に満腹しすぎて、フランス文学はちょっと横に置いといて、ミステリーを読みふけっている。つい買っちゃうから、時々まとめて読まないと。「ルピナス探偵団」は青春ユーモアミステリー色が強かった。そういう小説はつい読んじゃうんだけど、1973年に江戸川乱歩賞を受賞した小峰元(こみね・はじめ、1921~1994)の「アルキメデスは手を汚さない」がきっかけかもしれない。小峰は毎日新聞記者だったが、作家専門となって続々と古代ギリシャの偉人を題名に付けた青春ミステリーを書いた。当時ちょうど高校生だった僕は魅力にはまって、ほとんど読んだと思う。もっとも「アルキメデス…」は展開が予測通りだった。謎解きじゃなくて、青春小説の魅力だったのである。

 その後もいくつも書かれているが、今一番読まれているのは米澤穂信古典部シリーズだろう。2006年に角川のジュニア向け文庫で「氷菓」が刊行されてから、2016年の「いまさら翼といわれても」まで全6冊が刊行されている。全部読んでるけど、もう一つの高校生もの「小市民シリーズ」の方が謎解きとしては面白いと思う。米澤穂信は新進ミステリー作家として評価され、2回直木賞候補にもなった。でも初期から続く古典部シリーズは、登場人物のその後を知りたいからずっと読み続けている。最新刊の「いまさら翼といわれても」が早くも文庫化されたので、さっそく読むことにした。

 このシリーズは「氷菓」のタイトルでテレビアニメ化され、実写映画化もされた。だから若い人にも知名度があり、今回の帯には累計245万部と出ている。でも知らない人は全然知らないだろうし、まあ絶対読むべしとまでは言わない。僕にとっては趣味の問題である。だから今までは一度も書いてないけど、今回は主人公「折木奉太郎」について考えたいと思って書くことにした。(「おりき」と読むのかと思ったら、ウィキペディアには「おれき」と出ている。)「神山高校」に在学中で、何をしてるんだか判らない「古典部」にゆえあって所属している。そのあたりは最初から読めば判るから、ここでは触れない。

 折木奉太郎は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」という高校生らしからぬ「省エネ主義」をモットーにしている。それならミステリーにならないはずだが、ヒロイン役の名家の令嬢、「千反田える」(ちたんだ・える)と関わる中で「日常の謎」を解決してしまう。さすがに高校生が殺人事件に出会ったりしないけど、学校には謎がいっぱいある。(僕も教員生活の中で解決できなかった謎がいくつか思い浮かぶ。)同じ中学の友人「福部里志」、里志を追ってきた「井原摩耶花」の4人が古典部員。4人を中心に学校内外の様々な問題が持ち込まれる。

 今回読んだ中では「鏡には映らない」で、中学から続く問題が「解決」される。奉太郎は「卒業制作」にも「省エネ」を実行して、学年全員の怒りを買った。しかし、その「省エネ」と見えたものは、実は理由があったのではないか。そのように思って、井原が謎を追う。そのエピソードを見ても、折木奉太郎は単なる「省エネ」人間ではない。「あっしには関わりのないことでござんす」と言いつつ、つい関わってしまう昔の時代劇「木枯らし紋次郎」の現代版みたいな人間である。どうして、そんな「やらなくてもいいことならやらない」を信奉するに至ったのか。その理由が「長い休日」という短編で明かされる。

 それを読んで、まるで自分のことのようだと昔を思い出した。僕も中学時代に似たような体験があり、「参加しなくてもいい行事はもうやめよう」と思った。無理していい子ぶっても、つらいだけで楽しくない。全員参加ならやるけど、そうじゃなければやらない。そう思っていたら、「出来れば手伝って欲しい」と言われたのに帰ってしまって、教師をがっかりさせたりした。後でそう言われたんだけど、そんなことを言うなら「やってくれ」とちゃんと言えばいいじゃんと思った。教師になって見ると、そこら辺はなかなか難しい問題だなと思った。だからこそ、ここぞというクラスの問題で、「快諾」してくれる生徒の存在ほどありがたいものはないと思う。教師は頼むべき時はちゃんと頼むべきだ。

 折木奉太郎は今後どのような人生を歩むか。それは「太刀洗万智」(「さよなら妖精」「王とサーカス」「真実の10メートル手前」など)が示している。「省エネ」主義は、「一時的な自己防衛」であり、ある時点から外部へ活躍の幅が広がるだろう。そういう人間じゃないと、わざわざ「省エネ」モットーなんか作らない。外部への関心が強いからこそ、自己防衛としての「韜晦」(とうかい)が必要になるのだ。
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