尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

横山秀夫「ノースライト」、新境地のミステリー

2019年06月24日 22時29分37秒 | 〃 (ミステリー)
 横山秀夫の長編「ノースライト」(新潮社)を読んだ。2019年2月刊行。前作「64」(2012)以来の長編である。書評も好評だったから、これは文庫や図書館を待たずに買ってしまおうと思った。今までのミステリー作品は概ねどこかの警察署を舞台にしていた。著者は作家になる前に群馬県で新聞記者をしていたので、その経験を基にした作品も多い。でも今回は建築士を主人公にしている。作中でもブルーノ・タウトに関する叙述が多い。家族の機微を描く点で今までの作品と共通点もあるけれど、描かれた作品世界は今まで読んだことがない新境地だ。じっくり読み応えがある。

 帯を見ると、『クライマーズ・ハイ』の感動、『第三の時効』の推理、『半落ち』の人間ドラマ、全てがこの一冊にある!という北上次郎氏の評が載っている。なるほど、うまいことを言うもんだ。それを見ても判ると思うが、大長編だった前作『64』のような骨太な警察小説とは違っている。バブル経済の崩壊後に、それまでの事務所をやめ離婚した建築士、青瀬稔。今は大学時代の友人に誘われ、所沢の建築事務所で働いている。最近軽井沢に「あなたが住みたいと思う家を作ってくれ」と依頼され、会心の住宅を建てた。それは「平成すまい二〇〇選」に選ばれるほど大きな評価を得た。

 ところがその住宅に不審が生じる。評判を聞いて見に行った人が、どうも住んでないような気がするというのである。依頼主の吉野陶太に連絡してもつながらない。元の住所を訪ねても、そこはもう引き払ってる。一体吉野一家はどこに消えたのか? 依頼主の名から「Y邸」と呼ばれる家を見に行った青瀬は、確かに無人であることを確認した。その家には「ブルーノ・タウト」を思わせる椅子が置かれていたのみ。浅間山に向かって、北向きに作って「北光」(ノースライト)を取り入れるという趣向がY邸の最大の特徴だった。それが題名の理由だけど、僕には家のイメージがよく湧かない。

 この小説にはおよそ4つのストーリーがある。吉野一家の謎、日本滞在中のブルーノ・タウトの追跡、青瀬の家族史、事務所が総力を挙げる画家「藤宮春子」の記念館建設の4つである。これらが渾然一体となって進行する。藤宮春子は生前は全く知られず、パリで客死した後に大量の絵が発見された。その記念館建設話が持ち上がり、弱小の事務所が名乗りを上げ、政治に巻き込まれる。ブルーノ・タウトはドイツの建築家で、ナチスに追われるように日本に渡り数年滞在した。桂離宮を賞賛し日光東照宮を非難し、日本の美を再発見した。タウトの建築論議は作中の謎にどう絡んでくるのか。

 「ノースライト」は会話が多く読みやすくい。読み始めると止められないけど、今までの警察小説のような犯罪をめぐる物語ではない。「クライマーズ・ハイ」が新聞社をめぐる人間ドラマだったように、「ノースライト」は建築家の世界をめぐる人間ドラマである。警察でも新聞社でもないのが、横山秀夫としては新しい。しかし建築の世界は奥が深い。三次元空間の世界を文字で再現するのが難しい。僕には今ひとつイメージがつかめない場面が多かった。マンションの平面図を見るのが趣味という人も世の中にはいるらしいけど、僕は全くダメ。Y邸を現実に再現するのは難しいから、この「ノースライト」の実写映画化は難しい。でも見てみたいから誰かアニメ化してくれないかな。

 「一家はどこに消えた」問題は意外な感じで解決するが、青瀬の人生を揺さぶる。その分、青瀬の家族関係などの比重が大きくなる。また途中から大問題となる「藤宮春子」の設定がうまい。ラストの熱い盛り上がりは読み応えがあるが、どうも既視感がある。こうなるだろうなという方向になってくる。人情話みたいでちょっと残念。群馬県は出てこないのかと思うと、タウトが住んでいた高崎の少林山達磨寺の洗心亭桐生市のノコギリ屋根建築など、行ってみたくなる。またバブル崩壊の影響がその後も長く続く様子なども心に残る。建築家の世界をいう予想外の進路を取った横山秀夫は次に何を書くのか。
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