尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大崎事件再審取り消しー信じがたい最高裁決定

2019年06月28日 22時54分51秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 大崎事件の再審を取り消す決定を最高裁が出した。そのニュースを見て「あり得ない」と思ったが、現にある以上「信じがたい」と表現することにしたい。1979年に鹿児島県大崎町で死体が見つかり、その長兄、次兄、続いて次兄の子、長兄の妻が殺人罪で逮捕、起訴された。この死亡が殺人だったかどうかに争いがある。長兄の妻が主犯とされ、懲役10年の判決が確定した。この長兄の妻を除く三人は、知的障害があるとされ、「自白」も変転している。長兄の妻は一貫して無実を主張し、一度も「自白」していない。1990年に満期で出所し、それ以後再審を請求し続けている。
 (再審取り消しを伝えるテレビ番組)
 第1次再審請求では、一審の鹿児島地裁は認めたが二審で取り消された。第2次再審請求は一回も認められず、第3次再審請求で2017年に鹿児島地裁が再審を決定し、福岡高裁宮崎支部も再審を支持した。再審は「無罪(またはより軽い罪)を言い渡す」「新しい」「明らかな」証拠が必要である。しかし、この事件では、もともと「自白」していないんだから「自白の矛盾」もない。「共犯者の供述」に寄りかかる有罪判決なので、物証を新しく「DNA型鑑定」することもできない。

 今回弁護側は新たに二つの新鑑定を提出した。その一つが写真に基づく死因の新鑑定で、そもそも殺人じゃない可能性を指摘した。一審、二審はその新鑑定に証拠価値を認めたが、最高裁は証拠価値は低いとした。最高裁は「証拠調べ」をせず、書面審査が中心となるが、普通の事件だったら最高裁が二審の判断を変える場合は「弁論を開かなければならない」と決まっている。今回は「再審請求」であり、その具体的なやり方は法律で決まってない。しかし、一審、二審で認めた新鑑定を覆すんだったら、やはり鑑定人を呼んで鑑定の意味を問いただす必要があるんじゃないか。
 (取り消し決定に抗議する弁護団記者会見)
 どんなに最高裁が偉いとしても、事実調べを全くせずに再審請求を却下していいのか。法的に可能だとしても、事実上は「適正手続き違反」ではないのか。これまで今回のような最高裁で再審を取り消した例がない。反対に最高裁で再審に向けた判断をした例はある(財田川事件など)。その場合も、自分では判断せずに下級審に差し戻している。今回も新鑑定に疑問を持ったならば、自分で事実調べをしない以上は、下級審に差し戻す必要がある。

 今回の再審事件では請求人は一度も「自白」していない。刑務所内で模範囚だったため、仮釈放が決まりそうな場合でさえ、一度も「謝罪」せず仮釈放が認められなかった。もし本当は有罪だったとするなら、そんなことをわざわざするだろうか。懲役10年程度の事件だから、東京じゃ事件当時も誰も知らないだろう。無実じゃない人が、出所後の老後を全て再審に費やすようなことをするだろうか。多くの人が自分を振り返ってみれば、無実だったとしても仮釈放の誘惑に駆られて認めてしまうんじゃないか。

 今回の決定は、最高裁裁判官の判断基準が「自白」であることを示している。「供述弱者」の「自白」の危険性という問題意識がない。ずいぶん頭が古い。今どきそんな人が最高裁裁判官なのである。大崎事件そのものは、司法制度を揺るがすといったレベルの大事件ではない。だから大崎事件をひっくり返すために、最高裁裁判官が選ばれたわけではない。15人すべてが安倍首相によって任命された最高裁裁判官である。安保法制に違憲判決を出しそうもないといった選択基準はあるんじゃないか。そういう人は一般的に他のケースでも人権感覚が鈍いと言うことを示している。
コメント (1)
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