尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

石破政権波高し、「お友達内閣」に波乱の予感

2024年10月01日 22時07分47秒 | 政治
 10月1日に臨時国会が開かれた。それに先立ち岸田文雄内閣総辞職して、国会で行われた内閣総理大臣指名選挙で、石破茂自民党総裁が第102代総理大臣に選ばれた。石破首相は直ちに組閣に着手し、石破茂内閣が発足した。しかし今回は閣僚、党役員の顔ぶれは日曜日には報道されていた。翌月曜日(9月30日)朝刊に掲載されている閣僚名簿は実際のものと全く同じである。

 総裁選立候補者は内閣には林芳正(官房長官留任)、加藤勝信(財務相)しか入っていない。僕は以前書いたように(「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?)、この自民党の危機に当たって石破茂が総裁に選ばれる可能性は高くなってきたと思っていた。ただ、総裁選当日に書いたように、高市早苗は経済閣僚に起用されるだろうと思っていた。まあはっきり言えば財務相である。幹事長を任せるわけにはいかないだろう(総選挙を控えて、選挙全体に大きな影響力を持つ役職を「裏金」議員に支持された高市に任せると批判される)が、選挙を前にして「市場向け」の顔がいると思ったのである。
(異例の人事と報道)
 もちろん石破と高市では、めざす基本政策は相当に違うんだろう。しかし、当面来年の参院選までは、衆院選、予算編成、外交日程、通常国会、万博、政治資金規正法再改正と、これだけでも大変である。本格的な石破政権は来年参院選後の内閣改造の後になるはずだ。自民党議員が選挙で落ちてしまっては全員にとって困るはずだから、それまでは「自民党オールスター内閣」が作られると見込んだのである。しかし、現実には高市、小林鷹之は提示ポストを拒否したと伝えられる。僕は小林は若手代表格で選挙遊説の顔として入閣すると踏んでいた。ところが組閣名簿を見ると、若手抜てきも女性抜てきも全くなかったのである。

 ちょっと総裁選各候補の推薦人から誰が閣僚になったのかを見てみたい。林芳正(本人のみ)、小泉進次郎(三原じゅん子)、上川陽子(牧原秀樹)、加藤勝信(本人と阿部俊子)、河野太郎(武藤容治、浅尾慶一郎)、石破茂(赤沢亮正、伊東良孝、岩屋毅、小里泰弘、平将明、村上誠一郎)、高市早苗、小林鷹之、茂木敏充はゼロである。
(石破内閣の顔ぶれ)
 これは非常に偏った顔ぶれである。高市の推薦人は「裏金議員」が多いから難しい。小林の推薦人は「若手」ばかりで、今回は若手が一人もいないので結果的に誰もいなかった。茂木の場合は完全に非主流と処遇されたということだろう。石破政権は、事実上石破を間に挟んだ「岸田=菅」の前、元首相の「ブリッジ共闘」の様相を呈していて、岸田が忌避した茂木は外され、菅内閣の官房長官だった(同じ派閥の)加藤が登用されたのである。しかし、本気で石破を支える人材が(長く非主流を通してきた石破には)ほとんどいなくて、結果的に石破推薦人ばかりが登用された。まあ、安倍内閣時代に不遇だった人が多いのだが。

 今回「総選挙」の日程も10月27日と考えられる最短となって、総裁選中に「熟議」を発言したのにブレた印象を与えている。野党は一斉に批判しているが、恐らく石破自身も予想より早いと思ってるはずだが、選挙日程も閣僚人事も思うようにならなかったんだと思う。僅差の勝利で、まだ抜てきするだけの力がなかった。自民党では当選5回以上、つまり民主党政権以前から議員をしていた人が「入閣待機組」とされる。今回初入閣の衆院議員11名は全員当選5回か6回。2012年以後に初当選の、つまり与党しか知らない議員が「若手」となるが、今回は誰もいない。しかも牧原法相は枝野幸男の選挙区で、一度も小選挙区で当選したことがない。小里農水相も立憲民主党議員(野間健)に敗れて比例復活だった。選挙に強くない「待機組」入閣を優先させたのである。

 これは石破の望んだことではなく、今回決選投票で石破支持に回った各陣営の推薦を断れなかったのだろう。その結果、言葉では「適材適所」と言うだろうが、実際には政策に通じていない大臣も生まれたはずだ。だから、予算委員会を開いて各大臣も追求される事態は避けないとならない。何かスキャンダルが明らかになったりすれば、解散出来ないままズルズル行って麻生内閣の二の舞になっては大変。2009年の政権交代が今も深いトラウマとなっているのである。それこそ、早期解散の理由だろう。石破首相が言ってきたことと違うが、党内基盤がないため押し切られたのである。

 高市は結局総務会長の提示を断ったとされる。2012年の時は、安倍総裁、石破幹事長という人事だった。党を二分した選挙後は、敗れた側は幹事長という思いもあるんだろう。だが本心では「一兵卒」に戻りたい思いもあったと思う。1月1日の能登半島地震を受けて、高市は「万博を延期すべきだ」と首相に進言した。それは僕もそう思うのだが、高市は万博を所管するわけではない。首相は結局受け入れなかったのだが、高市は首相とのやり取りを勝手に自分のYouTubeチャンネルに載せた。「閣内対立」と言われてもいいなどと言っていたと思う。岸田前首相は政策や推薦人問題以上に、この問題に怒っていて反高市に回ったという話もある。

 高市とすれば大臣を引き受けても、どこかで辞めることになる関係である。安倍首相時代の石破と同じだが、今や主流、非主流が逆転した。そこで石破側も完全に手切れする気になったのか、何と総務大臣に村上誠一郎を起用した。高市は歴代最長の総務大臣経験者で、そのポストに安倍元首相を鋭く批判した村上を起用する。これは高市には絶対に許せないことだろう。「一兵卒で支える」とか言ってるが、これはどうも病に伏す天智天皇の枕元で「病気平癒を祈るため出家する」として吉野に出奔した大海人皇子を思い出させる。何か「大乱の予感」がするのだが。衆院選で自民党が減った場合、1979年の「40日抗争」のように首班指名で大もめすることがあるかもしれない。

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