尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

穗高岳ー日本の山⑥

2019年06月25日 22時39分42秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の高い山は東日本に集中している。深田久弥の日本百名山を例に取ると、滋賀県の伊吹山から西日本と考えると、88が東日本になり、西日本の山は12座である。今まで東日本の山ばかりなので、そろそろ西日本の山を書こうかなと少し前まで思っていた。でも考えを変えて、北アルプス飛騨山脈)の最高峰、穗高岳(3190m)を書くことにした。西武ライオンズの主砲、山川穗高がホームランを量産している。交流戦でペースが落ちたが、6.23現在27号。オールスターゲームのファン投票でも1位だった。一方、北方領土のビザなし訪問中の言動で、衆議院で糾弾決議が可決された丸山穗高って衆議院議員もいる。内閣不信任案採決に久しぶりに現れて反対票を投じたという。今月は「穗高」だな
 (穗高岳)
 穗高に登ったのは1987年の夏だ。僕は北アルプスにあまり登ってない。家から遠いし、車を買ったら東北や北海道へ行くことが多くなった。そんな中で穗高に行ってるのは、妻の希望だった。まあ山好きなら一度は行きたい山だから、僕に異存はない。だけど、普段と違ったのは山行日程まで妻が決めたこと。だから、すごいユックリしたペースで登った。一日目は上高地まで行って、確か上高地温泉ホテルに宿泊。大正池など散歩したはずだが、ほとんど覚えてない。覚えているのは、晴れていれば見えるはずの穗高が曇っていて全く見えなかったことだ。

 翌日は上高地から涸沢(からさわ)まで。上高地の河童橋は標高およそ1500m。明神池を過ぎると、ただの緩やかな山道がずっと続く。徳沢まで1時間、そこから横尾まで、また1時間。横尾は槍ヶ岳への道の分岐だが、標高1620mぐらい。ここまでは原生林のハイキング。涸沢は標高2300mで、ここからが本格的登山になる。涸沢まで3時間で700mを登る。しかしまあ、今日はそこまでなんだから、ノンビリ花を見ながら行くだけ。涸沢というのは、夏はズラッとテントが並ぶことで有名だが、僕らは山小屋泊まり。

 (涸沢カールと山小屋)
 山の朝は早い。午後になると急に黒雲が湧き出し、時には雷まで聞こえる。だから早立ちして、午後早くには小屋にたどり着きたい。それが鉄則だが、この時は早過ぎ。何しろ3日目は穗高岳山荘泊まりである。涸沢からのコースタイムは2時間40分になっている。その頃はおおよそコースタイムぐらいで登っていたが、この時はもう休み休み超ノンビリで景色を楽しみながら登った。それでも10時過ぎには着いたと思う。穗高岳山荘は、北アルプスの中心にある大きな山小屋。標高3000mからの眺めは雄大で、多くの人の憧れの対象。素晴らしく気持ちいい山小屋だ。
 (穗高岳山荘)
 午後早めに、荷物を小屋に置いて奥穗高岳涸沢岳に登った。奥穂は翌日にも登るので、まあ明日でいいかと思って、北の涸沢岳に登ったか。そこから北穗高岳まで行くのは無理だろうけど、涸沢に登ったか。正直全然覚えてない。ただ、小屋にいたんじゃなくて、どこかには行った。夕方には帰って、美しい夕焼けを見た。天気には毎日恵まれた。次の日は最高峰の奥穗高岳(3190m)に登って、岳沢まで降りた。けっこう大変な道だとガイドには書いてあるが、これも全然記憶なし。ひたすら下って、前穗高岳との分岐に岳沢ヒュッテがある。一気に上高地まで下れるけど、ここでも山中泊。3日は長すぎる気もしたが、ここで人生ただ一回のオコジョを見た。イタチ科の小さな動物で、見た目はかわいい。(岳沢ヒュッテは豪雪のため全壊し、2006年に廃業した。2010年から岳沢小屋が開業している。)
 (オコジョ) 
 翌日に上高地の河童橋まで降りた。ガイドを見ると、2時間半ほどのタイムになっている。そこからバスで松本へ出て、そのまま東京へ帰ったはずだ。(東京というか千葉県市川市に住んでたが。)1987年に登ったと特定できるのは、帰った後に新聞を読んで前田愛氏の訃報を知ったからだ。前田先生は都市論など多彩な視角で江戸期から近代の文学について論考した。立教大学、大学院時代に大きな影響を受けた。葬儀はもう終わっていたが、秋にチャペルで行われた追悼会に参加した。
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