尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

明治生命館を見る

2019年06月03日 22時46分07秒 | 東京関東散歩
 昨日の日曜日、「マルリナの明日」をお昼過ぎに見ようかと思ったら、上映時間が変わっていて3時過ぎじゃないと見られない。他の映画や展覧会へ行ってもいいけど、ノンビリしたいしタダだから明治生命館に寄ってみることにした。お堀端に偉容を見せている重要文化財だが、まだ見たことがない。1934年竣工だから、そんなに古くはない。昭和期の建築で初の重文指定となった建物だ。水曜から金曜の夕方にも見られるが、土日の昼間の方が見られる場所が多い。
  
 今は「明治安田生命」である。1881年に設立された有限会社明治生命保険は、三菱系の生命保険会社である。1880年に安田生命の前身会社が設立されていて、どっちも最初を競っていたという。21世紀になって、もう財閥の系列を超える時代となり、2004年に明治安田生命が発足した。上の写真の入り口には、当然「明治安田生命」とある。リニューアルされた建物の裏に大きな本社ビルが付いている。

 中へ入ると2階へ登るようにエレベーターに案内される。このエレベーターも壮麗で乗りごたえがある。2階は回廊になっていて、1階が広々と見えて圧倒される。廊下もすごい。戦前の財閥のすごさは、日本橋の三井本館でも感じることが出来る。やはり建築史に残るような建物は、まず最初に権力か金力を握るものが作るわけだろう。近代日本では皇族か財閥のものが多い。他には大学・旧制高校の建築も相当残っているけれど。こういう建築は普通の意味での「美」とは違って、現世の財力の壮大さを無視することはできない。それは大昔の寺社、城郭なんかでも同様だ。 
   
 設計は岡田信一郎(1882~1932)で、明治生命館は西欧建築様式の最大傑作と言われている。竣工途中で亡くなったので、後は弟の岡田捷五郎が引き継いだ。その他に旧歌舞伎座や震災で破損したニコライ堂の修復などを担当。東京に現存する建築としては、鳩山会館(鳩山一郎邸)や上野公園にある黒田清輝記念館などがある。ビックリしたのは旧府立第一高女校舎の設計がこの人だったことだ。現在の都立白鴎高校で、僕が通ったときは時計台がある昔の建物を使っていた。貴重な近代建築で残して欲しかったけど、今は取り壊して再建された。
 
 2階を回ると、会議室などを見ることが出来る。食堂もあって昔はこういうところで食べていたんだなあと思う。応接室を見ると、小津映画など古い映画に出てくる会社役員の生活を思い出したりする。戦前の作家、水上滝太郎は明治生命の創設者阿部泰蔵の四男で、自身も欧米留学後に明治生命に入社した。1940年に明治生命講堂で開かれた「銃後の娘の会」で専務として挨拶した直後に倒れたとウィキペディアにある。その講堂がどこなのかは判らないが。廊下を歩いていると、最新鋭だった米国製のメールシュートが残っている。昔の外国映画によくある、郵便を入れると一括して届く仕組み。
   
 上の写真の最後がメールシュートである。階段もなんだか豪華感いっぱいで、降りて一階に行くとさらにすごい。一階に敷かれた大理石にはアンモナイトの化石もあると説明があった。
   
 一階にあるラウンジが公開されている。ここは平日も可。ここもゴージャスで、休日はほとんど人もいない。飲食は禁止されているが、スマホを見たり本を読んだりは自由らしい。2階にある資料室の案内の写真も下に載せておきたい。外へ出て、ちょっと南へ歩いたところに、GHQの司令部が置かれた第一生命館がある。明治生命館も占領中はGHQに接収され、第一回の対日理事会はここで開かれた。ほとんど二重橋の向かいあたりで、現代史の現場でもある。下の写真の一枚目がラウンジ。
 
コメント
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