尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

30年目の天安門事件

2019年06月04日 22時40分48秒 |  〃  (国際問題)
 1989年6月4日の「天安門事件」から30年経った。最近は6月になった頃にちょっと報道されるような「季節記事」になってしまった。今まで何か書いていたかと探してみたら、25年目に「25年目の天安門事件」(2014.6.3)を書いていた。その直前に天安門事件のリーダーだった王丹の本が出版されて、その書評「王丹の中国現代史」(2014.13)を書いていた。自分でも全然忘れていたが、2012年にも「天安門事件を忘れない」(2012.6.6)という記事を書いていた。それなりに書いてきている。
(戦車に立ち向かう人)
 30年も経てば再評価され名誉回復されると昔は思っていたが、もっと長い時間が必要になった。衝撃的な事件だったので、忘れてはならないと思ってきたが、それだけでは現代中国を理解できないのも間違いない。この年は本当に激動の年で、昭和天皇の死から始まり、秋のベルリンの壁崩壊から始まる東欧革命ルーマニア革命まで一気に進行した。

 その中でも、6月のこの時期は大ニュースが目白押し。前年から問題化していたリクルート事件で竹下首相が辞意を表明するも後任が決まらなかった。ようやく宇野宗佑外相が後任と決まり、宇野内閣が発足したのが6月3日。翌日の4日の日曜日は、新潟県知事選だった。君健男知事の病気辞任、死去に伴うものだが、リクルート事件などで自民党の支持率が急低下していた。社会党が知名度の高い参議院議員志苫裕を擁立して結果が注目されていた。(結局は自民・公明・民社が推す金子清が当選するが、金子は3年後に東京佐川急便からの政治資金問題で辞任することになる。)

 国際的なニュースでは、6月3日にイランのイスラム革命指導者ホメイニ師が死去。4日にはポーランドで自由選挙が行われ、「連帯」が圧勝した。そして、中国では4月15日に胡耀邦前総書記が死去し、追悼の動きが始まっていた。学生たちが天安門広場に集まり民主化を求めていた。4月26日には「動乱に反対せよ」という社説が(趙紫陽総書記が朝鮮訪問で不在中に)人民日報に掲載された。しかしデモは拡大して行き、5月15日にソ連のゴルバチョフ書記長が訪中した。(趙紫陽がゴルバチョフに対して、鄧小平に最終決定権があると発言したことが後に国家機密の暴露とされた。)改革(ペレストロイカ)進行中のソ連のように、中国も穏健な改革を進めて行ければと世界は期待したわけだが…。
(天安門広場に集まった人々)
 この時期は自分も公私ともにいろいろあった時期だったが、例えば5月下旬の中間考査に合わせて夏の尾瀬林間学校の下見に行っていたはずだ。残雪の残る尾瀬が思い出に残っている。個人的なことはともかく、この中国や東欧の激動を僕はテレビでは見ていない。「テレビを持たない暮らし」をしていたから。それでも何となく映像でも記憶しているのは、1990年以後に何本ものドキュメンタリー映画が日本でも公開されたからだ。(特にシュウ・ケイ監督の「SUNLESS DAYS/ある香港映画人の“天安門”」が記憶にあるが、今は見られるのだろうか。)毎日とにかく新聞を熟読していた。

 中国情勢を一番追いかけていた時期だと思うが、もうしばらくこのような激動はないだろうと考えている。残念ながら東京都の教員として長く勤めてきたことに基づく世界観である。人はよほどの悪政でも、なれてしまうものだ。「闘った経験がない世代」が多くなれば、年長世代の「闘争経験」が受け継がれない。もちろんどんな時代にも正義を追求する人々はいる。今も中国で人権擁護の声を挙げている人がかなりいる。だが、完全に「6・4」に触れられない時期がこれほど長く続けば、なぜ暴力的な結末を迎えたのかを中国内部で検証することができない。まるまる一世代が「失われた30年」となったのだ。

 この間「中国の経済成長」はめざましいものがあった。中国共産党政権は、その成立においては「抗日戦争の勝利」、その存続においては「高度経済成長の実現」がレーゾンデートル(存立根拠)となっている。しかし「中国革命」の本質は「軍による暴力」だった。ソ連の対日参戦で、あっという間に「偽国満州国」が崩壊して、中国東北部と朝鮮半島北半部は事実上のソ連圏となった。この東北地方が「革命根拠地」となる。日本の侵略により東北地方には国民党権力が存在しなかった。つまりは大日本帝国が中華人民共和国を作ったわけだ。この「出自」からチベットやウィグルでも暴力的弾圧に走る。

 今になってみると、ソ連崩壊や東欧革命を経て、ロシアや東ヨーロッパ諸国(特にハンガリーやポーランド)はどうなったか。西欧的な民主主義政治が根付くという楽観論はもう消えている。むしろ世界は「文明の衝突」に向かっているかに見える。それを考えると、「中国の民主化」にもあまり楽観的になれない。仮に政治的自由と自由選挙が中国で実現していたとしても、党官僚と資本家が結びついた独裁政党が出来ていたのかもしれない。国民党もそうだったし、共産党もそうなんだから。もちろん日本だって、建前上の民主主義はあるけど、「選挙に行かない自由」を行使する人の方が今や地方選挙では多い。これから何年でも、自分だけでもいろんなことを忘れないでいたいと思うのみ。
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