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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

金井美恵子『目白雑録 日々のあれこれ』にはまるー金井美恵子を読む①

2025年04月18日 22時16分06秒 | 本 (日本文学)

 まだ多くの人が名前も知らないか、知ってるとしても読んでないだろう金井美恵子という1947年生まれの女性作家がいるのだが、この人はどういう人なんだろうと「金井美恵子」と打ち込んでみると、いつの間にか一番上に「金井美恵子 ノーベル賞」という検索予測ワードが登場するという驚くべきことになっていて、何でも欧米で非常に評価が高まっているらしい。そうか、だから最近文庫でいっぱい再刊されているのかと初めて気付いたのだったが、ついどんな作品なんだろうと中公文庫や講談社文庫、講談社文芸文庫などにある文庫を買ってしまい、「抱腹絶倒の痛快エッセイ」と帯に書いてある『目白雑録 日々のあれこれ』という中公文庫3ヶ月連続刊行というのを一番最初に読み始めてしまったら、なるほど確かにこれははまるなあと中毒状況に陥ってしまい、実は3冊で終わらず文庫化されない続きもあって、それが何と一番近い地元図書館に収蔵されていることに気付いて、それまで借りてきて全部読み切ってしまったというのは、我ながら驚くというか、まさに2025年の「春の珍事」とでもいうべき出来事であった。

(金井美恵子)

 この本が『目白雑録』と名付けられているのは、著者の金井美恵子が画家である金井久美子という姉と共同で(山手線で池袋から新宿方向へ一駅の)目白近くに住んでいるからで、阿佐ヶ谷姉妹というタレントがいるけれど、あちらが顔が似ているくせに実は他人同士なのと違って、こちらはホンモノの「目白姉妹」なので、一緒に猫を病院に連れて行ったり、完全に通好みの映画(まだほとんど知られていなかったフレデリック・ワイズマンをアテネフランセ文化センターまで見に行ったり、ポルトガルの老巨匠マノエル・デ・オリヴェイラとかなので、一般的な映画ファンレベルでは話について行けないだろう)を見に行ったりしているのである。

(『目白雑録Ⅰ』)

 ではこの本は自分が好きな映画や猫などを語る「ほのぼの」エッセイかというと全く違っていて、テレビもインターネットも見ない21世紀と思えない暮らしをしながら、新聞(朝日と毎日)や文芸雑誌などを読んでいて「何だろうこの変な文章(言葉遣い)」というのを見つけてきては「批評」というか、ほとんど「悪口」「暴言」を書き連ねるというところに読みどころ(抱腹絶倒)があり、世の中には全然知らないところでいろんなことが起こっていたのだなと感嘆しながら島田雅彦(作家である)とか当時都知事だった石原慎太郎の発言を取り上げて論及するのを楽しんだのだが、何しろ三島由紀夫賞受賞作『ユリイカ』(映画監督青山真治の大傑作を自ら小説化したもの)の解説に「競争相手は馬鹿ばかりの世界へようこそ」と題したぐらい「文壇」の異端者なのである。

(『目白雑学』Ⅱ)

 こう書くと映画と猫は別にして日々創作に勤しんでいるのかと思うと、もちろんベースはそうらしいのだが、何故か姉妹でヨーロッパのサッカー(フットボールと書くことが多いが)にはまってしまい、深夜に見続ける暮らしをして「サッカー批評」を繰り広げるのだが、それはワールドカップの「日本バンザイ」「がんばれニッポン」などとは全く違ったモノで、レベルの低いニッポン・サッカーを有り難がる「ナショナリズム」が大嫌い、2006年のドイツ・ワールドカップ後に引退を表明したジダン中田英寿をまるで同格であるかのように「両雄去る」みたいな大々的報道を繰り広げた日本マスコミのおバカぶりを痛烈にコケにしている。

(『目白雑録Ⅲ』)

 この本を読んで一番感じたのは我々がいかに忘れっぽいかで、この本の最初の方でSARS(サーズ=重症呼吸器症候群)の大流行が心配されたとき、行政やマスコミは「マスクをしろ」とか「不要の外出は控えろ」とか後の新型コロナと同じことを国民向けに言っていたという事実は、その時点では20年後に新型コロナウイルスなんてものが出てくるとは誰も思ってない時期に書かれた文章だけに、何だこれと驚かされたのであるが、同様のことは文庫以後に出てくる「3・11」後の原発論議(今は自分が何を発言したか忘れている人も多いんじゃないか)や第6巻で出てくる「佐村河内守」という「現代のベートーベン」の名前などたった10年経つか経たぬかことなのに忘れていたのにビックリしてしまって、佐村河内守なんて何だかとても懐かしかったものである。

(第5巻)

 最後に書誌的なことを書いておくと、この本のもとになった連載は朝日新聞出版の雑誌「一冊の本」(岩波書店の「波」のような自社PR雑誌だという)に2002年4月号から延々と掲載されたもので、後に入院などもあって休載もあるし、本にするため一時的に休む場合もあったらしいのだが、とにかく2004年に『目白雑録』が朝日新聞出版から刊行され、続いて2006年に『目白雑録2』、2009年に『目白雑録3』、2011年に『目白雑録4/日々のあれこれ』と同様に刊行された4巻本を新たに3巻本に編集し直したものが、今回の中公文庫版の全3巻なのである。従って、文庫化されていないのは2013年に出た『目白雑録5/小さいもの、大きいこと』(これは3・11関連の文章を再編集して平凡社ライブラリーから『〈3.11〉はどう語られたか』として2021年に刊行)、そして2016年に平凡社から刊行された『新・目白雑録/もっと、小さいこと』という本があり、内容的には2015年まで書き継がれたのである。

(第6巻)

 この本の一番面白い、数々の「鋭い指摘」(ほぼ悪口?)を紹介したいところだが、それは是非直接読んで欲しいからというか、引用するのも名誉毀損になりかねないというか、要するに面倒なだけなんだけど、石原慎太郎はじめ取り上げられた人たちの多くもどんどん亡くなっているのも時代の変遷で、この本をずっと読んでいると愛猫もやがては病気となり亡くなるし、本人も網膜剥離になってしまうという「時間の流れは恐ろしい」と改めて痛感させられる読書体験であった。猫のことはまた別に書こうと思っているが、今回は何か変に長い文章が続いてどうしたんだと思われたかもしれないが、実はこれは金井美恵子の文体模写だったのである。


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