豊前中津の黒田武士練習風景

2007-01-22 11:01:03 | Weblog
某日、中津市中殿町イトチュウ文化教室にての練習風景です。近くの方は是非一度覗いて見てください。黒田武士が好きで好きでたまらない方、かっこいい舞をマスターして結婚式やご祝儀舞として披露したい方、体操代わりに健康の為にされている方、中津の文化をもっとアピールしたい方、中津黒田武士の歴史を学びたい方等々集まって元気で和気藹々とやっています。どうぞ多くの方のご参加をお待ちしています。今年もまた中津の応援隊として黒田縁りの地や史跡を訪問し交流を深める予定です(昨年は博多・姫路・黒崎・嘉穂等を訪ねました)。問い合わせは0979-23ー5000イトチュウ太田さんまで。
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豊前中津の黒田武士と鱧音頭

2007-01-21 10:43:25 | Weblog
NHKの撮影には鱧音頭の踊り隊選抜5人娘が鱧料理を味わっている我々の後方ではも音頭をただひたすらに踊ってくれていました。カメラマンも優しくて皆さんけんかしないように(女の嫉妬は怖いとーこれは昔の人が言った言葉)一人ひとりちゃんと写しておりました。好い顔が九州中に流れたので皆さん満足されたと思います。このブログにも入れないと後で怖いので今日はご紹介しました。5人とも地元の割烹、居酒屋、スナック等の綺麗どころです。町で見かけたらお気軽にお声かけを、、。決して噛み付きませんので。
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黒田武士と鱧の糟漬

2007-01-20 13:14:09 | Weblog
400年ぶりに復活した”如水の鱧の糟漬”です。我々は撮影用に鱧尽くしの膳を囲んで美味しく戴きました。たくさんある鱧料理のうち特にお薦めのものだそうで本当に美味しく、撮影何のその、一心にただひたすらにこのときばかりと食べておりました。中央より右後方の七輪の火で焙り少し焦げ目のある料理が復活した如水の鱧です。一食は百聞にも百見にも如かずです。是非一度中津においでいただいて名物の鱧をご賞味あれ。(今は中津駅前の割烹丸清さんにて味わうことが出来ますが将来は中津の沢山のお店で出せる事を願っています。)中津市は天下の名勝”耶馬渓”があり昨秋完成した今話題の日本一の「九重夢大吊り橋」も便が良いので旅のコースに入れられると良いでしょう。”豊前中津の黒田武士の歴史と舞と如水の鱧の糟漬”をこれからもよろしく。
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黒田武士と鱧ーNHKTV出演の皆さん

2007-01-19 11:11:07 | Weblog
18時30分から5分間全九州向けの生放送でしたが中津の鱧料理名人・割烹丸清板前の臼田敬治さんは14時前から料理の用意、43種類もの鱧料理を造りずらりとTV用に並べておりました。我々は16時集合で紋付・袴の正装に着替えてスタンバイ。4回ほど時間を計りながらリハーサルをしました。1回毎に福岡本社のモニターで上司のチェックがあり現場はピリピリしていました。その中でアナウンサーさんが画面に出るときは満面の笑みを浮かべて中津の鱧の紹介をしている姿に感動しました。プロとはこうあらねばならないのだ!そして、さすがの我らが小野会長も中尾英治さんも本番では上がっておりました。中継中は私と宇都宮、松島さんはただ美味しい鱧を食べるシーンばかりでこんな良い役なら何度でも出たい、、なんて、、、。写真の中央がNHK浅野アナウンサー、前面の大杯に盛られたのが新作の鱧料理。中継が終わってほっとしているところです。
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NHK来る

2007-01-18 11:35:47 | Weblog
昨日の予告のとうり17日18時30分よりNHK全九州放送の生中継で〔中津黒田武士と鱧〕が流れました。見ていただけましたか?撮影スタッフの中、中央の北条氏政役が会長の小野眞宏さん官兵衛役が中尾英治さんでした。残念ながら小生は時間の都合でせりふの場面はカット、、、、。初めて見たTV放送の生番組を内側から見るというすごい体験をしました。リハーサルは4回もしたんですよ。スタッフの皆さんとても気安く気持ちの暖かい方々ばかりでしたがこと撮影のことになると真剣でぴりぴりムードが部屋中に立ち込めておりました。鱧の糟漬けが400年ぶりに復活した瞬間です、感慨無量でした。これからは中津の新しい名物として大いに売り出していけたらいいと思います。皆さん応援よろしくお願いいたします。右後方、アナウンサー、カメラ、アシスタント、プロデュサーの方々。その他照明、小道具、時間計測係等の方々も。屋外には中継車2台。スゴイの一言でした。
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豊前中津の黒田武士の会

2007-01-17 11:41:45 | Weblog
豊前中津の黒田武士の会の面々です。大杯に並々と注いだ酒をかの母里太兵衛を偲びながら飲み干そうと集まりました。大杯でぐぐぐっと呑む酒はことのほか美味しく、いにしえのつわものどもの心意気に触れる思いがしました。ここで全国の黒田武士ファンの方々に耳寄りなニュースを。じゃじゃじゃじゃーん。今まで内緒にしていましたが本日1月17日〔水)18時30分よりNHKTV放送で我々中津黒田武士の会のことが中津より生放送されます。小田原城を開城させるために如水が美酒2樽と糟漬けのはも10尾を持っていった史実を発見したことから中津の鱧の新しい名物にしようと我々中津黒田武士の会が思い立ち、400年ぶりに復活した〔鱧の糟漬け〕のお披露目をしようということから取材に来られ放送の運びとなりました。生放送です。私もほんのちょっぴりせりふをしゃべります。皆さん是非見てくださいね!放送の様子は後日詳しくお知らせしますね。楽しみに待っててください!
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黒田長政公

2007-01-16 17:51:31 | Weblog
黒田長政は関が原の合戦で大殊勲の戦功をあげ、家康より筑前52万石を拝領し筑前黒田藩の初代藩主となりました。青年時代は血気にはやり戦でも何度か生死の境をさまよったことがありました。また有名な話ですが、父黒田如水が荒木村重の為に伊丹有岡城の牢に幽閉されたとき、寝返ったと疑った信長は人質として差し出されていた長政を秀吉に殺せとの命令を出しましたが竹中半兵衛の機転で助かりました。長ずるにしたがい如水の薫陶を受け、素晴らしい治世を行いました。黒田藩が一度も国替えや領地没収をさせられず徳川300年の間徳川幕府に大事にされたのはすべて長政のお陰ではないかと思います。なおこの馬上の絵の中で尻の下に敷いているのは文禄の役で朝鮮に渡った時、勇猛にも退治した虎の皮です。柔な大将ではなかったのです。
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黒田如水肖像

2007-01-15 11:42:34 | Weblog
筑前黒田藩52万石の始祖黒田官兵衛(如水)は天文15年(1546年)11月29日姫路城で生まれました。織田信長、豊臣秀吉の天下統一に尽力し、自身も折りあらば天下を窺おうとした名軍師であり、戦国大名でした。備中高松城水攻め、本能寺の変、山崎の合戦、四国平定、九州平定、小田原城開城、文禄、慶長役の朝鮮出兵等で何れも秀吉の名軍師としてその能力を遺憾なく発揮し後、筑前52万石の礎を作ったのです。豊前中津は初めて大名となった地でありその生涯において一番脂が乗り勇猛果敢に戦国の世を生きた時ではなかったかと思われます。全国の皆さん、如水のファンの方はぜひ中津においでいただき、如水の好んで食していた「はも」料理を味わうことをお薦めいたします。京都のはもとはちと違って美味しいですぞ、、、、、、。本当に。
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名槍〔日本号〕

2007-01-14 12:06:18 | Weblog
福岡市立博物館にて母里太兵衛が飲み取った名槍〔日本号〕を見ることが出来ます。徳川幕府が天下の業物を評価したときにランク付けしました。何万、何十万本の槍が作られそれぞれ有名な武将が命の次に大事にした持ち物ですが、そのなかでも天下三名槍と称されたのが〔日本号〕、〔お手杵の槍〕、〔蜻蛉(とんぼ)切の槍〕です。〔蜻蛉切〕は家康の重臣本多平八郎の持ち物であるとき戦場にて陣幕内に立てかけていたところその刃先に停まろうとしたとんぼが真二つにすーと切れてしまった事からその名がつきました。〔お手杵〕は家康の次男結城秀康の持ち物で、戦で大暴れし幾人もの首級をあげその首級(8~10首)を槍に下げて帰る途中真ん中の首が落ちてちょうど手杵のように見えたのでお手杵(餅つきの時片手でつく手杵)と呼ばれるようになった(他説あり)。〔日本号〕はもうご存知ですよね。我らが母里太兵衛が呑み取った黒田節の槍です。全長321.5cm、刃の長さ79.2㎝、螺鈿入りで刃には竜の彫り物がある素晴らしい槍です。正親町(おおぎまち)天皇が将軍足利義昭に与え、後、織田信長に、その後太閤秀吉、福島正則そして母里太兵衛へと渡ってきました。この槍には正三位という位が付いています。並みの大名は従五位以下でしたので槍の方が位が上ということになります。その槍が一時豊前中津の太兵衛の自宅に飾られていたのです。大いにロマンを掻き立てられることではないでしょうか?近所のおいさんやおばさん、子供達が見せてーと頼んだら「オーよしよしこれが正三位の日本号じゃー、さわってもいいぞ」とか何とか言って見せていたのではないかと思われます。朝鮮の役に持っていったのが史書にも載っています。福岡に行ったら是非ご見学あれ。
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黒田武士 母里太兵衛のご子孫

2007-01-13 12:12:50 | Weblog
黒田武士母里太兵衛のご子孫 母里忠一氏を訪ねました。福岡城址の近くに長屋門(母里太兵衛の屋敷跡にあった長屋門から店名を戴いている)という居酒屋を経営されています。柳生新陰流の師範でもあり、古武士然とされているその風貌はいにしえの眞の黒田武士の面影ありとお見受けされた。ピリッと張り詰めた空気の中にかしこまっているのは、われらが豊前中津の黒田武士顕彰会の会長小野眞宏氏と舞の師範臼田キヨミさんである。少し貫禄負け、、、、か。いやいや中々もってさにあらず。お二人とも気合負けせぬように頑張っておりました。皆さん福岡に行ったら是非この〔長屋門〕ののれんをくぐってご当主母里忠一氏を訪ねてみてください。我々はそのお人柄にすっかり惚れてしまいました。
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