黒田武士 母里太兵衛 図

2007-01-09 16:11:59 | Weblog
今日は「酒は呑め呑め呑むならば~」酒宴において福島正則公より無理に薦められた大杯の酒を見事呑み干し、太閤秀吉下賜の福島家秘蔵の名槍〔日本号〕を褒美に貰って帰った黒田節で有名な黒田24騎のなかでも勇将としてその名も高き、我等が母里太兵衛友信の雄姿をご紹介します。関が原の合戦の後、江戸城天守閣の工事を仰せつかった黒田藩は母里太兵衛を総責任者として派遣した。工事が終わりその出来栄えが余りにも見事だったので家康から感謝状を贈られた。それには「毛利但馬守友信」と書かれていた。母里が毛利と間違って書かれたらしい。帰国し黒田長政公に相談したら、将軍家の書であるのでこれからは毛利と名乗るがよかろう,ということになり、この図のように毛利但馬友信となった。生涯、戦場であげた首級76(藩内で最多)、九州平定時、宇留津城攻め一番乗りのほか国内、朝鮮の役等での手柄は数知れず、後藤又兵衛と共に黒田24騎の中でも特に勇猛な黒田8虎に称され、戦場では一度も不覚を取ることなく体には相手から受けた傷は一つも無かったということで、とにかく強かったようです。
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