折からの「功名が辻」ブームのせいか、当地豊前中津市の中津城で第1回お城石垣まつりが催された。黒田官兵衛は秀吉の軍師として九州平定に大殊勲の働きをしたその勲功により豊前6郡『京都(みやこ)、築城、仲津、上毛(こうげ)、下毛(しもげ)、宇佐』12万3千石(実質18万石)を拝領し、初めて大名となった。そこで中津丸山の地にお城を築き、以来14年間を中津城主としてこの地を治めた。当時九州の豪族達は中央の情報が乏しく秀吉の力がどんなものか知る者少なく侮っていた。故に黒田官兵衛が入国しても素直に従おうとせず官兵衛は宇都宮氏(鎌倉以来の守護大名として400年当地を支配していた)、野仲氏をはじめ加来氏、犬丸氏、八屋氏といった小豪族の反抗に手を焼いていたが、中津城を築きながらそれらの豪族を鎮圧していき、またそれは文禄・慶長両役の朝鮮出兵の合間を縫っての築城であった。中津城には官兵衛が築いたその当時の石垣が現存している。穴太(あのう)積と呼ばれるその石垣は先日の発掘調査で全貌が現われつつあり九州最古と断定された。自然石を利用した作りであるがしっかりした石組みである。又、城の北側の石垣は石と石の間には草も生えぬほどの素晴らしい出来栄えで官兵衛が福岡52万石に移封された後中津に入府した細川忠興が後を継いで中津城を完成させたが石垣の石積みは荒く出来栄えには格段の差があるのが目でも確認できるほどだ。中津城に来られたらその石垣を見比べるのも面白いと思います。その石垣をバックにお城まつりが催されたがオープニングにはやはり『豊前中津の黒田武士の舞』が一番相応しいという訳でお祭りの実行委員会からのご指名で舞うことになった。臼田キヨミ師匠ほか総勢6名で見事に舞い終え泉下の黒田武士のつわものどもに良い供養になったことと存じます。
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