飛行機さつえい奮闘記
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行きの飛行機の中で広角レンズを装着したNEXを壊してしまった私、バスに乗って鹿児島空港を離脱し、鹿児島中央駅にやってきました。それにしても鹿児島空港から市内に向かうバスが超満員…!補助席まで使用したギュウギュウ詰め状態でした。
いつもなら一眼レフの広角レンズを持ってきているのですが、今回はNEX一本だけでいいだろう…と思い、一眼用は望遠レンズしか持ってきていませんでした。
この先3日間、カメラなしでは何をしにきたのかわからない状態だったので、急遽現地調達。
鹿児島中央駅のビックカメラでNEX-5Rの上位機種、NEX-6のパワーズームキットを買ってしまいました。
EVFが付いているNEX-6、お値段はかなり張ってしまいましたが、自業自得なので仕方がありません。


NEX-6を手に入れた私はようやくいつもの調子に戻ってきました。観光前にまずは鹿児島ラーメンで腹ごしらえ。


鹿児島の天気は曇りところにより雨の予報。鹿児島中央駅でレンタルしている電動自転車で市内を巡る予定でしたが、歩いて巡ることにしました。
これは鹿児島中央駅前にある『若き薩摩の群像』。江戸時代の末期に国禁を犯して海外留学を果たし、日本の近代化のために尽力した薩摩藩の青年藩士17人の銅像が観光客を出迎えてくれます。このように鹿児島市内にはいくつもの銅像があるようです。
※以降の説明文は鹿児島市のホームページより引用しています。


九州新幹線『800系つばめ』の石像。


鹿児島市電の路面電車には各種ラッピング車両が走っています。偶然見かけたソラシドエア塗装のラッピング路面電車。


『大久保利通銅像』。大久保利通は、西郷隆盛と同じ加治屋町に住んでおりました。
少年時代は、西郷とともに郷中教育を受け、やがては、薩摩藩を動かし、倒幕の中心人物となり、明治維新を成し遂げました。
銅像は没後100年を記念して、昭和54年9月26日に設置されました。


市内の各所にはこのような観光オブジェが設置されています。


市内7ヶ所に鹿児島にゆかりの偉人たちの像とその解説板を設置しているとのこと。


ザビエル公園。
1549年、イスパニアの宣教師フランシスコ・ザビエルは鹿児島・祇園之洲に上陸。約1年を鹿児島で過ごしたザビエルは、日本にキリスト教をはじめ、さまざまな異文化を伝えました。
明治時代に日本最初の仏和辞典を作成したラゲ神父が、ザビエルの功績を讃えて建てたザビエル教会は第2次世界大戦で焼失しましたが、その石造りの旧聖堂の一部とザビエルの胸像がザビエル公園内に残されています。


フランシスコ・ザビエルは歴史の偉人として小学校で習い、覚えている方も多いことではないでしょうか。


照國神社。大きく白い鳥居が美しい神社です。




『西郷隆盛銅像』。貧しい下級武士の子として鹿児島城下に生まれた西郷さんは、名君島津斉彬の薫陶を受け、倒幕そして明治維新という大事業へ向けて東奔西走しました。
その間、奄美大島や沖永良部島に流されるなど、さまざまな苦労もありましたが、江戸城の無血開城はじめ明治の新政府樹立に大きな功績がありました。
後に、私学校を開設し子弟教育に専念します。
そして、西南戦争の大将として新政府軍と戦いますが、田原坂の敗北、城山で自刃と、巨星は50年の熱い生涯を閉じました。


お堀を蓮の葉でうめつくされているここは…


鶴丸城跡!


鶴丸×鶴丸城跡!またの名を日本航空城跡!w


城内は鹿児島県歴史資料センターになっているようです。2008年の大河ドラマで一躍有名となった『篤姫』の銅像が設置されていました。


大粒の雨が降っていましたが、止んだようなので鹿児島の街並みを一望できる城山展望台に登ってみます。ルートを間違ったようで、車道口より登ることになってしまいました…w
鹿児島本線のトンネルにあった『敬天愛人』。天を敬い人を愛する。西郷隆盛が学問の目的を述べた語として有名です。


道端に咲いていた紫陽花。


『西郷隆盛洞窟』。西南戦争最後の司令部であった場所で、西郷隆盛が亡くなる直前まで過ごした洞窟として知られています。


青々とした森林が生い茂る車道をテクテクと登り…。


城山展望台に到着。桜島も頂上だけ少し見ることができました。初めて見た桜島、第一印象は『でかい!!』


桜島の標高は1117m、日本のみならず世界でも有数の活火山であり、現在も活発に活動を続けています。


帰りはスイスイ。遊歩道を歩いて下山していきます。


鹿児島救急医療センターには西南戦争の銃弾跡というものも残っています。


塀をよく見るとポコポコと穴が開いています。これが西南戦争での政府軍の銃弾跡のようです。


鹿児島救急医療センターは元々西郷隆盛が設立した学校、『私学校』でした。現在は石塀のみが残っています。
これで鹿児島市内の観光は一通り終了。鹿児島は歴史が多く残る街でした。
時刻は15時半。時間はまだあるので、フェリーで桜島に渡ってみることにしました。次回は桜島の旅行記です。

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