秋月龍老師 「誤解された仏教」より
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私は 「本来の自己」を自覚することが、「悟り」の内容だと言った。
その 「自己」は 「自我」が 「空」じられた 「無我」のときにのみ、そこで露わになるのである。
万有と自己と -我とそれと- 区別できる (不可同) が、切り離すことはできない (不可分) ・・・そういう自己である。
それを 「物我一如」という。
そして、我と汝とは 「不可分・不可同」である。
これを 「自他不二」という。
「悟り」とは、こういう 「物我一如・自他不二」の「無相の自己」の自覚である。
結論して言う。
法 (ダンマ) は、無我 (ニルアートマン) のときにのみ、露わになる。
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秋月龍老師の 「誤解された仏教」は、巷にはびこるエセ仏教を一刀両断した快著だ。
仏教は無神論であり、無霊魂論である。
神とか、霊魂とか。
そういったものが出てくるのは、本来の仏教ではない。
ここで言う本来の仏教とは、後世の人々に脚色される以前の、釈尊の仏教。
そこに、神や霊魂は出てこない。
それを明快に解き明かしてゆく。
禅僧らしく、その仏教理解はあくまでも、「無我の境地」を強調する。
禅のエッセンスは、無我の境地。
我は無い。
ただ、全体あるのみ。
自分と他者とは、分離していると同時に、一体である(不可分・不可同)。
言い換えれば、自分と他者とは、区別することはできるのだが、切り離すことはできない。
これを 「自他不二」(じたふに)と言う。
ひたすらに座禅をすれば、いつかは、トータルなワンネスに目覚め、真理が向こうからやってくる・・・。
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