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憲法学:違憲審査基準、それを理解していくために。「二重の基準の理論」について。

2012-04-22 00:14:31 | シチズンシップ教育

 厳格な合理性の基準、LRAの基準、合理的関連性の基準、明白性の基準、目的効果基準、明白かつ現在の危険の基準など、様々な違憲審査基準が、憲法学の教科書にでてきます。

 

<二重の基準の理論>

 精神的自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠な権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし、したがって、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性の基準」は、精神的自由の規制立法には妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論です。

 経済的な自由に関しては、弱い保障で構わないということで、「合理性の基準」で違憲審査を行います。
 それは、立法府が、判断に合理性があると推定するところに起因します。(合憲性の推定)
 なぜ、立法府があまり間違っていないと言えるのか、ご存じのように、選挙で選ばれた国会議員が内閣と連携し、また様々な関連団体の声も反映し法案を作り、公開の国会で議論されて、法律ができているからであります。
 そして、万が一、誤った法律であったとしても、民主政が機能する限り、悪法は改正され、よりよい法律に淘汰されていくことが期待できるからです。


 「合理性の基準」は、一般的には精神的な自由(「表現の自由」をはじめ)には適用しません。(合憲性の推定は排除される。)
 裁判所側の事情として、判断がしやすいということが一つあります。
 さらに重要なこととして、精神的な自由は、主に「表現の自由」であり、それは、民主政と密接に関連し、言うなれば民主政そのものであります。民主政の根幹をなすものであることより、慎重に審査せねばならないからです。
 なぜなら、民主政の過程が一端傷つくと回復しづらいことが大きな理由としてあります。 
 慎重な判断、厳格な判断が求められることになります。



 よって、考え方として

 精神的自由は、強い保障が必要であり、特に最も守るべき精神的自由(政治的な言論の自由、信教の自由、プライバシー権)には、「厳格な基準」が用いられます。

 中間ぐらいの程度に強い保障が必要な場合、精神的自由(ビラ配り、街宣活動、ポスター掲示など)や、経済的な自由の中では、もっとも保障すべきもの(森林法、薬事法距離制限、郵政法事件)には、「厳格な合理性の基準」が用いられます。

 そして、経済的な自由など、弱い保障である場合、上述の「合理性の基準」が使われます。
 精神的自由にも、弱い保障の場合があります。営利的な言論の自由、ポルノグラフィーなど。


 整理しますと、

「厳格な基準」:強い保障が必要な場合。最も守るべき精神的自由(政治的な言論の自由、信教の自由、プライバシー権)

「厳格な合理性の基準」:中間ぐらいの程度に強い保障が必要な場合。精神的自由(ビラ配り、街宣活動、ポスター掲示など)&経済的自由(森林法、薬事法距離制限、郵便法事件)
 →目的と手段において、実質的関連性があるか必要性・合理性から判断、「LRAの基準」

「合理性の基準」:弱い保障の場合。主に経済的な自由&一部精神的自由(営利的な言論の自由、ポルノグラフィーなど)


 精神的な自由と経済的な自由の間では、すでに保障の程度が、「精神的な自由>経済的な自由」と考えられ、基準の尺度が根本的に異なる故、「二重の基準の理論」が多く用いられます。(アメリカ法の考え方) 英語では、double standard。


*********************
 次に、 

 それぞれの基準において、では、実際にどのように審査するか。

1)目的審査としての、規制利益の有無(規制目的) 

2)手段審査としての、規制目的と規制手段の関連性

 

 具体例

『薬事法違憲訴訟』(最大判昭50.4.30)

1)目的審査:不良薬品の供給防止(生命・健康を守る)

2)手段審査:薬局間の距離制限

 判例では、1)2)の関連性がなく、違憲判断



『前科照会事件』(最三判昭56.4.14)

1)目的審査:公正な裁判の実現のために必要

2)手段審査:他に代わるべき立証手段がない 

 判例での用いられた状況の例、

*****『前科照会事件』(最三判昭56.4.14)での伊藤正己裁判官 補足意見より******

裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。


 他人に知られたくない個人の情報は、それがたとえ真実に合致するものであつても、その者のプライバシーとして法律上の保護を受け、これをみだりに公開することは許されず、違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは、私人による公開であつても、国や地方公共団体による公開であつても変わるところはない。国又は地方公共団体においては、行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが、それと同時に、収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まつているといつてよい。近時、国又は地方公共団体の保管する情報について、それを広く公開することに対する要求もつよまつてきている。しかし、このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく、個人の秘密に属する情報を保管する機関には、プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。

 本件で問題とされた前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであり、それに関する情報への接近をきわめて困難なものとし、その秘密の保護がはかられているのもそのためである。もとより前科等も完全に秘匿されるものではなく、それを公開する必要の生ずることもありうるが、公開が許されるためには、裁判のために公開される場合であつても、その公開が公正な裁判の実現のために必須のものであり他に代わるべき立証手段がないときなどのように、プライバシーに優越する利益が存在するのでなければならず、その場合でも必要最小限の範囲に限つて公開しうるにとどまるのである。このように考えると、人の前科等の情報を保管する機関には、その秘密の保持につきとくに厳格な注意義務が課せられていると解すべきである。本件の場合、京都弁護士会長の照会に応じて被上告人の前科等を報告した中京区長の過失の有無について反対意見の指摘するような事情が認められるとしても、同区長が前述のようなきびしい守秘義務を負つていることと、それに加えて、昭和二二年地方自治法の施行に際して市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが、その後も実際上市町村役場に犯罪人名簿が作成保管されているのは、公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによるものであること(このことは、原判決の確定するところである。)を考慮すれば、同区長が前科等の情報を保管する者としての義務に忠実であつたとはいえず、同区長に対し過失の責めを問うことが酷に過ぎるとはいえないものと考える。 

 

 
 

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