波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思い付くままに  「弱さが力になる。」

2014-02-11 10:57:01 | Weblog
一年を通じて必ず一回は経験することに「冠婚葬祭」の行事がある。しかしここ10年ぐらいを振り返ると冠婚は数年に一回ぐらいで、葬祭の方は必ず一回はある。先日ある人と話していたら、「先週は一週間で3回の葬儀に出かけた」と言っていたが、これは特別だが年齢もあるが、総じてこんな傾向であるかと思う。私も1月にはある葬儀に出席し、火葬の収骨までいたが、その時間待ちの間で遺族の人たちや親族その他の関係者と時間を共にした。その時聞くことが出来た
各々のお話はとても貴重なものであった。
故人の父親としての姿を子供たちが赤裸々に語っていたが、その内容は外部の人から見える印象とは大きく異なるものである。当然であるが人間としての色々な面が表れていることが分かる。
それは良いことばかりではないであろう。人間に完全はない。むしろ欠けていることが多いからこそ人間なのかもしれない。
しかしその「欠け」がそのまま欠点という事にはならない。むしろ才能に長け、全てに自信を持ち権力を持っていることが、その人間を舞い上がらせてしまうこともある。すると往々にして
何らかの失敗をするか、人を傷つける「落とし穴」に落ちることもある。
各々が持ち合わせている「欠け」はその人が不図気づかないうちに思い上がって自分の立場を忘れ舞い上がる錯覚に落ちるときの一つの大きな「とげ」のようなものと考えられないだろうか。
昔からそんな意味では、自分の肉体上の欠陥であれ、何であれその欠陥を欠陥とせず「力」として成功した作家であれ芸術家であれ多いことでわかる。
それは有名無名を問わず、各々が自らを省みなければいけないことだろう。
私も自分自身を振り返ると今まで見えなかった「欠け」の多かったことに気付き唖然とさせられている。そして今までに多くの人の心を傷つけ迷惑をかけてきたことを後悔すると同時に申し訳ないと思わされている。
そして残された時間の中でそんな「弱さを力」として何が出来るかを考えている。
人々の交わりの中でできる事、それは家族であれ、誰であれ、まず「謙虚さ」だあろうか。
自分ができる事は何もないと知った時、初めてその事に気づくのだがその姿勢を忘れずに
何事も行動したいと思うし、そこから何事も生まれてくるのだと思うことを心に銘じたいと思っている。

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